26 後輩声優・高寺円2
と、そんなことを思っていると、赤茶髪女子が思い出したように口を開く。
「……あ、まだ名前聞いてなかった」
「俺は若宮惣太郎。えっと、中野とはクラスメートで、今日は文房具買う付き添いで」
そこまで言うと、彼女の顔がぱっと明るくなる。
「そうなんだ! じゃあ同い年だね」
「みたいだな」
「なら、親しみをこめて若宮くんって呼ぶね!」
「……え、親しみこもってなくね?」
俺が約3秒遅れでツッコむと、へっへーと笑いながらさらっとした口調で言う。
「あだ名はかわいい子限定。男子はこだわりないからなんでもいいの」
「失礼だな……」
「あ、あたしのことは高寺って呼んでいいよ」
「遠回しに名前呼びを拒否ったな」
「えっ、名前で呼びたい? どうしてもって言うならいいけど? まどか、とか、まどちゃんって」
「高寺だな、高寺。よし覚えた」
俺がそう言うと、高寺はまたしてもへっへーと満足げに笑った。そこに、悪意や害意のようなものは、今のところ感じない。
どうやらこの子、底抜けに明るく、そしてめんどくさい絡みをしてくるタイプらしい。
初対面から翻弄されているのは不本意だが……もしかすると、中野そういうの苦手なのかもしれない。自分のペースを守りたいというか、主導権握りたいというか。
「その、どういう流れなんだ? 中野とぎこちなくなったのは」
俺が話を戻すと、途端に高寺の表情が曇る。
「んー、正直最初から人見知りされてる感じではあったけど、はっきり壁ができたのは一週間前。収録があって、初めてひよりさ……ひよりんりんと一緒の作品に出させてもらったんだけど」
明るい性格ではあるものの、苦手と思われてるのは気にするらしい。
高寺は近くにあったイスに座る。ので、俺も高寺の隣に腰をおろした。
「一緒ってアニメか何か?」
「そーそー。と言ってもあたしはモブ、名前のない女子生徒Bって感じの役だったんだけど。もちろんひよりさん……ひよりんりんはレギュラー、というかヒロインのひとりで」
「無理にりんりん言わなくていいんだぞ?」
「うっ……」
「無理してりんりん言ってたのか?」
「む、無理なんかっ!!」
「てかもう若干心折れてないか?」
「そんなことないっ!! これからちゃんと仲良くなるもん……たぶん」
食い気味に俺の問いかけを否定した高寺だったが、よく見ると若干涙目になっていた。さっきまでの威勢はすっかりなくなっている。
「話を戻すと、そこで中野となんかあったんだな」
なるだけ優しく尋ねてみると、彼女はうつむきがちにコクンとうなずく。
「……ひよりさんと話してみたいなあって思って、スタジオの外で待ってたんだ。それで出てきたときに話しかけたんだけどさ。あたし、そんときこんなにデッカいマスクしてて。で、ほぼ顔全体が隠れてたから、ストーカーかなにかだと勘違いしたみたいで、『きゃああああ!』って叫ばれちゃって……」
「それは……壁できるな」
「しかもそれまでひよりさんって呼んでたんだけど、『ひよりんりんって呼んでいいですかっ?』って聞いちゃって」
「あだ名付けるには最低のタイミングだな」
「だから今日たまたま見かけてチャンスって思ったんだけど……」
はあ、と大きなため息をつくと、高寺はまたしてもがっくり肩を落とす。
「あたし、中学のときはウザキャラだったんだよ」
「一応聞くけど、そこ過去形でいいのか?」
「……」
俺が尋ねると数秒の間を置いて、高寺が答える。
「あたし、今もだけど中学のときウザキャラで」
「認めちゃうんだな」
「でもそのときは毎日会えたし、わりと誰でも仲良くなれてたんだよね。だからウザくても友達は多いほうで、ウザい自分でもそこまで気にしてなくて、ウザいくせに生意気にも親友なんかもいちゃって」
「ごめんさっきの発言根に持ってる? 絶対持ってるよな?」
「ううん、ぜんぜんそんなことないよー。きにしないでー」
「ぼ、棒読み……」
屈託のない笑顔を見せているが、圧を感じさせたいという気持ちはもちろんわかった。
そして、俺が圧を感じていると、目論見が達成したのか、彼女は顔の筋肉を緩め、屈託のない笑顔に戻って、
「君、意外に面白いね!」
と言うと、背中を勢いよくバチーンと叩いてきた。
「い、いっでえな……」
「当たり前! あたしこう見えて力結構強いから!!」
ケラケラ笑いながらそんなふうに言う高寺は、文句のつけようのないアイドルフェイスだった。距離感が近くてノリ良く接することができるんだけど、いかんせん見た目が良くてかわいいし、小柄で小動物っぽい雰囲気もあるので……月並みな表現だが、クラスにいたら一番モテそうなタイプだと思う。
だけど、初対面時に限定すれば、こういうノリの良さを好まない人もいるとも感じた。中野は人見知りで不器用な性格の持ち主だろうし、スタジオでの一件を踏まえると、心を閉ざしてしまうのも無理ない。
……などと俺が考えていると、高寺がなにかに気付いたように、ふっと顔をあげる。
「ねえ若ちゃん、ひよりんりん戻るの遅くない?」
「え、若ちゃん?」
「トイレ行って10分くらい経った気がするんだけど」
「若ちゃんってなに?」
「……え、もしかして帰ったとか!?」
高寺がガクーンと口を開け、周囲を忙しく見渡す。
「そうかもな」
「えっ、ウソっ! そ、そんなことない、はずっ!」
「いや帰ったなこれは」
「ひ、ひよりんりんの連絡先知ってる!?」
「そんなワケないだろ」
「そっか……あたしも知らないんだ」
「だろうな」
高寺は焦った顔になるとばっと立ち上がり、左右をしゅっしゅっと見て、
「トイレ……あっち!」
トイレの案内を確認すると、そちらへ走っていく。
「っておい! 待てよ!」
慌てて俺も高寺を追いかける。
が、当然女子トイレには入れないので減速して立ち止まるが、高寺はスピードを落とさず迷わず中に入っていくと……
「ひよりんりんー! まだお腹痛いの~!?」
中から高寺の叫び声が聞こえてきた。新人の声優とは言え、その高い声はよく響き、洩れなくフロア全体に響いた。
そしてその数秒後、ドアを激しくノックする音が聞こえてくる。
それを聞いた瞬間、俺は全身から血の気が引くのを感じた。とともに、自然とひとりごとがこぼれる。
「あいつ、控えめに言ってヤバいな……」
自然と中野風の甘い日本語になってしまう、それくらいの衝撃だった。
ここは渋谷のロフト。トイレには他のお客さんたちがいるだろうし、もし個室に他の人がいたらどうなるのか。違います、って否定してくれるわけないし、てか恐怖で声なんか出ないだろう。
というか俺たちはもう高2である。どんなふうに生きてきたら、胸脇の場でそんなことができるのか。気付けば吹き出した冷や汗で、制服のシャツがぐっしゃりとなっている。
すると、高寺が肩を落としてとぼとぼと出てきた。
「ひよりんりん、帰っちゃったみたい。呼びかけても叩いても反応なかった」
ということは、少なくとも誰かが入った個室をノックしたということである。
よし、決めた。こいつから逃げよう。深入りは危険だ。俺はなにも言わずに後ろを向くと、そのまま歩き出した。同行者だと勘違いされたら、俺まで不審者扱いされてしまうからな……。
しかし、後ろからばたばたという足音が聞こえ、肩をがっと掴まれる。
「ねえ聞いてる? ひよりんいなかったんだって! もう帰っちゃったのかなあ?」
「知らないフリ知らないフリ」
「ちょ、ちょっとなんで知らないフリしてんの! さっきたくさん話したしっ!!」
「すいませんどちらさんですか?」
「そんなことないっ! もう仲良しでしょ!!」
そんなふうに言い合い(?)をしながら、俺たちはエスカレーターを駆け足でくだっていったであった。
今回余談はとくにありません。続きをどうぞ。