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19 屋上での交渉1

 それから数日後。


 また、昼休みである。


 屋上に出ると、前と同じように中野がひとり、昼食をとりながら教科書を広げていた。今日も昼飯は弁当箱に詰めたサンドイッチの様子。手が汚れず、勉強しながら食べやすいからそうしているのか……と思うものの、前と同じで中身の量が揃っておらず、一部がパンの横に添えてあるので、よく見るとプラスチックの、先がフォークな水色のスプーンも添えてあった。


(手で掴んで食べられるという、サンドイッチ最大の長所が無効化されてる……)


 頬を膨らませながら、もぐもぐしてページをめくり、もぐもぐが止まり、少し経ってもぐもぐを再開して……というのを今日も繰り返している。黙っているとツンとした印象を受ける中野だが、小動物的な動きは彼女に愛らしさを与えていた。


 サンドイッチに向かって「私の天然!」と叫んだ天然な中野だが、無意識の行動もよく見ると面白い。『ハムスターローテーション』とでも名付けようかな。略してハムロテ。某アイドルの『ヘビロテ』は俺には良さがわからないが、ハムロテの良さならわかる。


 そんなどうでもいいことを思いながらゆっくりと近づくと、気配に気づいて中野が顔を上げる。


 また冷たい視線を投げかけられるのかと思いきや、意外にも怒りなどの感情は見られなかった。ただ、無表情で何を考えているのかは読み取れない。整った顔がまばたきもせず、俺のことをじっと見つめているだけ。


「いつも教科書読んでるんだな」


 俺は声をかける。話しかけ見知りを自負するだけあって、今まで自分から誰かに声をかけるということがずっと苦手だったが、仕事だと案外できるらしい。


 そんな発見に気づいていると、壁を感じさせる、ヒンヤリした声が届く。


「べつに好きでそうしてるわけじゃないけどね」

「そういう意味で言ったんじゃねーよ。台本とかは読んだりしないのか?」

「するわけないでしょう? 自分は声優です~って宣言してるのと同じだし、落としたりでもしたら大変だわ」


 声に関しても、思ったより落ち着いた感じで、少なくとも前のような拒絶感は感じられなかった。


 なので、話を続けてみる。


「大変?」

「まだ放送していないお話が、普通に載っているからね」

「ああ、そういうアレな」

「機密情報だから、損害賠償がなかったとしても、そのあとの関係性に響くし」

「ふむふむ」

「あなたって、アニメに関心あるのかないのかわからないよね。フラットというかさ」

「そ、そうかな?」


 どこか見透かされたかのような気持ちになり、俺は思わずドキッとして聞き返す。

 しかし、中野はそれ以上言わないまま、


「まあいいわ……」


 話を戻す。


「あと私の場合、自分のセリフを丸つけてるから誰が落としたかすぐわかるの」


 そこまで言うと、中野はふうと小さくため息をつく。そして、なにを思ったのか、広げていた教科書を膝の上に置いた。


 それが「話してもいい」という無言のサインだと俺がわかったのは、数秒経ってからだった。


「……よいしょっと」


 なので、俺は少し離れた場所に座る。その際、一瞬、中野の顔に緊張が走ったのを感じるが、すぐに元の顔に戻った。


 彼女と同じように、俺も持ってきていた弁当箱を開く。もちろん、今日も自炊。昨夜の晩飯の残りを入れつつ、朝ちゃちゃっと焼いた鮭、鳥の照り焼き、卵焼き、焼きブロッコリーなどが入ってある。


 俺が普通に弁当を食べ始め、攻撃してこないと確認できたのか、中野は定規でまっすぐ引いたような、落ち着いたトーンで話し始めた。


「劇場版アニメとかになると、劇場版アニメは公開の1年近く前に収録していることもあるのよ。プレスコのこと多いから」

「へ……プ、プレステ?」

「プレスコって言うのは、映像とかアニメーションができる前に収録することよ。アフターレコーディング、アフレコの逆ね」

「へー」

「そんなことも知らないのね」

「俺声優じゃないから……ちなみにプレスコってなんの略?」

「なんの……プレ……プレ……たとえば今読み込んでいる台本は来年の1月公開のやつ」

「わかんなかったんだな……話題転換が強引すぎるぞさすがに」


 ツッコミを入れるが、彼女はツンとした表情のまま、スルーしてそのまま会話を続ける。


「そんなだから、学校には持ってこないようにしているの」

「1月ってことは……8ヶ月も先か」

「もちろん、結構ギリギリに収録することも多いけど。収録の前日に台本渡されるとか」

「え、前の日に?」

「テレビで流すアニメだと、スケジュールはタイトになりがちなの。収録は基本週一回だけど、長引いたり、別の日になったりもあるからね」


 なるほど、だから早退とかが多くなっちゃうんだな。


「アニメ、ゲーム、ナレーション、吹き替え。最近は『声優=アニメ』ってイメージがあるけど、実際はいろいろやってるの。それぞれ求められることも全然違うしね。ま、ことわざで例えるなら……ってとこかしら?」

「ことわざ浮かばなかったんだな……まあその状況表すことわざって思い当たらないけど」


 それのなにが悪い、という感じで中野はツンと黙ったままだ。


「でも、なんていうか……すげえな」

「えっ? 今なんて?」


 中野が聞き返す。高校生に通じるはずがない……と思ったのかは不明だが、完全にはもちろんわからなくとも、彼女がプロとしてきちんとやっていることは俺にもわかった。


「すごいって言った。普通に尊敬だわ」


 なので、言い直さないで言い直す。


 家事と学業を高いレベルで両立していると自負していた俺だったが、マルチタスクと言えど2つ。同時並行で多くの作品を掛け持ちする声優の仕事には、及ばないのかも……と思わざるを得なかったのだ。


 すると、中野は急に顔を真っ赤にした。


「そ、尊敬って……そ、そんなこと言ってもサンドイッチくらいしか出ないわよ?」

「昼飯差し出すって結構気前いいだろ」

「じょ、冗談」


 強い口調で言うが、彼女の顔は赤いままだった。いきなりの反応で、どういう理由か俺にも見当がつかない。


「……ってなんで私、あなたに仕事の話しているのかしら」


 そして、そんなふうに言うと、むーっと表情を強ばらせる。話しすぎてしまった自分が、自分でも信じられない、といった感じだ。


「べつに誰にも話したりしないし。それに、そうやって誰かに話すことも大事だと思う。仕事関係の人だと話せないこととか、あるだろ」


 一応フォローしてみると、中野の目に、ほんの少し冷たさが宿る。


「またそうやってわかったような口をきいて。私を怒らせたくせにあなた、勉強はできても学習しないのかしら」

「オヤジからたまに仕事の愚痴とか聞くからな。会社の人には言えないとか言いながら。中野もたぶんそうなんじゃないかって思っただけ」

「お父さん……か」


 中野は、どこか懐かしそうな口ぶりで、その言葉をつぶやく。


「だからこれはわかったつもりとかじゃなくて、ただの予想だ。違ったら謝る」


 そう言うと、中野はふっと笑って、どこか遠くを見るような目をする。


「まあ、外れではないかしら。たしかに、マネージャーや事務所の人には言いにくいこともあるから」


 その声にはほんのりと憂いが帯びており、穏やかで生ぬるい春の風には、少し不似合いにも感じられた。


 こうやって少し話しただけでも、中野の表情、声色はころころと変わり、一瞬たりとも同じものを見せない。教室では分厚い眼鏡をかけているせいで、その無表情さが際立っているが……屋上で会う彼女は正反対だ。クールなビジュアルな分、そう見えてしまうが、実際は声色に感情がにじみ出ている。


「あ、そうだ」


 そんなふう思っていると、中野が思い出したようにつぶやき、カバンの中からハンカチを取り出した。俺が先日、中野の教科書を拭いた、あのハンカチだ。


「これ、返しておかないと」

「ああ……」


 俺は立ち上がると、中野のもとに近寄り、それを受け取る。きれいに折りたたまれたハンカチは、柔軟剤のいい香りがして……と、その瞬間、風がふっと吹いて、風上にいる中野から同じ香りが俺の鼻にまで届いた。彼女の家で使っている柔軟剤の香りなのだろう。


(……ダメだ、危うく今日の目的を忘れるところだった)


 煩悩を振り払うと、俺はまるでハンカチと交換するかのような流れで、カバンから1冊のノートを取り出し、中野の前に差し出した。 


 それが何であるかを確認すると、中野はぷいと目を逸らす。


「だから言ったでしょう。あなたにノートは借りない、あなたの力は借りないって」

「違う。これはお前に貸すノートじゃない。よく見てみろ」


 俺が否定すると、中野が「えっ?」と驚いたように振り向く。


「見たらわかる」


 俺が顎でくいっとすると、おずおずと手を伸ばし、中野はそれを受け取る。開いて、中を見ると…


「な、なにこれ」


 中野が驚いたのは言うまでもない。


「それは……俺が石神井のために、石神井のためだけに作った、テスト対策用特製ノートだっ!!!」


 気づくと、俺はそう叫んでいた。



   ○○○



 話は一瞬、駅前マルイのフードコートに戻る。


「俺に、テスト対策用ノートを作らせてほしいんだ」


 俺の提案に、石神井と本天沼さんは、当然のように顔に「?」を浮かべた。


「ん、どういうこと?」


 尋ねる石神井に、俺は答える。


「その子、授業よく休むんだけど、他の人に全然ノート借りないんだよ。で、結果的に真っ白なノートで、先週の内容を想像しながら授業を受けてる……って感じになってて」

「それは、んん……効率、悪そうだね」


 んーと辛そうな顔をする本天沼さんに俺は頷き、話を続ける。


「だから、そこで石神井の登場。もし俺が学校で友達のためにテスト対策用のノートをわざわざ作ってるって知ったら、塾の授業のノートを貸すくらい、俺にとってはどうってことないって伝わるんじゃないかなって」

「なるほど、それは一理あるな……でも、若宮はそれでいいのか。俺としては正直ありがたすぎるし、もしこの話がクラスの他の人に伝わったときのことを思うと、興奮で夜も朝も眠れないけど」

「こらこら石神井くん……そのビジネスホモ、いい加減にしないと、さすがの私も怒るよ?」


 温和に微笑んだまま、本天沼さんは指をボキボキする素振りを見せて、暴力的な言葉を吐く。なお、ボキボキの素振りを見せてるだけで、実際に音は鳴っていないのがポイントだ。だんだん石神井といるときの本天沼さんのノリをつかんできたぞ。


 すると、わざとらしく両手でガードの姿勢をしながら石神井が続ける。


「若宮は面倒じゃないのか。わざわざ人のためにノートなんか作って」

「大丈夫。人がわかるようにするってのも、勉強になるかなって」


 本天沼さんは石神井に威嚇を送り終えると、俺のほうを向いてうなずく。


「でもいいと思うよ、その考え」

「そうかな?」

「うん……普通に説得力あるしね」


 そして、かわいらしく首をかしげて微笑むと、好奇心にあふれた黒い笑顔に変わって本天沼さんは言った。


「それに。私ね、若宮くんの作ったテスト対策用ノート……純粋に気になる!」

余談です。


ひよりちゃんはど忘れしてしまったようですが、プレスコは『プレスコアリング』の略です。

アニメではほとんど映像が完成していない状態で収録することも多く、中にはすげーラフスケッチ状態なことも。筆者は仕事で試写の試写的なとこに行ったことあるんですが、あんまりにもラクガキ状態なのに迫真の演技なので、「よくこれであんなふうに演じられるな……」と思ったことがあります。演技力というより、想像力が問われそうだなと思ったんですよね。

俳優さんが劇場版アニメの声優をしてイマイチに感じてしまいがちなのは、アニメぽい演技ができないというのだけでなく、映像が完成する前に収録することがあるから、という理由もあるかもしれませんね。

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