27 ひよりと美祐子の秘密
学校へ向かう道中、俺は本を読みながら過ごすことにしている。
電車のなかは言うまでもなく、信号待ちのちょっとした空き時間や、さらには歩いているときも普通に読む。危ないと言う人もいるかもしれないが、二宮金次郎だって読書しながら歩いていたワケだし、現実問題、こうすれば行き帰りでも1時間読書時間を捻出することができるのだ。
容姿や才能、生まれた家の裕福さなど、多くのモノが不公平ななか、時間だけはどんな人間にも平等に与えられている。多くの高校生は手や時間があくとスマホを取り出すだろうが、正直そんなことをしてても自分のためにはならないと思っている。
ま、ちょうど一緒に学校に行く友達もいないし、時間をムダにせず読書して知識・見識を増やさないとってことだな! 泣いてなんかいないもんね!!
……と、そんなことを思いながら学校に到着し、校門を入ると、少し先に中野がいるのが見えた。いつも通りの学校仕様で、大きな黒縁眼鏡に三つ編みと、地味な女子高校生に完璧に擬態している。ひとりでスタスタ足早に歩いており、生徒たちの間を抜けていくが、誰も注目していない。
追いつくとややこしいので、俺はあえて減速して歩く。
(こうやって見るとほんと地味に見えてるな……)
俺は心のなかでそんなことを思う。
もっとも、一見地味でも顔の小ささや色の白さ、足首の細さなど、よく見ると一般人離れしている部分は多い。ほとんどの生徒は気付いていない様子だが、もしかすると敏感な女子のなかには、彼女が普通と違うことに少しずつ気付いているのかもしれない……などという気持ちになってくる。
彼女は上履きに履き替えると、スタスタと去って行った。入れ替わる形で靴箱のところへ。そして、履き替えていると、
「おっす、若宮」
「若宮くん、おはよ」
聞き慣れた声が聞こえてきた。振り向くと、石神井と本天沼さんである。
「おはよう」
そう返すと、途端に石神井の表情が曇る。
「若宮、なんか顔色悪くないか?」
「え、ほんと?」
「なんか疲れてる感じ」
「たしかに……しかも、ちょっと痩せた?」
本天沼さんもそう続ける。
そう言われてみると今日の朝、ベルトがいつもの穴の位置からひとつ隣になっていた。
まあでもここ最近、いろいろと心労が積み重なっているし、きっとそれだろうな。ちなみに、心当たりは当たり前だが余裕である。そんなことを思いつつ、精一杯の笑顔を作りながらふたりに返す。
「勉強しすぎたかな……あっそうだ、ふたりともこないだはありがとう。おかげで上手くいったよ」
俺は話を逸らした。中野にノートを貸したときの相談に。
人に頼るのが苦手っぽい中野にノートを貸すため、俺は石神井用にテスト対策ノートをわざわざ作ってやり、「それに比べたら普段のノートを貸すくらいなんてことがない」と伝える作戦に打って出た。
結果としては半分成功で半分失敗。最終的にノートを貸すことに成功しながらも、「自分の能力を安売りするな!」「労働に見合った報酬を受け取れ!」的な感じで平手ビンタをくらってしまった。
あれはなかなか痛かったが、とはいえ肉体的な痛みはすぐに消えるし、中野も言葉にはしないが俺に感謝しているはずだ。昼休みに屋上で一緒にいるとき、そんな空気がそこはかとなく漂っている気がする。そうだと信じたい。
俺の言葉に、石神井はワケありげな笑顔でコクコクうなずく。
「なら良かったな。お前が学校の外で恋を進めるのは、俺としては正直かなり気になるところだが……」
「石神井くん? 朝からやかましいよ?」
本天沼さんがほんわかした笑顔のまま言うと、石神井は黙ってうなずく。
そして、俺たちは並んで歩き始めた。階段をのぼりつつ、本天沼さんはこちらを見上げてくる。
「若宮くんって優しいね……授業に遅れてる子の、サポートするなんて」
「んー、そうでもないけどね」
「その子、どんな子なの? かわいい?」
「ど、どうだろう」
すると、本天沼さんは嬉しそうに微笑む。
「かわいいかって質問に迷うってことは……その子は女の子なんだ?」
「そ、それは……」
薄々感じていたが、どうもこの子は好奇心が強いらしい。表面的には柔和で心優しい雰囲気が出ているが、気になることになると押しが強くなる感じなのだ。
すると、石神井が間に割って入ってくる。
「おいおい、そんなふうに若宮を困らせちゃダメだよ」
「石神井……」
「その子は女の子なんだってさ。かわいい男の子って可能性もあるだろ、誰とは言わないけどさ?」
そう言いつつ、親指で自分を指さしていた。
てっきり救いに入ってくれたのかと思いきや、全然違った。通常営業でしかなかった。
「で、どんな子なのかな?」
だが、本天沼さんは石神井を完全にスルーし、こっちに向いてくる。
「もしかして、好きだったりして?」
「いやそれはない」
そして、俺はそんなふうに答えていた。自分でもびっくりするくらい、自然に言葉が出ていた。
「それはどうして?」
「そりゃたしかにちょっとかわいいけど、でも現実的すぎるというか、ちょっと、というかかなり変わってるし……」
「ふーん……なんか、不思議な女の子なんだね?」
「不思議か……そうかもね」
……と、そんなことを話していると。
階段を勢いよく誰かがくだってくる音が聞こえてきた。
その人は俺たちとすれ違うと、ばっときびすを返し、戻ってくる。
「あ、若宮くん! 悪いんだけど、ちょっと来てくれない?」
夏でもないのに顔に常に汗をかいている、そしてその9割は冷や汗な男こと、野方先生だった。
○○○
生活指導室に来たのは初めてだった。
中に入ると、そこは机とイス、そしてパソコンがある簡素な空間。校舎そのものが古い我が高校ゆえ、生活指導室もやはり古かったが、パソコンはそこそこ新型のものだった。実際に光を発しているという意味でも、雰囲気的な意味でも、古い部屋では妙に明るく見える。
野方先生は俺にイスに座るように手で促した。
ので、黙って座ると、彼は向かい合うようにして席に着く。
「若宮くん、中野さんにノートを貸してくれてるんだってね、うん」
「まあ、貸すっていうか、昼休みに写させてるって感じですけど」
「若宮くん、本当に……ありがとう」
そう言うと、野方先生はその場に膝をつき、床に手をつき、頭を下げた。つまり、俺に向かって土下座をした。
「えっ……」
「僕が無力なせいで、君に迷惑をかけてしまい申し訳ない」
「ちょ、ちょっと先生! 頭上げてくださいよ!」
生活指導室で、生活指導担当の教師が生徒に向かって土下座をする。もし誰かが急に入って来て見られでもしたら、俺が土下座してるより問題になりそうな光景である。
「ちょっと、マジでそういうのはダメですからっ!」
俺がなかば無理矢理頭を上げ、イスに座り直させると、野方先生はやつれた顔で話し始めた。
「じつはこれでも、中野さんには色々とサポートをしてきたんだ、うん。出席日数をごまかしたり、遅刻や早退の回数をごまかしたり、テストの点数を多くしたり、受けてないテストを受けたことにしたり、それはもう、他の先生にバレたらヤバいようなことをたくさんたくさんね……」
「先生、めちゃめちゃ罪おかしてるじゃないですか……」
教師の立場でありながら、生徒の誘拐に手を貸してた時点で若干イヤな想像はしていたが、まさか成績を改変するなんてことまでしていたとは。見た目が真面目そうかつ小市民風なので、ギャップがスゴいが、本人は至って真剣な様子だ。
「でも、彼女はそもそも出席日数が少ないから、埋め合わせるために、テストではいい点を取る必要があってさ。でも最近成績が下がってきててね、うん……だから、若宮くんマジでナイスアシストなんだよ、うん」
「校則違反とか法律違反とかもしてないですしね」
「美祐子……あ、中野さんのマネージャーのことね。美祐子はじつは僕のゼミの同期で」
「聞きました」
「じゃ、彼女が大学の頃に声優をしてたってのは?」
「ええ、それも聞き……え、そうなんですか?」
それに関しては初耳の情報だった。
「そうそう。売れなくて辞めちゃったんだけど、大学の頃声優してて、だから中野さんとは同期なんだよ」
「同期、ですか」
「まあ厳密に言うと美祐子は養成所出身、中野さんは子役事務所? 劇団かな? からの引き抜きなんだけど、入所時期がほぼ同じなんだ」
なるほど、だからあんなに親密なのか。正直、いくら信頼し合っているとはいえ、年齢差があるのに名前呼びってのは不自然だと思ってたんだよな。中野って、そういうところしっかり線を引いてそうな感じがあるというか。
で、美祐子さんが声優だったっていうのも、一瞬驚いたけど結構納得だ。見た目は芸能人に引けを取らないビジュアルだし、俺に勉強のサポートをさせるためにした芝居も、素人のそれではなかったから。
そんなことを思う間も、野方先生の話は続く。
「で、僕は色々あって美祐子のサポートをさせられてたんだ。ノートを貸すのは当然。授業で代返したり」
「代返……って出席確認のときに代わりに返事するやつですよね?」
「そうだよ」
「男が、女の代返ですか?」
「うん」
「それはちょっと厳しいですね。色んな意味で」
「ちょっとどころじゃないよ……」
若干声が裏返りながら、泣きそうな表情で野方先生は言う。若干声が裏返ったのは、きっと大学時代にしていた代返を思い出して裏声になりかけたせいだろう。
今でも当時のトラウマが抜けていないことがわかる。かわいそうに。
「最終的には、僕が美祐子の卒論を3分の2くらい書いたからね、うん」
「先生、なんで生活指導担当なんですか。前科ありすぎでしょ」
「僕が聞きたいくらいだよ……」
「聞かれても困りますけどね」
「だから若宮くんがこうやって手伝ってくれると、被害者が、いや犠牲者が、いや生け贄がふたりになって僕も楽になりそうだなって」
「全然言い直せてなくないすか? むしろどんどん酷くなってません?」
「でも色々あってさ。美祐子の言うことは、聞かないといけないんだよね」
床を見ながら話す姿は、燃え尽きた明日のジョーのような哀愁に満ち、俺は思わず目を逸らした。
やばい、生まれつきの性格か、構ってちゃんな母親の面倒をずっとみてきた後天的な環境のせいか。心の横っちょあたりに搭載されてしまっている、「頼まれたら断れないモード」が今にも発動しようとしているのを俺は感じた。
「君にこういう話をするがおかしいってのはわかってる。でも、教師の僕にできることなんて、校則違反か犯罪行為しかなくてさ……うん」
いささか極端な選択だとは思うが、隠れて芸能活動をしている生徒のサポートは、たしかに並大抵の苦労ではないだろう。
とくに、相手はあの取り扱いが難しい中野だ。
俺はすべてを諦めると、野方先生に向かって言う。
「……わかりました。自分なりにできる範囲で手伝っていきます、中野のこと」
「本当に……?」
野方先生は顔をあげると、涙を長い下睫毛にたくわえながら、俺の手を握った。
「ありがとう…これでもう犯罪行為しなくていいのかと思うと、気持ちがスゴい楽だよ」
「それは……良かったです、はい」
俺が若干引きながらそう返すと、野方先生は急に明るい笑顔になって、さくっと言った。
「じゃあ早速なんだけど。今日の放課後、事務所に行ってもらえないかな?」
「えっ?」
余談です。
美祐子は昔声優で、そこから裏方に転身したという設定が明かされました。
ですが、取材したところ実際の声優業界にはあんまりないそうです。(フィクションなので…すいません…)
じゃあどういう人がマネージャーになるかと言うと、正直人による、マチマチすぎるという印象です。本当に人格者で、タレントのことを我が子のようにかわいがり、周りからめちゃくちゃ尊敬されている人もいれば、大手事務所の看板を自分の価値だと勘違いしてる、ちょっとヤバめの人も普通にいます。(わかる人はわかると思うんですが、表参道のアップ◯ストアにたまにいる「ここで働いてる俺カッケー!」的な人に近いです)
こんな感じでマネージャーさんは本当に様々で、売れるためのひとつの条件なのかなと見ていて感じる瞬間も少なくないくらいなんですが、タレントさん、声優さんはマネージャーさんを自分で選べないので正直そこも運でしょうね。
さて、美祐子は敏腕で仕事ができるという設定ですが、どんなふうに有能かはまたおいおい描きます。