28 美祐子の暗躍、ふたたび1
ということで学校が終わり、電車に40分ほど揺られたのちの、午後17時頃。
ふたたび訪れた先は、中野たちが所属する声優事務所「アイアムプロモーション」がある赤坂である。
前に美祐子氏と話した喫茶店で、俺はなぜか高寺と向かい合って座っていた。
彼女はコーヒーフロートからアイスクリームだけきれいに掬うと、ぺろっと食べてひとりにこっと笑う。
「おいしー!」
現在進行形で事務所の先輩に嫌われ……いや、苦手がられているというのに、まったくのんきなやつだ。
しかし、最初に掬って全部食べちゃうなら、普通にアイスコーヒーにアイスクリームを別で注文すればいいのにな。あんまりにも速攻で食べるもんだから、コーヒーにほとんど溶けないままだ。アイスもまさかそんなことになるとは思っていなかったのではないか。
と、そんなどうでもいいことを考えながら、高寺と世間話をしていると、店のドアのベルが鳴った。姿をあらわしたのは美祐子氏だ。
すぐにこちらに気づき、高寺の隣にどがっと座る。
「すまんな。わざわざ来てもらって」
「まあ、一応担任の頼みなんで。それで、今度はどんな用ですか?」
「早速本題か」
「予断を許さないならぬ、余談を許さない感じです」
「今の例えが余談である余分だったと思うけどな……もしかして君は忙しいのか?」
「忙しいかと聞かれると忙しいとは言えないですけど、でも暇かと言われるとそうでもない感じなんです。つまり、趣味に割く時間が欲しい的な」
「なるほどな。ちなみにその趣味は何だ?」
「あ、えーっと、読書とかマンガとかアニメとか映画です」
なぜか、話が別の方向へ逸れていくのを感じる。が、戻そうとする前に高寺が前のめりになってきた。
「え、そうなんだ! 仲間だ仲間!!」
嬉しそうに笑っている。中野が相応にコンテンツに詳しいのはカバンに入ったラノベや日頃の発言でなんとなく感じていたが、高寺もそうらしい。までも声優になろうと思う女子なんだからそりゃそうか。
「ちなみに月にどれくらい?」
「えっと、小説15冊、マンガ30冊、映画10本、アニメなら100話くらい?」
「え、めっちゃオタクじゃん!!」
「いや、俺なんかオタクって呼べねーから。そりゃ好きなアニメ脚本家は誰って聞かれたら岡田麿里って答えるけど、ぶっちゃけ関わった全部をチェックしてるワケじゃないし、『凪の明日から』とか1クール目で離脱して結局どうなったかわかんないままだし、それに俺って家に籠もってるだけで聖地とか行ったことないし」
「え、なぜに急に早口……」
「それに15冊ってラノベにマンガも入るしな。すぐ読めるだろああいうのは」
「そ、それはそうだけど、でもいろんなジャンルでそれってスゴい……あたし、じつは去年から勉強で観るようになったんだけど、全然及ばないってゆーか」
「円はもともと観なさすぎ、読まなさすぎだ」
美祐子氏が横からツッコミを入れてくる。
「でも、昔よりは全然勉強するようになったんですよ?」
「ま、それはそうかもな。なにがあったのかはわからんが、気持ち入れ替えたならなんでもいい」
と、そこまで言うと、美祐子氏が話を戻す。
「じゃあ忙しいなら手短に済まそう」
そして、膝に両肘を置き、目線を低くした体勢で言った。
「依頼は簡単だ。ひよりと円の仲を改善させてほしい」
その瞬間、高寺がコーヒーフロートという名のアイスコーヒーを吸う音が途絶える。
正直なところ、美祐子氏が言ったのは、なんとなく予想していた内容だった。
「まあ、そうきますよね」
「そうだ」
「名案! それいい!」
喜ぶ高寺とは裏腹に、美祐子氏が苦々しい顔で続ける。
「円は、うちの事務所で唯一ひよりと同い年なのだよ。だから、仲良くしてやりたくて」
「いや、そんなの事務所でなんとかするべきでしょう」
「最初のうちはそれでもいいかもしれんが。事務所としては、もともと結構こじれていたのが……その、昨日の事件が決定打になったと判断した」
「見放したってことじゃないすか」
正直すぎる言葉に、俺はげんなりとした。たしかに呼び出された時点で、この依頼は予想していた。が、正直どうすればいいというのだ。
自慢ではないが、俺は友達の少なさに定評のある人間である。人見知りならぬ話しかけ見知りであり、当然ながら、誰かと誰かの関係性を回復させた経験もない。
しかし、美祐子氏はめげずに続ける。
「それに最近、事務所内でもひよりは孤立しがちでな」
「なるほど」
「幸いにも現場だとうまくやれてるようなんだが、事務所だと逆なのかなんでなのか……本人は孤立じゃなく、孤高だと思っている節があるのがまた厄介なところだ」
「あの子、孤立するのが趣味なんですかね。学校でも事務所でも」
「いや、べつに好きで孤立してるわけではないと思うが」
「あっ、ジョークです。真面目に返された時点で、深刻さが伝わりました」
「昔はそんなこともなかったんだが……中学で色々あったからな」
美祐子氏は深いため息をつきながら、そんなふうに漏らす。
「そうなんですね……」
なので、思わず俺も、息を吐くように言うしかなかった。
中学の頃、学校で色々あったのは軽く聞いてはいたが、性格が変わるほどだったとは。
まあでも、人格形成で大事な時期ではあるもんな。幸か不幸か、俺は幼い頃から母親の世話をするのが当たり前の環境で生きてきたから、反抗期とかもなく、そのままの性格が定着した感じもあるが……。
大人たちに囲まれて、いつ仕事がなくなるかわからないシビアな世界で仕事をしながら、一方では多感な年頃の同世代に囲まれる……人間関係にもし気圧的なものがあれば、その差はとてつもなく大きかっただろう。
そして、補足するように美祐子氏が述べる。
「それにだ、円はじつはオーディションで私が推したという背景もあってな。それで、なんとなくスタッフの中で担当的な立ち位置なんだよ」
「あ、そうなんすね。大変でしょう」
「そんなことない!」
「今、自分でもびっくりするくらいスムーズに出たわ」
「大変じゃないもん……たぶん、きっと」
そして、高寺は例のごとく、語気を弱める。自分で否定したのに自信をなくすのは、彼女特有のローテーションなのかもしれない。
「まあ正直に言うと、円がちょっと変わった子すぎて、私以外の社員がどう接していいかまだ掴めていないってのもあるけど」
「美祐子さん、ちょっと、さすがに、正直に言い過ぎです……」
自信をなくした高寺が、さらにガクッとうなだれる。傷口に塩を塗り込まれ、辛そうで、ちょっと俺も辛い。ダメだ、同情し始めてしまっている。
などと思っていると、辛そうな顔をしているのは、高寺だけでなく、美祐子氏もだった。
「ふたりには、今後のことも考えて仲良くなっていてほしいのだよ」
「仲良く、ですか」
「もちろん、円にひよりから色々学んでほしいというのもある。声優としての技術はもちろんのこと、仕事へと向き合う姿勢や、モチベーションの維持などだな」
「まあ、そうですよね」
美祐子氏の言葉を軽く受け流しつつ、俺は以前、彼女にもらった名刺を取り出し、机の下で見ていた。
名刺の一番上には「鷺ノ宮ひより」の文字があり、一番下には「高寺円」の文字があることに今、改めて気付いた。距離にしてたった数センチだが、その差はとても大きいのだろう。
「でも、どうやって仲良くなるんですか? そもそも俺自身、中野と仲良くなれてるかって言ったらあやしいっすよ?」
「私が思うに、もともとひよりと円は相性自体は悪くないんだ」
「うんうん」
「いやそうっすかね」
秒で否定した俺に、高寺が納得がいかないという顔を向ける。
「ふたりとも、根は真面目で思いやりのある性格なんだよ、意外と。でもコミュニケーションの方法が違いすぎる」
「思いやりあるかは不明ですけど、まあ後半は共感っすね」
「だから、間にひとり置く」
そう言うと、美祐子氏は俺の皿からサンドイッチを手に取り、
「そうすることで、いいクッションになるんじゃないかってな」
と言いながら、サンドイッチを豪快に食らった。それ、俺が注文したやつなのに。
「いやー、俺にそんな実力ないっすよ……」
「大丈夫だ。君は自分が思ってるより使える……いや役に立つ男だ」
「あの、訂正できてないんですが」
「とりあえず今週末、スケジュールを空けておいてくれ」
不敵に笑う美祐子氏が何を考えているのか、俺にはさっぱり予想できなかった。
余談です。
声優事務所に入るためには、基本的にその傘下にある養成所のオーディションに合格し、さらに所属オーディションに合格する、という道が最近は一般的なようです。これについてはもう少し先で詳しく触れます。
活動報告で今度書こうと思いますが、この作品のテーマのひとつに「プロフェッショナルとは?」というのがあります。美祐子が円に身につけてほしいと語っているものですが、芸能の世界はまじめにそういう人間力が問われる世界だと思います。
もし読んでくださってる方の中に声優志望の人がいれば、この先さらに、いろんな実態や肌感を味わっていただけるのではと思います。