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20 屋上での交渉2

 ……と、こういう経緯で、中野が今持っているのは、石神井用に作ったテスト対策用ノートなのである。


 これまで自分以外のためにノートを書いたことはなかったが、実際に作ってみると石神井が苦手そうな問題を参考書から探してきたり、解答をわかりやすく説明する方法を考えたり、いつもとは違う角度から勉強できて意外と楽しかった。


 もちろん、その分だけ想像力も必要で、ああでもないこうでもないと結構考え込む時間も必要に。このような諸事情の結果、当初1~2時間の予定だった作業は10時間以上におよび、総ページ数は全教科で30枚をオーバーしたのだった。


 しかし、結果的には自分の勉強にもなったし、自分のための勉強より正直楽しかったので、オッケーだ。10時間ってのも、絵里子に費やしてきた時間に比べれば一瞬だし。


 そんな一冊を見ながら、中野は体を硬直させながら、少し震えた声で俺に語りかける。


「あなたたち、たまに教室でいちゃいちゃしてると思ったら、やっぱりそうだったのね」

「なんか重大な勘違いしてるけど。違うから、断じて」

「違うんだ」


 首をかしげると、中野はすぐに納得した表情に変わる。


「ああ、わかった。つまりこれは、あなたから彼への一方的なラブレターなのね」

「おい、正解から遠くなったぞ」


 石神井との関係性を、本気で誤解されてるかもしれない。クラスの他の人にも、ちゃんと弁解しておかないといけないかもな。まあ、大半が話したことない人だから弁解しようがないんだけど。


 そんなことを考えている俺をよそに、中野はキレイにまとめられたノートをしげしげと見ながら、「信じられない」と言った顔をため息をつく。


「これ、すごいわ。テスト対策と言いつつ、おそらく石神井くんの苦手そうなところに特化してるんでしょうね。だから簡単な問題でも彼が苦手そうと判断していれば入ってるし、逆に難しそうなとこでも解けそうなら除外されている」

「その通り。鋭いな」


 俺が自慢げに返すと、中野は驚き半分、呆れ半分という感じでつぶやく。


「一体、何時間かかって作ったというのよ」

「10時間くらいかな」

「じゅ、じゅうじかんっ!?」


 中野が大きな声を出し、その場で軽く飛び跳ねるようにして驚く。


「でも自分の勉強にもなったし、楽しかったよ。教科書とか参考書を作ってる人の気持ちがちょっとわかったというか」


 俺の言葉を、中野は魂が抜けたような表情で聞く。よほど驚いたのか、心ここにあらず、といった感じだ。


「だからさ。俺にとっては正直、普段の授業のノートを貸すくらいなんてことないんだ」


 そう言うと、中野は再びノートに視線を落として、ページをぱらぱらとめくり始めた。ここまでは予定通り。あとは中野がどう出るかだが。石神井たちと話した限りでは、「普通の生徒なら受け入れるだろう」と結論づけたが……はたして、中野は普通の生徒か。


「若宮くん。ちょっといい?」


 頭の中で考えていると、気付けば中野が俺を手招きしていた。


 言われたとおりに、俺は立って歩み寄る。


 あ、そういや名前で呼ばれたの初めてかも。事務所に軟禁されたときは「こんなの」とか言われてたもんな。


 だが、そんなことを思っていると……


 バシッ!!!


 突然、頬に熱い痛みが走った。いきなり立ち上がった中野に、思いっきりビンタされたのだ。俺は尻餅をついてその場に倒れ込んだ。



   ○○○


  

「いってえ……い、いまビンタしたっ!?」

「ええ、そうよ。ビンタしたわ」


 中野は俺を見下ろしながら、涼しげな表情で言う。


「あなたがあんまりにもお馬鹿さんだから、教えてあげないとって思って」

「お馬鹿さん?」

「ええ、そうよ。信じられないほどのね」

「ちょっと待てよ。俺がなにしたって言うんだよ。俺はただ、中野にノート貸すなんて石神井用のノート作るのに比べりゃたいしたことないって」

「そこが違うのっ!!」


 屋上に響いた声に、俺は思わず息をのむ。


 みると、さっきまで涼しげな顔をしていた中野が、頬を赤らめ、怒りで震えていた。


「あなた、このノートをタダで作ってあげたんでしょ?」

「そうだけど」

「それで、相手が喜んでくれたからオッケーとか思ってるんでしょ」

「そうだけど」


 すると、中野は感情の高ぶりを抑えるかのように、静かに口を開く。


「いい? 労働にはね、必ず正当な報酬がないといけないの。それはこの世界を生き抜く上での超・超・超重要事項よ」

「……え?」

「生きていくためには、報酬や対価が必ず必要なの。タダ働きは決して許されない。私の仕事はね、形のないモノを売る仕事だから、時々タダでやってもらえませんか? って言われることがあるの。たしかに声を出すのはタダよ。でも、それも日頃のトレーニングや10年間の経験あってこそ」

「な、なにが言いたいんだよっ! 今それ関係なくね!?」


 俺が上半身を起こしながらそう言うと、中野はさらに険しい表情になる。


「関係なくなんかないわ。あなたのノートも同じだって言いたいの」


 ノートをめくりながら話す中野の言葉は、次第に抑えがきかなくなっているのか、次第に荒く、語気が強まっていく。


「あなたが勉強から逃げず、ずっと真面目に向き合ってきたから、これだけ見やすくて役に立つノートができるわけでしょ」

「ずっと、真面目に……」

「そんなの、他の生徒では無理だわ。少なくとも、私には絶対作れない。つまりこれは、若宮くんにしか作れないノートなの」


 思わぬ褒め言葉に声が出ない。中野はノートを持った両手を震わせながら続ける。


 すると、中野はなぜか悔しそうな表情に変わる。


「価値だけで言えば……そうね、もし私用に作ってくれたとして、私なら3万円出すわ」

「さ、さんまんえんっ?」


 思わず大きな声が出る。


 一瞬からかっているのかと思ったが、中野の顔を見ると、至って本気なことがわかる。


「それくらい素晴らしいノートなの。なのに、あなたはそれを無償で提供しようとしてる。必要のない自己犠牲をするなんて、あなたはとんでもなく大馬鹿者よっ!」


 なんだろう、この不思議な気持ちは。


 中野の主張は要するに「正当な対価を支払ってもらえ」ということなのだろう。だけど、顔と成績にギャップがある以外ごくごく普通の高校生である俺には通じにくいし、説教としてなかなかにおかしい。 


 というか、俺じゃなくとも働いてない人が多い高校生にはピンとこない価値観じゃないだろうか。社会人なら、普通なのかもしれないが…。 


 やっぱこの子、ズレてないか、かなり…?


 加えて、中野は怒りながらも俺を褒めている。褒められること自体は嬉しいのだが、顔や言葉は怒っているので、反応に困る。怒りながら褒めるって、なんか謎なプレイみたいだな……。


 しかし、少なくとも作戦が裏目に出てしまったのは間違いない。状況を打開しようと、俺は言葉を選びながら言い返す。


「たしかに、中野の言うこともわかるよ。石神井にお金とかもらってないし。でもさ、そうじゃないとこでたくさん世話になってるんだよ」

「どういうこと?」


 ぴくんと顔を上げた中野に、俺は続ける。


「俺、子供の頃から人見知りで、友達とかもあんまいなくて、自分から他の人に話しかけるのが苦手なんだ……でも、石神井はそんな俺に去年話しかけてくれて。色んなところに遊びに連れて行ってくれたりしてさ。そういうの、すごい助かってて……だからさ。なんていうかさ、お金とかそういうのじゃないんだよ」

「ふーん」

「あとは最近、石神井経由で他の人とも喋ったりとか」


 本天沼さんを思い浮かべつつそう話すと、中野は少しだけ納得した顔を見せる。


「なるほど、リターンは人脈ということね」

「いや、それはなんか違うような」

「違うの?」

「あのさ、前にここで話したとき、言ってただろ? 仕事をする上で、お互いが対等であることを大切にしてるって」


 中野が静かにうなずく。


「たしかに俺は仕事のことはわかんないよ。仕事のときの中野が抱えてる辛さとか苦しみも。だからもし、俺が中野のことを『かわいそう』って思ってるように見えたなら、それは謝る。でも……」

「でも?」


 中野が顔を上げて、伺うようにこちらを見る。


「中野が信念を持って仕事してるのと同じように、俺も自分なりのポリシーを勉強してるというかさ……もし、と、友達……的な人が助けを求めてきたら、いつでも助ける……って」


 恥ずかしいことを言っているような気がして、そしてそもそもそんなポリシーなどなく、今回のためについたウソということもあって、中野の顔が見られない。


 だが、そんな感情とは反対に、言葉が自然と自分の奥から溢れてくる。


「俺、昔から誰かが困ってるのを見ると放っておけないんだ。電車でお年寄りが乗って来るのが少しでも見えると、自分が座っているのが悪いような気がして、優先席でなくても立っちゃうとか、そういうの。自己満足って言われたらそうかもしれない」

「あなたがしたくてしてるなら、それは自己満足だわ」

「だよな。自己満足だよな。正直、親切にしないと後で自分が『親切にすれば良かった』って思うから、それが嫌でやってる部分もあると思う」

「ある意味、自分勝手とも言えるわね」

「……でもさ。それで、相手からなにももらえないかって言うと、違うんだよ、たぶん。誰かの手助けをしたとき、俺、なんか嬉しくなってつい笑っちゃうんだ。自分いいことした、役に立ったって思って。客観的に見ればキモいかもいしれない。でも、否定はできないはずだ」


 中野はなにも言わず、黙って俺の言葉を聞き続ける。


「俺にとっては、それで十分なんだよ。社会を知る人からみれば甘い考えかもしれないけど……」


 どこか、自分に言い聞かせるように俺は言葉を続ける。


 絵里子と暮らしてきて十数年。仕事や家事はもちろんのこと、育児もできず、生きてるのがやっとだった状態の母親。


 そんな彼女になにかを期待するということはできなくて、だからこそ日々の「ありがとう」とか、「今日はわりと体調良く過ごせてるみたいだな」と思うこととか、そういうので十分だと感じてきたのだ。


 だから、正直、中野からお金という対価を欲しいとは思えない。


「甘い。甘すぎるわ。お人好しの戯れ言よ」


 しかし、彼女はなおも反論を試みる。


「でも、ここは学校だろ? 中野が言うように、社会で生きていくために大切なこともあると思うけど、学校で生きてくために大切なこともあると思う」


 そこまで一気に言い切ると、俺はそっと添えるように続ける。


「そして、そのふたつって全然違うことじゃないかな」


 俺がそう告げると、中野ははっと驚いた顔をして俺の顔を見る。


 そしてその数秒後……ぺたんとその場に座った。


「あなたの言うことも、一理あるわね」


 遠くの空を見て、物思いにふけるような顔をした中野が、そうぽつりとつぶやく。


「社会で生きていくために大切なことと、学校で生きていくために大切なことは違う、か」


 その横顔からは、もう怒りの色は感じ取れない。ただ、そこに彫刻品のような美しい横顔があるだけだった。


 どうにか、納得させることができたようだ。


「たしかにそうね。働いたことのない子供に労働の対価とか話すのは無理があるわね」

「だからそのウエメセなんだよ……てかそっちもまだ子供だろ」

「あなたと話していて、初めて納得させられたわ」

「悪かったな、説得力のない人間で」

「説得力のなさに関して言えば、あなたの前に出る人はいないかもね」

「それを言うなら右に出る、だろ。前に出たら説得する気満々じゃねーか」


 俺がそう言うと、中野はふふっといたずらっぽく笑った。


「でも、それでも私はあなたに甘えるワケにはいかない。それは、私のポリシー」


 その言葉に呆れて、思わず言い返す。


「強情だなあ。いいか、これからもっと勉強難しくなってくんだぞ!? なのに、休んだり早退遅刻ばっかしてて……」

「だから!」


 中野は澄んだ声で俺を制すると、斜め前を向き、視線を外す。


「……今度、なにかご馳走させて。コーヒーとか……ノート貸してもらう対価としておごるから……」


 そう言う彼女は、いつもよりもどこか大人っぽく見えた。


 そして、自分の言ったことを理解したのか、次第に頬が赤くなっていき、もともと白い肌は真っ赤に。昼なのにまるで夕日に照らされたようだった。


 そして、突き放すかのような素振りで言う。


「勘違いしないで頂戴ね。べつにあなたに心を許したわけではないし、私はその対価を支払うだけ。お礼と思われるのも違うというか」


 言い訳するかのような口調で述べる中野に、俺は静かに告げる。


「わかってるよ、そんなこと言われなくても。俺はノートを貸すだけ。中野はその対価としてコーヒーをおごるだけ。それだけだ」


 中野は俺のほうを向くと、コクンと、小さな少女のようにうなずき、そして不器用に少しだけ、ほんの、ほんの少しだけ笑った。

朗報です!そろそろ2人目の女子高校生声優が登場しますよ!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「……今度、なにかご馳走させて。コーヒーとか……ノート貸してもらう対価としておごるから……」 おお! これは蟻の一穴ですか! 物の価値を分かっている子だけに貴重なお言葉ですね!
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