24 放課後デート…なのか?4
そんなこんなで俺と中野は、上の階に上がっていった。
俺は基本的に文房具のフロアしか行かないのでほとんど忘れてかけていたが、そもそもロフトは雑貨屋である。
上の階には美容系の商品がたくさん置かれていて、化粧水、乳液、パック、なんかのパック、オイル、なんかのオイル、トリートメント、なんかのトリートメント、フットケア製品、なんかのケア製品……と、なんというか女子力がスゴい。一般的男子高校生な俺にはわからないものがほとんどだ。
アロマが炊かれたエリアもあり、フロア全体がいいニオイに包まれている。
……のだが、デパート一階の化粧品エリアほどのよそ者感は感じず、むしろニオイ自体は非常に心地よい。でも俺、じつは意外と文房具好きだったみたいだし、女子的な感性があるのかもな。
よし、これからはなにかと「自分へのご褒美~」的な発言をしていこう。テストで満点を取るたび、新しい香水を買ったりして。
と、そんなことを思いつつも、ちゃんと上がるのは初めてなので、やっぱり落ち着ききらずに周囲を見回していると、中野が脇腹を小突いてきた。
「あんまりキョロキョロしない。今あなた、完全に不審者よ」
気付くと、俺たちの周囲10メートルから他のお客さんがいなくなっていた。中には、明らかに俺を警戒している様子の女性もいる。
「ほ、ほんとだ。みんな俺から距離を取っている……」
「犯罪者のような死んだ目でウロウロしてるんだから当然ね。パンデミックが起きて世界がゾンビだらけになって、渋谷がゾンビタウン化しても、若宮くんは気づかれないまま生きていそうね」
「誰がゾンビ並に死んだ目だ」
「ま、私としては意外と快適だけど」
「全然嬉しくないな」
俺が凹んでいるのを見て、中野はふふっと鼻で笑うと、トリートメントを手にとって物色を始める。
俺も、目の前にあったものを興味本意で手に取ると……
「さ、さんぜんえんっ!?」
驚きのあまり声を出したが、中野は涼しい顔だ。
「これでも常識的な値段よ」
「そ、そうなのか」
俺が疑うような目で見ていると、中野が不満げにこう返す。
「でも、ノート一冊に500円も出してる人が言うことかしら」
「それは……たしかに」
記録用ノートはそこそこいいやつを使っている。観賞記録をつけ始めたのはたしか4歳頃だが、中学に入ったのをきっかけに、500円するいいやつに変えたのだ。
ただ板書するだけならいつか見返さなくなるけど、観賞記録はそうはいかないから。せっかく観たり読んだりしたのに内容を忘れると損した気持ちになるので、思い出したいときに見返すのだ。
もっとも、俺のことばかり言うこともできないと思ったのか、中野はため息をつくと、手に取ったトリートメントに目を向ける。
「でもまあ、同世代の女の子の中では、いいものを使ってるでしょうね」
「そうなのか」
「中学の時なんか、同じクラスの子が話してるコスメの話、モノが安すぎて全然わからなかったから」
「な、なるほど……」
この子に友達ができない理由がまたひとつわかったような気がしたが、ここで揉めるのもあれなので言わないことにする。
「2ヶ月で1本として、年間2万か。女子って大変だな」
「女の子みんながそうってワケじゃないわ。それに、これも経費に入れるし」
「また出た経費発言」
普通、こういう話をしたら普通の女子なら、「そーなのっ! 美容室にお肌の手入れにネイルに、女の子はとにかくお金がかかる生き物なのっ!」的な流れになるはずなのだ。俺が読んだラブコメではいつもそうだった。なので現実の女子もそうに違いない。違いないよね? 違う?
だが、彼女の場合はすぐ金の話になる。
「あの、バイトもしてない高校生にはわかんないんすけど」
俺としては困惑を表現しただけだったのだが……
「とても簡単に言うと、収入には2種類あるの」
なにを勘違いしたのか、やれやれと言った感じでさらに詳しい説明をし始めた。
「1つは額面、もう1つは手取りね。額面は会社とかクライアントからもらう給料の総額のことで、手取りはそこから年金とか社会保険料が引かれたお金のこと。つまり、手取りが実際に自分の手元に残るお金のこと」
「額面……手取り……」
「私の場合、年金を支払う年齢に達していないからそこは関係ないのだけどね」
「年金……」
わからないのでオウム返しするしかない。
「で、これも基本的な知識だけど、納税額は所得額で決まるの。所得というのは、収入から社会保険料や経費とかを引いた金額。年収500万円の人が2人いても、事業で売上を出すために必要となったお金が0円と300万円だったら、手元に残るお金も全然違ってくるでしょ?」
「たしかに。それでもし納税額が同じだったら不公平だな」
「で、その所得額に5%とか、人によっては50%近くをかけた金額が所得税額になる」
「ん、なんで人によって変わるの?」
「日本は累進課税制度だからよ」
「……」
もともとわからないのに、さらにわからない内容が返ってきた。
「所得が高い人ほど、負担割合も高くなるってこと。要するにお金持ちはたくさん税金を負担してねということね」
「えと。ってことは、経費を増やして所得が低くなれば、払う税金もお安く済む、ってことか」
「その通り。少しは理解してきた?」
まるで先生のようなトーンで言う。なぜ税金のことを高校生の俺が学ばないといけないのか謎だが、今までに聞いてきたどんな教師の声よりも、心地よいと感じてしまう自分がいた。
「ああ、まあな」
そう返すと、中野は少し口元を緩める。
「それで、経費というのは売上を出すために使ったお金のことよ」
「ふむ」
「私たちの場合は、イベントやラジオの公開収録に出るときの服や、資料で買うラノベやマンガ、イベント前に行くエステ代にネイル代……こういうものを経費として申告することで、合法的に納税額を下げることができるのよ」
「なんか、税の話ってややこしいんだな……」
「一度覚えてしまえば、そんなに難解でもないけどね」
そう言いながら、中野はなんかのオイルを物色している。
物色しながらわかりやすい解説ができるというのは、それだけ深く理解しているということなのだろう。
だが、そうは言っても女子高生がこんなふうに饒舌に語れるというのは、やっぱりちょっとシュールに感じてしまう。
「高校生なのになんでそんなこと知ってるんだ?」
「単純な話よ。声優はね、基本的に自分で確定申告するの」
「えっ、自分で!? ……って言ってみたけど、そもそも確定申告ってなに?」
なんとなく反射的に驚いてはみたものの、よく考えなくともそもそも確定申告が何なのか、高校生の俺にはわからない。
だが、中野は呆れたように、小さくため息をつく。
「はぁ……そんなことから説明しないといけないのね」
「いや、べつに説明を頼んだ覚えはないけどな?」
少しだけクレームをつけるかのように言うが、なぜか根気よく教えてく(れ)る中野によって確定申告と年末調整の違いが簡単に語られること30秒。
その後、声優業界独特の、契約事情についての話が再開する。
「……というワケで、事務所によっては違うけど、うちはみんな自分で確定申告をしているの。もちろん、税理士の先生をつける人もいるけどね」
「なんか芸能界のイメージと違うなあ」
「声優の事務所って少し変わってて、所属声優でも実態は『個人事業主である声優と、企業である事務所との業務委託契約』なの。つまり会社員ではなく、給料も歩合制。あ、ちなみに私は確定申告、自分でし始めて今年で5年目だから」
高校2年生にして確定申告5年目……正直、意味不明すぎてなかなか信じられない。
「えっと、本当に高校生なんだよな?」
「そうに決まってるでしょ。じゃあ私が今着ている制服は何なの? コスプレ? まあ、たしかに私は人より大人っぽいけれど」
「そういう意味じゃねーよ。高校生が確定申告って、親はどーしたんだよ。手伝ってくれないのか?」
すると、その問いに中野は一瞬静止。目を見開いたようにし、先程よりも小さな声で返答する。
「そうね。残念ながら手伝ってはくれないわ。だから自分でやるしかないの……」
そう答える様子はどこかさみしげで、自分に言い聞かせているかのようでもあった。
なるほど、中野の両親はなにげにスパルタらしい。まあ、子供の頃に芸能界に入れる親だから、普通とは違う教育思想を持っていてもおかしくないよな……。
まあそれはそうとして。
涼しげな表情から繰り出される、一見清楚で、社会のことなんか何にも知らなさそうな、汚れを知らない瞳の黒髪女子には似合わない単語の数々。
なにを言ってるのかわからない&理解できないことばかりで、正直、俺は言葉に詰まるほかなかった。
「まあ、まとめると」
そんなふうに内心狼狽しているのが伝わったのか。
中野は俺のほうを向くと、両手に持った化粧水やトリートメントやらを掲げながらドヤ顔で言った。
「声も髪も肌も顔も、全部キレイな清純派声優であり続けるには、それなりにお金がかかるということね」
「……いや、散々金とか節税とか話されて清純派と言われましても…」
男、若宮惣太郎、渋谷ロフトでの本音である。
と、そんなふうに俺が中野から醸し出される謎の自営業者感に戸惑っていると。
「あれ、もしかしてひよりんりん……?」
少し離れた場所から、ひとりの女の子の声が聞こえてきた。