168 小旅行4
そんなことを話しているうちに、買い物に行っていた他の面々が戻ってきた。気を利かせてくれたのだろう、本天沼さんが石神井に代わってトローチタイプの酔い止めを購入しており、それを香澄に渡してくれた。
そして、程なくして俺たちはバスに乗り込む。俺たち以外には5人ほどしか乗っておらず、結果、後ろのほうに固まることができた。
駅前のロータリーを出て3分ほど進めば、はやくも周囲の景色は住宅地ではなくなった。山に沿った海沿いの道を、バスは静かに揺れながら進んでいく。青い水平線には船が何隻か見える。
練習にちょうどいいのか、バスの横をロードバイクに乗った同じユニフォームの人たちを時折追い抜き、そして追い抜かれていった。速度的にはさすがにバスのほうがはやいものの、信号にさしかかったところで抜かれるのだ。
顔立ちを見るかぎり俺たちより少し年上。併走するように白いワゴン車が走っているので、どこかの大学のサイクリングチームかなにかだろう。
「ほぉーっ……ふおっ?? うーふむ……」
そんな様子を眺めながら、高寺はずっと歓声と奇声の中間くらいの声をあげていた。幹事の仕事とかこの合宿の目的とか、今絶対忘れているに違いない。
「ひゅぴぬわっ……ふにゅりら……」
「意味不明な擬音まで出して。触れてほしいオーラすごい出してくるじゃん」
「へっ?? いやー、べつにそんなつもりないんだけどなあ!?」
「ロードバイク興味ある感じ?」
「そだね。楽しそうだなあ、レンタルとかできないかなあって」
「乗ったことない感じ? いかにも金持ちの遊びって感じなのに」
「ちょっと若ちゃん、その言い方はなくない?」
「だって事実だろ。誰かさんなんか『存在そのものが赤字』って言ってたし」
「うっ……そんなこと言ってると、さすがの温厚なあたしもブチ切れて……あとでちょっとコンビニにお茶とか買いに行ってもらうよ!?」
「制裁が思いのほかショボい……」
「それか、入っちゃいけないって言われてる断崖絶壁の崖からバンジー」
「いや急に怖いし」
遠くに見えた崖を指さしながら高寺が言うので、俺はツッコミを入れざるを得なかった。 この辺りは約9キロにわたって溶岩岩石海岸が続いていることで知られており、最近ではインスタに写真をアップするためにギリギリまで進み、転落してしまう若者が相次いでいると、こないだニュースでやっていた。
もちろん、俺の神経質で慎重な性格でそんなバカなことをするはずがないので、ここは軽く流す。
「でも今日はそういう遊びじゃないだろ?」
俺の注意を受けて高寺は前の座席へと視線を移した。そこでは琴葉がスマホで遊ぶ場所を検索している。香澄はその隣で、琴葉の肩に頭を預けながら一緒になって見ている。
「シャボテン公園ってどうですか? カピバラいるらしいですよ」
「んー、カピバラもいいけど私はこっちの虫類の動物園のほうがいいかな。それかこのバナナワニ園。ワニ見たい」
「琴葉、キモい動物が好きなんですか?」
「キモい? かわいくない?」
「かわいくないです……私はテディ・ベアミュージアムのほうがいいですね……」
すると、香澄がひょこっと頭を起こし、振り返ってこちらを見てくる。
「今日ってどこかに行く時間ってありますか? 高寺さん」
反射的に振り返った琴葉の目が、高寺とぶつかる。一瞬、気まずい空気が流れかけるが、高寺はふぅと軽く息を吸い込むと。
「うん、もちろん! バーベキューの準備が終われば行けるよ!」
「そうですか。もしバスで行ける場所なら、別れて行ってもいいかもですね。例えば私が惣太郎さんとテディベア・ミュージアムに行ってる間に、琴葉は中野さんや高寺さんとバナナワニ園に行く、とか」
「そうだな。まあ二手に分かれるってのもアリだな」
「できればお兄ちゃんはお留守番にして、三手に分かれたいところですが……」
「おいおい妹よ。いつから君はそんなに反抗期になったんだね」
そんな会話をしつつ、香澄は琴葉から見えない側の目でウインクしていた。 どうやら先程の話を聞いてアシストしてくれているらしい。しかも、兄貴イジリも入れ込んで、会話を自然にさせるという用意周到さだ。
すると、琴葉はと言うと……
「まあ、べつに構わないけど」
と、そっぽを向きながらつぶやく。
香澄の提案に若干不満を覚えつつも、香澄の意図を知らないので反論もできない……といった感じだ。
「じゃあ、そうしよっか! 決まりね!」
琴葉と仲良くなれるチャンスの到来に高寺はホッと一息。明るい声で宣言したところで、バスは目的の駅に到着した。
○○○
駅前からおよそ15分。俺たちは海が一望できる、丘の上にあるバス停で下車した。
丘なので後ろは山であり、緑のニオイが風に乗って運ばれてくる。太陽に照りつけられたコンクリートは容赦なく蒸気を足へと広げてくるが、風が心なしか涼しいのはそれだけ自然に囲まれているという証拠だろうか。
と同時に、反対側からは潮のニオイを含んだ海風が吹いている。ふたつの風が混ざり合うことで、夏のニオイが形成されていると感じた。
道路越しに見える海は暴力的なほどまぶしく輝いており、太陽に近い場所は肉眼では見られない。あと、こういう場所に来たことがなかったのでわからなかったけど、海沿いと言ってもすぐ側に海があるワケではないんだなと感じたりした。でも、考えてみれば当たり前ではある。オーシャンビューって、結局少し上のほうから見下ろすからこそ得られる光景なワケで。
そして、連れだって歩くこと約5分。
「みんな、お疲れさま! 遠くまでありがとね!!」
高寺のかけ声とともに、俺たちは高寺家の別荘に到着した。
別荘とは言え、そこは敷地面積は200坪くらいある感じで、丁寧に整備された芝生が印象的な、美しい庭が広がっていた。狭い校庭を他の部と分け合って練習してる野球部の中坊とかなら、見た瞬間に涙を流しながらキャッチボールを始めるくらいの広さはある。
正直、別荘とか言いつつ、ちょっとした小さな民家レベルだろうと思っていたので、その立派さに俺は素直に驚いた。栄実さんの会社は九州では有名な企業と聞いていたけど、本当にそうだったようだ。
庭の奥にある2階建ての白い建物は、少し変わった形状をしていた。真ん中部分が屋根付きのウッドデッキになっていたのだ。
わかりやすく言うと、建物が『凹』をひっくり返した形になっていて、引っ込んだ部分がウッドデッキ。半屋外半屋内という感じだ。ウッドデッキにあがると、中央に鉄板が埋め込まれたテーブルがあった。雨の日でもバーベキューできる感じで、もともとアメリカ人向けの建物だったとか、そういう感じなんだろうか。
「ひょえー、すげーな」
「想像以上です……」
「私も、びっくり……こんな立派な別荘、なかなかない……よね?」
「ここが若宮と初めての夜を過ごす宿か」
口々に感想を漏らすと、高寺は少し照れた様子で、慌ただしく手首を振って、家のなかに俺たちを招いた。
建物の中に入ると、ウッドデッキの向こうに広いリビングがあり、左側に台所とお風呂とトイレ。右側はシアタールームがあり、大きなプロジェクターがかかっていた。テラスハウスかよここ。
2階はすべてベッドルームになっており、真ん中に広めの4人部屋がふたつ、左右に狭めな2人部屋があった。
「私、絶対この部屋がいい!」
「じゃあ私もここですかね」
そんなふうに琴葉と香澄が左側の部屋に入っていく。この旅行は男子2、女子4.女児2というアンバランスな組み合わせなので、
「消去法的に、若ちゃんと石神井くんは右側の部屋ねっ!」
「ま、そうなるよな」
という会話が高寺と俺の間で行なわれたのも、仕方のないことだった。
そういうワケで、俺と石神井は荷物を部屋に入れる……と思いきや、さっきまで隣に居たはずの石神井の姿が見当たらなくなっていた。
「あれ、石神井は?」
「若宮くんが知らなかったら、私も知らないよ?」
「本天沼さん、そんな意味深な返答しないで……」
「惣太郎さん、琴葉もいないのですが」
割り込んできたのは香澄だった。とぼけた表情で煽ってきている本天沼さんと違い、こちらはシンプルに心配そうな顔をしている。
「どこ行ったんだろ」
「あ、あれじゃない?」
本天沼さんが窓から外を指さす。その方向に視線を移動させると、広い庭のなかで石神井と琴葉が、一緒に打ち上げ花火をセットしていた。
「なにやってんのあいつら」
「花火ですね」
「それは知ってるけど」
「なぜ昼にっていう意味ならわかりません」
「それもだし、到着していきなりすることか? 普通、建物のなか見てきゃあきゃあ言うもんだろ俺みたいに」
「惣太郎さん、あの仏頂面で楽しんでたんですね」
「……」
「まあ、お兄ちゃんの考えることは常識人な私には理解できないので……」
そんなことを話している間にも、石神井と琴葉はセットを終えたよう。幾十にも並んだ打ち上げ花火に石神井が点火していき、次々とシューッと花火が打ち上がる音がして、パンっと青空にはじけていった。
「全然見えませんね」
「だな。周りに家がないから近所迷惑にはならなそうだけど」
「でも私たちには迷惑ですもんね。身内迷惑」
「マジでなにがやりたかったんだろう……ちょっと聞いてくるわ」
そう香澄に言い残すと、俺は急いで階段を降りて庭へと向かった。たどり着くと石神井は難しい表情で空を眺めており、琴葉は線香花火をひとりでしていた。近くには石神井のキャリーケースがあり、驚くことに3個中2個は花火用だったらしい。袋の残骸がそのなかに入っていた。
琴葉の行動も謎ではあったが、ひとまずここは石神井に話しかけることにする。
「えっと、なにやってんの?」
「なにって花火だが?」
「いやそれは見たらわかるけど」
「厳密に言うと昼花火だ」
「昼花火?」
「知らないか? 秋田県の花火大会で行なわれているやつで、まだ明るい時間帯に花火を打ち上げるんだ」
「へえ、そんなんあるんだ」
すると、石神井はスマホを取り出し、ポチポチ。俺に見せてくれる。
画面に写っていたのはその昼花火の写真で、日が沈みかけて少し濃くなった青空に、様々な色合いの花火が打ち上がっていた。
普通の花火は炸裂した瞬間を楽しむ感じだが、昼花火は背景が明るいこともあって裂したあとの煙も美しい。例えるなら、水のなかに絵の具のついた筆をつけ、広がっていくあの感じ……とでも言えばわかりやすいだろうか。
「文化祭実行委員として、どうすればより後夜祭が盛り上がるかを考えていてな。そこで目をつけたのが花火なんだ」
何度か触れているが、石神井は1年生のときから文化祭実行委員会のメンバーだ。我が校は文化祭が盛んであり、2日間にわたって開催され、公立高校にしてはわりと多くの来客を集める。とくに後夜祭では花火が打ち上げられたり、キャンプファイヤーが行なわれたり、他の高校と比較してもなかなか盛大である。
「やっぱ花火はみんな楽しみにしているから今年もやりたいんだが、でも後夜祭だから参加しない人もいる」
「なるほど、俺みたいにな」
「そうだ、若宮みたいな人にも」
石神井のにこやかな視線が辛い。
そう、じつは俺、去年の文化祭では後夜祭には参加していなかったのだ。もちろん文化祭には両日とも参加したけど、自由参加のイベントである後夜祭は一秒も顔を出していない。ゆえに花火も間近で見たことはないのだ。
「でも、それと昼花火ってのがどう関係が?」
尋ねると、石神井が難しい表情になる。
「そこは世知辛い問題でね。若宮は文化祭の花火について、近隣住民からクレームが毎年必ず来ているのは知ってるかね?」
「ああ、噂で聞いたことは。うるさいってクレームだろ」
「そうなんだよ。我が高校の文化祭における花火はもう長い伝統なんだけど、最近近くに引っ越してきた人たちから苦情が入るんだよ。ずっと昔から住んでる人は楽しみにしてたりするんだけど」
「ありがちだよな。知ってて引っ越してこいって感じだけど」
「それで、せめてもう少し明るい時間帯に打ち上げればクレームも少なくなるかなと思ったんだけど……さっきのじゃダメだろうね。まず市販の打ち上げ花火じゃ火力も高度も全然足りないし、色合いも夜用のせいか残念だ」
「さっきのだとうるさい爆竹って感じで、余計に苦情きそうだよな」
「だな。毎年お世話になってる業者さんは、昼用のはまた作り方が違うから対応できないって言われててさ」
なるほど、そういう経緯があったらしい。石神井にしては動機も目的もしっかりしており、俺としても納得できた。
とは言え、いきなり昼間に花火を打ち上げるのはシュールな行動だけども。
と、そこで後ろからTシャツの裾が引っ張られるのを感じる。見ると、先程まで少し離れたところでひとり線香花火に勤しんでいた琴葉が目をキラキラさせながら俺を見上げていた。
「若宮、昼花火って知ってる? なんかどっかの花火大会でそういうのあって、まだ空が明るい時間に花火打ち上げるんだよ」
「早速毒されてんじゃねーか」
「すごい綺麗なんだよ。空がパレットみたいで煙も見えて」
「もうなんか見た気分じゃん」
「見たくない?」
「あのな。まだ子供の俺たちがそんな遠くに気軽に行けるワケないだろ」
諭すように言うと、琴葉は小さくうつむき、不満げに頬を膨らませる。
「やっぱ遠いんだ」
「秋田だからな。どうしても行きたいなら姉ふたりに頼むんだな」
「それは……なら行けない」
少し考えるような素振りを見せて琴葉はそ言う。考えなくても、秋田にはなかなか姉妹でも行けないだろう。朋絵さんが同行してくれれば別だが、いずれにせよ行きたいからと言ってすぐに行ける場所ではないはずだ。
「……あれおかしい。もう花火がないっ!?」
そして、石神井がわざとらしくそんなことを言う。
「当たり前だろ使ったんだから。ちなみに線香花火も琴葉が全部使っちゃったぞ」
「うん、まあまあ楽しかった」
「まあまあって」
「やっぱ夜にするもんだね、花火は」
「そう思ったなら途中でやめろよ……てか打ち上げ花火するにしても全部使う必要ないワケだし。なんで止めなかったんだ」
「いや、どうせやるなら景気よくって」
「昭和のオッサンに考え方か」
「若宮、花火なくなったから買ってきてほしい」
「どの口が言うんだよ」
「この口」
そう言うと、琴葉は頬を引っ張ってビーという感じの表情を見せる。要するに俺をわかりやすく挑発しているワケだが、いかんせん容姿がかわいいので怒るに怒れない。あと、口がもともと狭いので、ビーっと引っ張ったところで大して広がっておわず、そこもなんだかかわいかった。
結論。
深いため息を吐いたのち、俺はこう言うしかなかった。
「わかった。考えとく」