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23 放課後デート…なのか?3

 結局、中野は便箋を5つほど購入した。どれもかわいく、中野が出せばきっとおじさん受けすること間違いなし。たとえ、セレクトが俺だったとしても、まあバレないしな。

 

 レジを出ると、先に支払いを済ませていた中野が話しかけてくる。


「若宮くん、文房具に詳しくて、正直驚いたわ」

「そんなにか?」

「ええ。どこになにが置いてあるか隅々まで把握してるし、このマーカーはどうとか、聞いてもいない雑学を挟んでくる。見た目的にそんなふうには見えないから……控えめに言ってちょっと気持ち悪かったわ」

「中野。控えめに言ってってのは、控えめに言って最高~みたいな、こう褒めるときに使う言葉だろ。つまり控えられてない。声優なのに言葉の使い方が甘いぞ。やり直し」

「気持ち悪かったわ」

「シンプルになった分、余計くるものがあるな。しかも即答はやめろ。せめて少し考えてから言え」

「そぎ落とされたシンプルな台詞は、ときに人の心もそぎ落とすのね」

「なに上手いこと言ってんだよ」

「いい役者はアドリブ力にも秀でているということよ」


 アドリブ力というより、たんに殺傷力が高いだけな気がする。


「それで若宮くんは、なにを買ったの?」

「んと、ノートに各種のペン、替えの芯、マーカー、そしてノートだ。ノートは普段学校の授業で使っているやつと……うん」

「やつと? 今、言いよどんだ?」

「いや気のせいだ」

「そう……」


 すると、中野は少し不思議そうな表情を浮かべながらもそれ以上は聞かず。


 そして、フロア中央にあるエスカレーターに視線を向ける。


「若宮くん、上の階に寄っていいかしら」

「上?」

「化粧水とかトリートメントを買っておこうってかなって。もしかして、行ったことないのかしら」

「俺が用があるのは文房具だけだからな」

「はいはい」

「文房具も用があるのは俺だけだ」

「それは違う」


 中野が秒速で否定する。うん、気が大きくなってたせいで思わず言っちゃったけど、そりゃそうだよね。


 と、そんなふうに、中野に対しては「気のせい」と言った俺だが、実際のところ、購入品の中のノートに言い及んだとき、俺は実際、言いよどんでいた。 


 じつは俺が1年の学年末の数学のテストに失敗し、補講を受けることになったある出来事に、そのノートが関わっていたからだった。



   ○○○



 1年3学期の期末テスト最終日。


 今でも忘れない……と言いたいところだが日付は忘れた日。

 

 俺は学校の最寄り駅に向かう電車内で、最後の復習に励んでいた。間違えやすい問題だけを抜粋したお手製の特製ノートで、苦手な問題を繰り返し頭にたたき込んでいたのだ。几帳面な性格なので、テスト勉強も独自の問題集を作るのは、中学時代から続けている習慣だった。


 しかし、そんな復習時間は、思わぬ出来事で中止することになる。後ろから「助けて……」という声が聞こえてきて、振り返るとそこには隣のクラスの、一度も話したことのない美少女が痴漢されていたのだ。


 それを見た俺は正義感のまま、相手に鉄槌を食らわせ、みぞおちにも一撃を入れ、次の駅で男を引きずり下ろし、殴られそうになったから軽やかなフットワークでそれを回避しつつジャブを入れ、駅員に引き渡し、相手の女子から惚れられて……というのは全部俺の妄想で、実際に痴漢されたのは俺だった。


 もう一度言おう。


 痴漢されたのは、驚くべきことに俺だったのだ。


 当時のことを思い出すと、今でも胸の奥に黒い感情がわき上がる。なので思わず現実逃避してしまったが、許してほしい。


 以下、そのときの経緯を紹介しよう。


 俺はその日、いつものとおり電車に乗った。すでに何度か書いているとおり、自宅の最寄り駅から高校の最寄り駅は、電車で2駅の位置関係。ゆえに乗車時間はせいぜい5分程度で、混雑ゆえに他の客と密着しても、耐えることができていた。


 すると、ドアが閉まってすぐ、先に乗っていたひとりのおじさんサラリーマンが俺の後ろに移動してきた。中肉中背でメガネをかけ、頭髪が少し薄くなった……という感じの、本当に普通な容姿のオッサンだ。


 最初、俺は気にもとめていなかった。混雑した電車内では、少しでも楽な体勢になれるようにお互いの立ち位置を調整したり、場所を少し移動するのは普通の行動だから。


 だから、俺のお尻にオッサンの手が触れたときも、電車の揺れが原因だと思った。電車の揺れで、手が偶然当たってしまったと思ったのだ。


 しかし、何度か触れたのち、その手の動きが明らかに意思を持って動く。明らかに偶然触れた感じの手つきではなく、「触ってやろう」「揉んでやろう」という感情を含んだ動きだったのだ。


(こいつ、思いっきり痴漢やないか……)


 そう胸のなかで思うが、俺はなにもできないでいた。怖すぎて、体が動かなかったのだ。


 痴漢被害に遭った女性に対し、「なんで声をあげなかったんだ」と言う意見が投げかけられるのをネット上で見かけることがある。


 だが、実際に自分がその被害に遭ってみると、動けないのも納得だった。だって普通に生きてて、知らないオッサンからケツ触られるって想像するワケないんだもん。むしろそんな想像をして生きていたらかなりマズい社会だ。


 もし勇気を出して言ったとしても、他のお客さんに「男が男に?」「勘違いだろ」と思われるんじゃないかとも思ったし、なんなら「もしかして周りのお客さんは俺が痴漢されてることに気付いてて、あえて黙ってるんじゃないか」「こいつ痴漢されてるよって笑われてるんじゃないか」という気持ちにすらなっていた。なんていうか、「見知らぬ人にケツを触られる」という非日常すぎる体験をして、周囲の人が誰も信じられなくなってしまったのだ。


 しかも、見た目がマジで普通のオッサンで、それも恐怖の一因だった。これがもし、明らかにヤバい目をした人とかだったら病気等の可能性を考えられるが、本当にマジで普通な感じなのだ。


 そして、俺がそんなことを思う間も、男の手は尻を撫で回してきた。サスサスとモミモミの中間のような絶妙な手技は、俺を置物状態にするには十分で、そして、ついに、お尻の反対側にも手が伸びてきて……。


 やっとのことで電車が次の駅に到着し、俺は迷うことなく飛び出した。そこから一心不乱に走り、階段を降りていく。気のせいか耳の後ろがパカパカ言っている気がしたが、恐怖のあまり後ろを振り返ることはできなかった。


 そして、トイレに逃げ込むと、俺は30分近く震えていた。人生のなかで間違いなく一番怖い経験だと思ったし、今後これを更新するイベントはないんじゃないかとすら思った。


 怖い、痴漢マジで怖い……。


 実際に目撃したことはなかったものの、当然ながら痴漢という行為が世の中にあることは知っていたし、創作物でも何度も読んでいた。


 ラノベやWEB小説では最近とくに多くて、「痴漢に遭っている女の子を助けて仲良くなる」とか「ナンパされてる女の子を助けて仲良くなる」的な話はたくさん読んでいたし、俺としては「もはやパクりにもならない、みんなが自由に使っていいテンプレのひとつ」的な見方すらしていたのだが、ごめんこんなに怖かったんだね……そして、男も痴漢に遭うことがあるとは誰も書いていなかった……。


 その後、気持ちがようやく落ち着いてくると、例のコンテンツ観賞用ノートがないことに気付いた。リュックを開けたまま走った結果、飛び出しまったようだ。パカパカ音はそれだった。駅員室に行ったがそれは届いておらず、「また夕方にでも来てください」と言われたのだった。



 その後、俺はその日がテストだったことを思い出し、歩いて学校へ向かった。駅員室にはかろうじて行けても、すぐに電車に乗る気分にはなれなかったのだ。


 このせいで大幅な遅刻をしてしまい、教室に入ったのは数学のテストが終了する5分前。結果的に、酷い赤点になってしまい、人生初の補講を受けるに至ったのだった。



   ○○○


 と、ここまでだとノートをなくした話だが、じつはそのノート、不思議な展開で俺の手元に戻ってきている。


 その日の帰り道、俺は念のためにふたたび駅員室に寄ってみたのだが、そこにそのノートが届けられていたのだ。


 そのとき、駅員さんはこんなふうに俺に説明してくれた。


「高校生くらいの女の子がついさっき届けてくれたんだ。落とし物を届けてもらったときは紙に連絡先とか書いてもらうことになってるんだけど、ちょうど切らしてて奥の事務所に取りに行ってたらいなくなってて」


 そして、家に戻ると、俺はノートの異変に気づく。テキトーにぱらぱらめくっていたところ、一番新しいページに、こんな文言が書き込まれていたのだ。


『君、めっちゃ頑張り屋さんだね!! 分析とか意見とかすっごく面白かった!! 勝手に落書きしちゃうのごめんだけど、どうしても気持ち伝えたくて!! ありがと知らない男の子!!!』 


 細めのボールペンで書き込まれたメッセージを、俺は思わず読み直す。


 元気の良さが伝わってくる、勢いのある文字で、もともと少ない余白にそれなりに大きな文字で書き込んでいるものだから、メッセージはページ右上から左下に向かっていた。計画性のない書き方だ。


 そして、そのメッセージの隣には書き慣れた筆記体で「M」と書かれていた。


(勝手に読んで、しかも書き込んで……届けてくれたのはたしかに感謝だけど……)


 俺はすぐに受け入れることにする。諦めがいいせいで、怒りが長持ちしないのは俺の長所のひとつだ。


 だが、今でもときどき疑問に思う。


 ノートを拾って、そこに遠慮の概念なく、しかも赤のボールペンで想いを書き込んできた女の子は、果たしてどんな子だったんだろうかと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「そぎ落とされたシンプルな台詞は、ときに人の心もそぎ落とすのね」 来ましたね! これがラッコさん節ですね! 私にストライクでした!
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