17 悪友たちは画策する1
結論から言うと、俺の「学校イチの隠れ美少女にノート貸すぞ大作戦!」は盛大な失敗に終わった。
作戦の指示、情報伝達など敗因は色々あるが、まとめると、思わぬ地雷を踏んでしまったらしい、ということに尽きる。
ノートを貸す。そう告げた瞬間、中野の顔には確実に喜びが浮かんでいた。いや、それだけじゃない。安堵のようなものも、含まれていたように思う。
きっと、彼女は不安だったはずだ。誰とも話さない、誰にも頼れない高校生活で、真っ白なままのノートとひとり向き合い、なにがわからないかもわからないような苦しさの中で抗って……。
だからこそ、俺の申し出は、ずっとひとりきりで苦しんできたことからの解放を意味する……そんなふうに、感じたのではないだろうか。
だが、彼女は、それを許さなかった。
俺の、上から目線な空気を含んだ申し出を断ることでどんなプライドを守ろうとしたのか。正確には俺にはわからないし、容易にわかろうとするのも間違っているだろう。先天的にせよ後天的にせよ、人間にはそれぞれ背負っているものがあり、その重さは当人にしか知り得ないものだからだ。俺の母親周りの話も、理解できるやつなんか滅多にいないだろうし。それと同じだ。
「まあでも、これで美祐子氏との約束は果たしたよな。断ってきたのは想定外だったけど、俺にしては頑張ったほうだし……」
自然と、小さな声がもれる。
そうだ、これで美祐子氏にはちゃんと言うことはできる。提案はしたし、悪いのは断った中野のほうだ。あいつにだってプライドはあるかもしれないけど、そんなの、まだ数回しか話したことがない俺に理解してもらおうと思うのが間違っている。つまり、俺はなにも悪くない。
「……でも、このままでいいのかなあ」
自己正当化のあとで、そんな女々しい嘆きの感情が浮かんできた。
実際、本当にこれで良かったんだろうか。このままだと、中野は確実に成績を落としていくだろう。それは間違いない。学年順位も250番どころか、もっと下に落ちていくのは目に見えている。今まで部活を理由に勉強に手を抜いてきた系の生徒たちが、本気を出し始めるのがこれからだから。
そうなるとわかっていて、俺は見過ごしていていいのだろうか。
「すっきりしないなあ……」
「そうか? もう十分キレイになってると思うけど。そことかピカピカじゃん」
「いや壁の話じゃなくて、人間の話……えっ?」
独り言への思わぬ反応に振り返ると、そこには石神井の見慣れたくしゃっとした笑顔があった。その手には、一目で使い古されたとわかる雑巾が握られている。
俺が中野と屋上で話した日の放課後。
俺をはじめとする、一部の男子は掃除の当番で残っていた。月に一度、こうやって持ち回りでがっつり掃除をするルールが我が校にはあるのだ。この日は部活に入っている生徒も、原則休んで掃除に参加しないといけない。
聞いたところによると、この習慣は15年ほど前に始まったそうで(卒業生の先生が他の生徒に話しているのをたまたま聞いた)、当初は「日毎にボロくなっていく校舎を少しでも綺麗に保つため」という目的があったそう……なのだが、我が校舎は誰がどう見てもボロく、もはや掃除をしたところで綺麗にはならない。
一生懸命やったところで『不潔なボロ校舎』から『清潔……とは言えないけど、まあ目を細めて視界をぼやけさせれば普通……に見えなくもないボロ校舎』になるだけなのだが、そうは言いつつも掃除自体は嫌いではないので、俺はおとなしく毎回参加している。
そういうワケで、頭のなかで色々考え事をしながら廊下を雑巾で拭き掃除していたところ、石神井が話しかけてきた……という感じだった。
「あれ、石神井も掃除当番だっけ?」
「掃除以外で雑巾握るやつはいないだろ」
「えっと、うん。ですね」
「これで俺が顔拭いてるとでも若宮は思ったのかい?」
「石神井ならやりかねん」
「……」
「ちょっと考えるなよ」
「心当たり、ここ辺りにあるな」
「てかもう拭いたのか」
「冗談だ」
「冗談で良かったよ」
自分の頬を指さしつつ、したり顔でふざける石神井に、俺は冷静にツッコミを入れていく。人気のない廊下で聴衆がゼロにも関わらず漫才を繰り広げる、これが男子高校生の不毛な青春の実態である。
と、そんなことを思っていると、俺は自分がある失態をおかしていたかもしれないことに気づく。
「……てかさ。もしかして聞いてた? 俺の、ひとり言……」
「いや。今来たばっかだよ」
「そっか」
「だから、ミユコシがどうのこうのってとこからしか聞いてない」
「なら安心……ってたっぷり聞いてるじゃねーか」
美祐子氏のくだりが聞かれてたってことは、そのあとの逡巡の様子も見られてたってことか……そう思うと、思わず肩の力が抜ける。
「小声だったからはっきりとは聞こえなかったけどな」
「完全に聞こえきゃ良かったのに」
「相談、俺がよければ乗るぞ?」
「俺でよければじゃないんだな。しかも、石神井がいい前提」
「相談に乗れないなら馬乗りになろうか?」
「すまん意味がわからない」
「若宮」
「うん?」
「諦めろ」
「ストレートだな。もうちょっと粘れよ」
にこやかに降伏を勧告する男、石神井大和。うーん、恐ろしい……。
「……俺、そういう相談的なの、誰かにしたことないし」
しかし、石神井は俺の意図は汲んでくれないらしい。ふふふっと笑うと、肩にそっと手を置く。
「じゃあ、初めて経験してみよう。相談事ってやつを」
そして、指先でそっと俺の首筋に触れる。
「大丈夫。初めてで緊張するのもわかるけど、俺が優しく手ほどきしてやるから」
「手ほどきって……卑猥に聞こえるからやめろ」
「卑猥だなんてそんな。下心しかないから安心しろって」
「下心しかないとか、逆にどんなんか気になって身を任せそうになるわ」
「絶対に誰にも言わないからさ」
そう言う石神井の表情を見ながら、疑り深い感じで俺は尋ねる。
「……ホントに?」
「うん、ほんとここだけの話にするから」
「嘘くせー」
「俺生まれてこの方ウソついたことないし。だからマジで一生のお願い絶対誰にも言わない」
「わざと信用できない言葉並べてるだろ?」
「惣太郎、怒らないからママに本当のこと言ってみなさい? あとお年玉はママが預かっておくからね」
「お前はオカンか……いやうちのオカンはそんなこと言わないけど」
「ほう」
「もっと子供っぽいというかなんというか……家の家計簿も俺が担当だし」
そこまで言うと、石神井が不思議そうな目で見ていることに気づいた。あ、ヤバい、つい絵里子の話を……。いや、ヤバくはないんだけどさ。べつに。
「じゃ、じゃあ石神井に相談しちゃおっかなあ~」
話を逸らすかのように言うと、石神井は笑顔でうなずく。
仕方ない、背に腹は替えられない。実際、こうやって捕獲されてしまっては、石神井を振り切るって現実的に無理だしさ……。
○○○
そんなこんなで掃除を終え、廊下を歩いていると、曲がり角を曲がった先で女の子の姿が見えた。黒色というより暗色と形容するのが良さそうな、薄曇りの空のような髪色のショートカットの文化系女子だ。
「あっ、若宮くんに石神井くん」
そして、彼女もこちらに気付いたようで、柔和で明るい声が聞こえてくる。
「本天沼さん!」
「おつかれさま」
人懐っこい笑顔をひっさげ、本天沼さんがとたとたと近づいて来た。
「学級委員の仕事?」
「そう」
ふんわりと笑う本天沼さんを見て、俺は改めて「委員、似合うな……」などと感じる。
「ふたりは掃除?」
「うん、これから帰るとこ」
俺がそう返すと、石神井が割って入る。
「いや違うだろ。帰る途中に、俺が若宮のお悩み相談に乗る、の間違いだろ」
「いや、べつに相談するって決めたワケじゃ……ってかもう早速、本天沼さんにバラしてるじゃねーか」
俺が若干慌てて指摘すると、石神井は嘘くさく「あっ」という顔をする。
しかし、時すでに遅し。
「えっ、なになにっ? お悩み相談って?」
そう言う本天沼さんの目は、小さな子供のような好奇心でこれでもかと言うほど、キラキラと輝いていた。
余談です。
と言いつつ、本文内容に絡んだ余談がなかったです。声優業界ネタを出すに出せないという。笑
あ、ちなみにですが登場人物の名字は、すべて西武新宿線沿いの地名から採用しています。これはキャラの名前にあまり意味とか象徴性を持たせたくないという理由と、過去に自分がその辺りに住んでいたという理由と、あとは一種の俺ガイルリスペクトです。