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15 屋上にて彼女は叫んだ1

 ということで、俺はその申し出を受けることになってしまった。 


 拉致に買収工作に、学業のサポート依頼。しかも、その相手は驚くほどの美少女ときている。俺の人生の中でも、こんなに色んなことがあった一日は初めてだろう。


 でも、勉強のサポートというのは、何をどう教えればいいのか。しかも、相手は数時間しか話したことがない相手だ。


 俺が美祐子氏との会話を思い出している間も、中野は真剣な表情で授業を受け続けていた。板書をうつし、先生の話をメモし、たまに前回までの振り返りになると、途端にノートをめくって白い部分を埋めていく。


 すでに板書した内容だから、改めてノートにうつす生徒はいない。しかし、初めての中野は一心不乱に、一言一句逃さないように書き連ねていく。


 黒縁眼鏡の奥に見える目は、この教室にいる誰よりも真剣だ。少し赤く染まった頬を見ていると、彼女の不器用さがあらわれているように、俺には見えた。



   ○○○



 4限の授業が終わり、昼休みになると、中野はお弁当箱を持ってそそくさと教室を出て行った。


 どこに行くのだろう……と思いながら、あやしまれないようにして後をつけると、階段を彼女は迷うことなく上がっていく。 


「あれ、こっちの方向って……」


 そのままついて行くと、ギィィと重い音が聞こえたのち、ガチャとなにかが閉まる音が聞こえた。さらに踊り場まで進むと、金属のチェーンで封鎖され、「立ち入り禁止」と書かれた踊り場に出る。残り十数段の階段をのぼり、重たいドアを開けた先にあるのは、そう、屋上だ。


 多くの学校がそうであるように、我が校でも屋上への立ち入りは禁止されている。理由は単純に危ないとか、授業をサボる学生が出てくるとか、教師の監視する範囲を広げたくないとか、まあそういうの。常に開放されていているのは学園ラブコメのなかだけの話なのだ。


 なのに、あいつは普通にチェーンを乗り越えて、普通にカギでドアを開け、外へと出て行った。


(カギを持ってるってことは……これも野方先生か?)


 屋上へのドアは内側から鍵をかけるもののようで、中野が先に出ていたため、俺も外に出ることができた。おそるおそる重い扉を開くと、風が勢いよく吹き込んできて……細めた視界に、ひとりの女子の姿が入ってくる。


 彼女はそう遠くない場所で、フェンスに背中を預けて座っていた。弁当箱に入ったお手製のサンドイッチをほおばりながら、片手で教科書をめくっている。中身はスクランブルエッグにハム……それにトマト、だろうか。 


 弁当箱を埋めるように詰められているが、よく見るとそれぞれ中身の量が異なっており、エッグしかないものやトマトしか入っていないものもある。というか、パンが足りなかったのか中に挟むのを諦めたのか、具の一部はパンの横に添えてあった。


(……この子、意外と不器用なのかもな)


 ほんのり赤みを帯びた頬はサンドイッチを含んでハムスターようにふくれているが、もぐもぐはゆっくり。数回動いて止まり、少し経つとまた思い出したかのように動く……というサイクルを繰り返していた。


 対照的に、教科書をめくる手は忙しく、意識がそちらに向いていることがわかる。黒縁眼鏡は外して足下に置かれており、遠目からでも大きく澄んだ瞳が確認できた。それでいて、足首は折れそうなほど、腕は透けそうなほど細い。春の陽の下で風を受けながらたたずむその姿は、学校中の清潔感を集めたように爽やかだった。


 その姿を見ながら、俺は立ち尽くす。話しかけ見知りゆえ、自分から声をかけられなかったというのもある。


 でも、それ以上に……


(やっぱかわいいな……)


 そう思っていたのだ。声にならない声が出て、口だけが無意識にそう動く。金にがめつい性格や、口の悪さを知らなければ、危うく恋に落ちそうなほど、彼女は美術品のような美しさを有していた。 


 そんなふうに整った横顔に見とれていること十数秒。


 視線に気づいたのか、中野がこっちを見る。俺の姿をとらえた途端に、表情が鋭いものに変わった。



   ○○○



「……」


 中野は少し身を乗り出すようにして、俺の後ろを確認。誰もいないことがわかると、ツンとした声が静寂を切り裂いて鼓膜に届く。


「なぜあなたがここにいるのかしら」


 ヒンヤリとした物言いだった。ただ冷たいというより「肌寒い」という感じで、雨が降って気温が下がったときの風のように、撫でるように俺の耳に届く。


 その態度に、俺は一瞬たじろぐが、なんとか会話を続ける。


「それはこっちのセリフだ。屋上は立ち入り禁止だろ」

「だからいるの。ここなら他の生徒とエンカウントする確率も低いからね」

「答えになってないな……なってるか。どうやってカギ手に入れたんだ?」

「具体的な要因なんて、聞かれて話すと思う? 他の生徒にまぎれて中庭で食べるのがイヤだったから、野方先生を買収したのよ」

「……答えてるじゃねーか」


 思わずツッコミを入れた。昨日初めて話したときも思ったが、この子は案外ユーモアのある子なのかもしれない。


「そんなことより、昨日別れ際に言ったこと、覚えてないのかしら」


 しかし、そこに温かみはない。冬の海に裸足を浸けたかのような、痛さすら感じさせる態度だ。


 とくに、俺の心にダメージを与えたのは声だった。氷に素手で触れたときのようなツンとした響きは、なんともいえない冷たさを感じさせる。声自体はとても美しいものの、嫌悪感を持って発声されているため、受け取る側は鋭利な刃物で心を刻みにきているような印象すら覚えてしまうのだ。


 もしかすると、彼女がプロの声優であることも影響しているのかもしれない。話しているとき、他の人より言葉に感情が乗っているというか。美祐子氏は俺に「勉強を教えてやってほしい」的なことを言っていたが、この反応を見る限り、その辺のことはまだ伝えていなかったのだろう。要するに丸投げされていたのだ。


 正直、話していてあらゆる点で圧倒的な拒絶を感じざるを得なかった。


「学校で会っても話しかけないで頂戴。私、そう言ったわよね?」


 立て続けに放たれる、矢のような言葉。


「いや、正確にはまだ話しかけてなかったけど」


 どう返していいかわからず、深く考えることなく口を開くと、そんな憎まれ口が出た。


 すると、揚げ足を取られたと感じたのか、中野は形のいい眉をヒクッとさせた。整った顔の人間が冷たい表情をすると、普通の数倍くらいの冷ややかさを感じさせるらしい。


「無理屈ね」

「それを言うなら屁理屈だ。無理屈って言い間違いに無理があるぞ」

「無理な屁理屈の略で言ったのよ」

「その弁解もまた無理があるな」


 中野の視線がさらに鋭くなり、苛立ちがもはや隠れていない。


「ちょっと言い間違いしただけなのに、大将首あげたみたいに言うのね」

「いやでも、言葉を扱うプロだろ? 言い間違い、はダメじゃないのか」

「記憶力だけじゃなく、性格も悪いのかしら」

「性格はさておき、記憶力はそこそこ自信があるぞ」

「昨日私が言ったことを覚えてないのによく言えたことね」

「覚えてるのと、言われた通りにするのはまた別の話だろ」

「だとすると、なおさらタチが悪いわね」


 中野は軽くあざ笑うと、再び冷たい視線を向ける。


「一体、なんの用なのかしら」


 やり取りだけをみれば、俺との会話に乗っかってくれているようにも思える。だが、その声色は凍てつくようにひんやりしていた。


 昨日、俺はこの子と、1時間以上もふたりで話した。去年、学校で一言も発してなかったことを考えると、全校生徒の中で俺が一番話していると言ってもいいだろう。


 しかし、それでは全然足りなかったのだ。彼女の警戒は、今もまったく解かれていないし、むしろ、知り合いになったからこそ、より遠ざけようという意思すら、その冷え冷えとした視線から感じられた。


 俺の足先がすっかり温度を失い、まるで北極の氷の上に素足で立っているかのような気分になったのは、今がまだ春先で、肌寒さを空気に残しているからだけではあるまい。


 そして俺は、話す前、屋上でふたりきりというシチュエーションに内心ときめいていたことに気づき、今さら恥ずかしくなっていた。


(ごめん美祐子さん。やっぱ俺じゃ力不足だったみたいです……)


 そんなふうに心のなかで謝罪の文言を考えていると、中野はしびれを切らしたように告げてきた。


「授業中チラチラ見てきたり、ノート拾った時に中を覗いたり……もういい加減にして!」


 そして、中野はその整った顔に、めいいっぱいのいらだちを浮かべると、噛みつくように叫んだ。



「そんなに私にノートを見せてほしいなら、はっきりそうと言いなさいよ!」 



 一瞬、とどめの言葉を言われたのかと思ったが、少し遅れて違和感に気づく。


 ノートを見せてほしい……だと? 

 学年1位の俺が? 


 ……。

 えっ

 ええっ

 ウソでしょ?


 …………。

 はっ? 


 この子、ふざけてるのか? それか、俺をバカにしようとしてる? わざと言って煽ってる? だよね、じゃないとそんなこと言えないよね。うん、そうに違いない。


 だが、しかし。

 俺がびっくりして言葉が出ないでいると、中野は……


「あなたが授業中にチラチラこっちを見てるの、もちろん気づいてたわ。でも、いくら勉強ができなくて友達がいなかったとしても、この私にノートを見せてもらおうなんて、まったくどれだけ図々しいのかしら」


 などと、上から目線で、哀れみの視線を俺に向けてくる。どうやら、本気で言ってるようだ。


 せっかく人様が、見た目清楚で勉強もできそうだけど、実際は全然勉強できない系女子にノートを貸そうと、あれこれ考えてやってると言うのに。当の本人は逆の立ち位置だと思ってるとか……。


 アホだ。

 アホすぎる。


 勘違いもいいとこだし、勉強がどうのこうの以前に、自分のポジションをわかってない。しかも俺のプライドも同時に傷つけてきたし。悪意のない本音だからこそダメージは大きい、ってやつこれ? 噂に聞いてた感じの。


 これは、まともな人間にはできない芸当だ。声優としては実績あるのかもだけど、実際はただのアホなのかもしれない。いや、絶対そう。そうに違いない。


 よし、こっから俺のターンだ。もう手加減はせん。


「聞きたいんだが、1年の時学年で成績何位だ?」


 俺がそう言うと、中野の表情がさっと変わった。

余談です。


リアル声優さんの中にも学業と仕事の両立に悩む人は少なくないようです。ただ、その多くが大学生。声優さんは専門学校を経て、声優事務所傘下にある養成所に通うケースが多く、高校在学中までにその過程を終える人は現実的に少ないから、という理由みたいです。この話は本編にも後ほど出てきますので、今は覚えたりしないで大丈夫です。笑


ちなみに、ひよりちゃんは子役出身なので、そういうある意味オーソドックスな方々とはキャリアが違うのですが、まあそれもおいおい。

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