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29 美祐子の暗躍、ふたたび2

 家に帰り着いたのは19時頃だった。


 普段、授業が終わるとスーパーで買い物して直帰することが多く、石神井とどこかに行ったとしても週1~2程度な俺としては、かなり遅いほうだ。ゆえにちゃちゃっと家事を済ませる必要がある。


 夕食を絵里子に食べさせ、皿洗いをしながら彼女の会話に付き合うなどし、着用済みの服を洗濯機に放り込むと、俺は一服することなく、自分の部屋に入ってすぐにノートと教科書を開いた。


 なぜそんなにスピーディーに動いたかと言うと、中間テストが迫りつつあるから。今日からちょうど3週間後に始まるのだ。 


 3週間、と聞いて「まだまだ先じゃないか」と思った人もいるかもしれないが、正直3週間なんてあっという間だ。テスト一週間前になると部活動がなくなり、勉強時間も増えるが、それまでは一日取れてせいぜい数時間。2年の今の時点で私文一本に絞っている猛者は違うかもしれないが、全教科勉強するとなると一週間ではまったく足りない。


 それに俺の通う県立溝の口高校は、校舎こそボロいが比較的進学校だ。東大こそ滅多に輩出しないものの、6割以上がMARCH以上を進学先として選ぶ。ゆえに、定期テストもそれなりの緊張感のもとで行なわれるのだ。


 そしてなにより、試験前だからと言って、コンテンツ摂取量を減らすのは避けたいというのもある。最低でも毎日2時間は自宅での動画鑑賞時間を確保したいので、事前に勉強を進めておきたいのだ。



   ○○○



 と、そんなさまざまな理由からひとりシコシコと勉強を進め、ちょうどあと10分くらいで一息つきそうになっていた頃、スマホに着信が。


 見ると、美祐子氏からだった。


 俺は電話が正直あまり好きではない。というか正直嫌いだ。とくに、勉強に集中してるときにかかってくるのは、いきなりドアをがっと開けられて耳元で大きな太鼓を鳴らされるのと同じだと思ってるくらいである。


 なんでこんな特殊な例えをするのかと言うと、絵里子が実際に太鼓を叩いて部屋に乱入してきたことがあったからだ。


 あれは高校入試を一ヶ月後に控えた頃のこと。中学時代から比較的成績優秀だった俺でも、当時はピリピリし、毎日夜遅くまで勉強に打ち込んでいた。


 もちろん、その間も料理・掃除・洗濯・ゴミ捨て・ポストのチェックなどは欠かしていなかったし、コンテンツ摂取の時間も読書・動画合わせて2時間分捻出していたのだが、「絵里子の遊び相手になる」ということだけは手を抜いていた。


 ところが、病気がちで外の世界との交流があまりない絵里子は、家の中での(つまり俺との)交流を欲している。実際、小学生の頃から定期的に、一緒に映画やドラマを一緒に観たり、トランプやオセロで遊んでやってきていたのだ。


 だが、さすがの俺も受験勉強を理由に、絵里子の世話から離れるようになっていた。ある日はトランプの誘いを断り、またある日はジェンガの誘いを断り、人生ゲームの誘いを断り、黒ひげ危機一髪の誘いを断り……


 そんなことが3ヶ月程度続いた頃である。絵里子はいきなり、


「そうちゃんのバカーっ!」


 と叫ぶと、財布だけを掴んで部屋を飛び出していった。


 普段なら一応後を追う俺だが、入試本番を一ヶ月後に控えた当時、さすがにそんな余裕はなく、「ま、そのうち戻ってくるだろう」「そのとき謝ればいいや」と判断したのだ。


 しかし、それから30分後。俺は母の本気を知ることになる。俺が部屋でしゃにむに勉強していると、玄関のドアがドンと開き、太鼓の音がドンドンパカパカ鳴り始めたのだ。


 驚く俺の部屋に入ってきたのは、なぜか鬼の仮装をした絵里子。頭に角らしきヘッドセットをつけ、小型の太鼓を腋に挟んでバチで叩いていた。


「わるいごはいねえが! さみしい子とあぞんでくれないわるいごはいねえが!!」


 衣装は鬼だが、設定的に結構なまはげが混ざっているという謎なカオスっぷり。秋田県民が見れば怒るに違いない設定の甘さだったが、残念なことに絵里子の目は本気だったのである。


 その日、受験勉強中で構ってくれない息子にぶち切れた母親の面倒を見るため、俺が一切の勉強を放棄したのは言うまでもない。



   ○○○ 



 と、話が若干脱線したが、勉強中に電話がかかってくるのは、俺にとってなまはげに扮した母親の襲来並に嫌な出来事なのだ。


 しかし、電話はなかなか鳴り止まない……ので、俺は仕方なく出ることにした。粘り勝ちならぬ、粘り負けというやつである。


「夜分遅くにすまんな」


 出ると、美祐子氏の、どこか含み笑いしたような声が聞こえてきた。


「申し訳ないって思ってるなら電話してこないでくださいよ……今何時だと思ってるんですか?」

「何時? 23時だが……もしかして君の家には時計が……」

「あります。LINEも一応教えましたよねってことです」

「なんだ、君は電話が好きじゃないのか」

「好きか嫌いかで言えば苦手です。電話って集中を遮断するじゃないですか。有無を言わさずにコミュニケーションを強要してくると言うか」

「ふむ」

「なにかに集中してるときに電話かかってくると、話振られても満足に対応できないし、電話終わったらまた集中できるかと言うと違うし。例えるなら、ランニング中にいきなり声かけられて街頭アンケートを求められる的な」

「全然わからんけどな。トータルでかかる時間は電話のほうが短いだろ?」

「それはまあ、そうかもですけど……」


 そんなふうに軽く返されてしまうと、ひょっとすると自分が神経質なだけなのかも……と思えてくる、押しに弱い性格の俺である。


「芸能関係の人って電話派なんですかね」

「多いのは事実だな。まあ、アナログなんだよ。ときに若宮くんは、声優事務所の公式サイトを見たことあるか?」

「ないですよ」

「未だにPC仕様のところが多いんだよ。かく言う弊社もスマホ用ページがない。写真も画像サイズが小さいし、出演作の更新漏れもある」


 オヤジが予備校で広報的な仕事をしている関係上、こういうHPにまつわる話を聞いたことは過去にもあったが、予備校よりも声優事務所のほうが確実にテキトーだと感じざるを得ない。予備校って集客の多くがHP経由だから実はすごくしっかりしていて、更新専門の派遣社員とかいたりするんだよな。


「あとこれはアナログとは関係ないが、宣材写真の撮影スタジオって被りがちで、何人もの声優が、同じ壁にそっと手を添えていたりするんだよ」

「なにそれジワる」


 そう返すと、スマホが小さく振動する。一旦耳からスマホを離して見ると、美祐子氏がLINEで写真を送ってきていた。それはアイアムプロモーションの公式サイトをスクショしたもので、「鷺ノ宮ひより」と「高寺円」の2人分あった。たしかにふたりとも、ポーズは微妙に違うものの同じ壁に手を添えている。


「これは……」

「弊社はもともと別のスタジオで撮ることが多かったんだが、ひよりが売れて以降、あやかろうとして真似る声優が増えてな。今じゃ事務所内で『ひよりんの壁』って言われているとかいないとか」

「ベルリンの壁っぽいイントネーションで言わないでくださいよ……しかも、実際にこのふたりに壁が出来てるワケだし」


 俺がそう言うと、美祐子氏は「あっ」と小さく漏らす。なにか思い出したらしい。


「そうそう、ひよりと円の間に生まれた壁、”リアルひよりんの壁”のことなんだが」

「ベルリンの壁から思い出さないでくださいよ……」

「空けといてくれと話した土日のことだが予定が決まってな。日曜、11時に高田馬場に集合でお願いしたい」

「また勝手に……」


 声に不満の色を出しつつ、なるだけクレーム感が出るようにして言うが、美祐子氏は、


「事後承諾だよ」


 と、なぜか自慢げな声で述べる。


「君が今から同意すれば問題ない」

「物は言い様ですね」

「お互い納得して、OKになる。どちらが先か後かというだけの話だ」

「その順序が大事なんですけどね」

「『桃太郎』だって、犬キジ猿にとくに詳しい説明せず、いきなり鬼ヶ島に連れて行っただろたしか」

「『桃太郎』はそんなヤクザな話じゃありません」

「違ったか? きびだんごでつって契約書にサインさせたりして」

「しかも弁護士がいる系のヤクザだ」


 実際問題、ちょっと前にそれに近いことをしてきたから油断できない。

 開いた口がふさがらないとはこのことである。


「で、何するんです?」


 俺が尋ねると、電話の向こうで美祐子氏が小さく笑う。


「相変わらず、頭も諦めもいいんだな君は」


 そして、例のごとく、斜め上の提案をさらっとしてきた。


「ひよりが毎年やってることなんだが、クライアントに挨拶しに行く。そこに円と君にも同行してもらいたい」

「高寺は事務所の後輩だからいいとして……俺が行くのおかしくないですか?」

「なあに、心配には及ばん」


 美祐子氏は、電話の向こう側でふふっと不敵に笑った。


「遊園地だからな、行くのは」

余談です。


宣材写真というのは変更するタイミングが難しいようで、声優さんのなかには長く同じ写真を使っている人も少なくありません。

事務所による差も激しく、声優ファンの人的には「たしかにあそこは全然変えない」みたいなこともあるのではないでしょうか?笑

これがアーティストデビューすると、アー写更新のタイミングで変えたりすることもあります。


また、声優事務所のサイトも独特で面白いので、気になった方は「俳協」や「大沢事務所」あたりを検索してみてください。写真の小ささがスゴいです。


ちなみに壁ネタですが、これは実在するスタジオでして、壁に手を添えて撮影している方が実際にまあまあ存在します。さて誰がいるでしょうか?

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