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147 琴葉、家に来る4

 絵里子が家に帰ってきたのは、それから30分後だった。


 リビングにすでに琴葉がいるのを確認すると、絵里子は「あわわわ」と声に出し、わかりやすく慌てた様子を見せる。


 しかし、琴葉を受け入れると決めた時点で覚悟も決まっていたのだろう。精一杯の笑顔を見せ、テーブルの一席に座った琴葉のもとに近づいてくる。琴葉もイスから立ち上がり、絵里子と向き合った。


「えっと、惣太郎の母親の絵里子です」

「……琴葉……より姉さんが……ます」

「えっ?」


 琴葉の声は小さく、当然のように絵里子が聞き返す。俺は読唇術で琴葉がなんて言ったのかわかったので、代わりに伝えることにする。


「中野琴葉です。ひより姉さんがお世話になってます、だって」

「え、今そう言ったの?」


 絵里子が疑うように尋ねると、琴葉はコクンとうなずき、こう続ける。


「……は2晩……ざいます」

「このたびは2晩も泊めていただき、ありがとうございます」

「なるだ……ないよう……気を……します」

「なるだけご迷惑をおかけしないように気をつけて過ごします、だって」


 俺が言い直すたび、琴葉がこちらを見て、コクンとうなずいた。


 その瞳には普段俺に向けるような苛立ちの色はなく、精一杯外向きの態度を取っていることがうかがえる。この子、一応頑張って合わせようとしてくれてるんだな……そう思うと、俺はちょっと嬉しい気持ちになった。


「えっと、通訳?」


 すると、絵里子が俺に向かって尋ねてくる。


「いや通訳じゃないけど」

「それはわかってるけど、えっなんでそうちゃんはわかるの? あと声小さいのね?」

「唇の動きを見るんだよ。琴葉、喉が弱くてあんまり大きな声出せないらしくてさ」


 琴葉がコクコクうなずく。


 作戦とはそう、俺がふたりの間に入って、通訳になることだった。


 コミュ障というのはとどのつまり、コミュニケーションにおいて距離感をはかれない人のことだ。まだ親しくないうちから本音を言ったり、逆にフランクな物言いでもいいくらい時間を重ねているのに、妙に遠慮した態度をとってしまう。分類するなら、琴葉は前者であり、絵里子は後者だ。ちなみに、俺はもっとこじらせたタイプだと思う。


 そのうえで、琴葉には「無理に大きな声を出さないように」と伝えた。ご存じのとおり、彼女は声が小さいのでそもそも会話が成立しにくい。


 だからこそ、それを逆手にとって俺がふたりの間に入るのだ。


 通常、3人以上での会話は、野球でたとえるなら「誰が誰にボールを投げるかわからないキャッチボール」という感じだが、今回するのは「センターからキャッチャーの返球に、セカンドが中継で入る」という感じ。慣れるまで、琴葉と絵里子には直接ボールを投げ合わせないことにしたのだ。


 そうすれば、コミュ障同士の顔合わせでも、多少はうまくいくに違いない。ここ数ヶ月、中野や高寺、石神井に本天沼さん、美祐子氏といった頭のおかしい人たちに鍛えられた、俺が出した結論だった。


 でも正直、普通に喋ってここまで小声だとは思わなかったけどさ。


「まあ、そういうことで琴葉の発言は基本的に俺を経由して聞いてくれ」


 俺にそう言われ、絵里子はぽかーんと口を開けたまま、


「わ、わかった」


 コクンとうなずいた。



   ○○○



「えっと、琴葉ちゃんは今何歳なんだっけ?」


 絵里子が琴葉を見つつ、最終的に俺に視線を移して尋ねると、琴葉は俺に向かってこう述べる。


「……しは……年生で……です」

「私は今小学6年生で、次の4月から中学生です、って」

「あ、じゃあ、ひよりちゃんとは5歳差か」

「……歳差で……とは……差です」

「中野とは5歳差で、その上の朋絵さんってお姉さんとは10歳差だって」


 コーヒーを飲みながら、俺たちの顔合わせは続いていた。


 俺はアイスコーヒーで、絵里子と琴葉はカフェオレだ。琴葉はミルクの量が8割なので、実際はコーヒー味のミルクという感じである。


 俺の作戦の甲斐もあって、隣の琴葉に緊張した様子は感じられないが、戸惑いの色が色濃く感じられる。普段大人とそこまで話さないことや、母親という存在に触れてこなかった影響だろう。


 一方、絵里子は俺を経由して琴葉と話すことになったのが影響し、幸いにもそこまで緊張していない様子だった……が、琴葉同様、今までに経験したことのないコミュニケーションスタイルに理解が追いついかず、戸惑っている感じはあった。


 結論、俺以外ふたりとも戸惑っていた。


「えっと、ちょっとそうちゃんいい?」


 琴葉を見ていたが、琴葉はなにも言わない。すると、彼女が呆れた顔で俺に告げる。


「今のは若宮への質問」

「えっ? あ、そっか」


 俺としたことがしまった。琴葉への質問かと思って琴葉の返答を待機していたが、よく考えると絵里子は俺に尋ねていたらしい。


「で、なに?」

「いや、べつに質問ってワケじゃないんだけど……」


 そう言いつつ、絵里子は身を乗り出し、俺にだけ耳打ち。


「嫌われてるとかじゃないよね?」

「うん。マジで喉弱いんだ」


 それを確認すると、絵里子は少し安心したように自分のイスに戻った。と、今度は横からTシャツが引っ張られていることに気付く。


「今日はたくさん喋ったから、しばらく喉休ませないと声出ない」

「1デシベル出てるかって声だな……それ設定とかじゃなくマジで?」


 コクンとうなずく琴葉。


「喉のキャパ的な?」


 さらに、琴葉はコクンと。


「それとハチミツ忘れた」

「あ、マジか。取りに帰る?」

「いやいい。吸入器はあるから」


 そう言いつつも琴葉は喉をさすっており、すでに調子が悪いことがうかがえる。


「若宮がどうでもいいことばっか喋ってきたから」

「どうでもいいことって……」


 反論しようとしたが、実際結構どうでもいいことを話した自覚があった。ので黙るしかない感じだ。


「……」

「……」

「……」


 結果、変な無言が3人を襲う。絵里子は顔を引き攣らせ笑っており、琴葉は気まずそうに目をそらしている。俺は背中に猛烈な冷や汗を感じていた。


 俺が通訳すればなんとかコミュニケーションが取れると思っていたが、そんなことはなかったようだ。


「ま、まあでも、悪い子じゃないのはわかったから良かったな!」 


 明らかに空元気とわかる口調で絵里子はそう言い、


「じゃ、じゃあ私、今から部屋でゲームするけどお気になさらずね」


 立ち上がって自分の部屋へ去ろうとした……のだが。


「……ゲーム?」


 琴葉の口から小さな声がポロッとこぼれた。絵里子が振り返る。


「琴葉ちゃん、ゲーム好き?」


 琴葉が黙ってコクンとうなずく。


「……良かったら一緒にやる?」


 数秒の逡巡ののち、琴葉が黙ってコクンとうなずいた。



   ○○○



 琴葉は自宅から「Nintendo Switch」を持ってきていたようで、絵里子と一緒に遊ぶことになった。俺はゲームはほとんどしないのだが、絵里子はわりとやるほうで、時々夜遅くまでやっているのだ。


「あ、しまった」

「……やばっ……」

「ここでこうしてっ」

「……良かった。セーフ」

「琴葉ちゃん、ナイス」

「……ありがと」


 ふたりは通信対戦で同じチームを組み、プレイしていく。最初こそぎこちない雰囲気があったが、時間が進むにつれそれぞれ少しずつ声が出るようになる。絵里子が琴葉のひとり言に反応することで、ふたり言に発展し、会話に変わっていく。


 また、体勢や座り方も変わっていった。最初は絵里子がソファーの上に座り、琴葉が床のうえで正座してやっていたのだが、30分もすれば琴葉は体育座りになり、ソファーに背中を預け、もう30分もすれば、絵里子の隣に座ってプレイし……そんなふうにして開始から2時間近く経った頃。


「絵里子、ゲーム好きなんだね」


 ボソッと琴葉がつぶやいた。


「へっ」


 琴葉の言葉に、絵里子が間抜けな声を出す。ソファのうえで見つめ合っているふたりのの間の距離は30センチ程度になっていた。


「あ、今のは、えっと……」


 琴葉が小さく狼狽する。彼女としても、無意識で出てしまった言葉だったようだ……俺のこと若宮って呼ぶのは全然平気なのに、なんで絵里子呼びはちょっと及び腰なんだよ。


 そんな俺の感想はさておき、小学生女児に名前呼びされた絵里子は一瞬緊張した面持ちになるものの、すぐに破顔する。


「うんっ! 好きっ!!」


 その反応に、琴葉は少々驚いたようだったが、なにも言わずにゲームを続行する。


 表面上は無表情だが俺にはわかった。琴葉が、心のなかで喜んでいることが。ほんの少しだけ頬が赤くなり、普段は横に狭いその口が広がっているように見えたのだ。


 なので、俺は琴葉にだけ聞こえるように、小さく耳打ちする。


「やっぱ人間って生き物は、名字より名前で呼ばれたほうが嬉しいんだよ」


 俺がドヤ顔になっていたことも影響したのだろう。琴葉は苦虫を噛み潰したような表情になり、


「うるさい。若宮のばーか」


 そう言うと、べーっと舌を突き出し、フンッとそっぽを向いたのだった。



   ○○○



 琴葉が絵里子のことを名前で呼んだことがきっかけで、ふたりの間の空気は一気にゆるんでいき、程なくして俺が会話に入らなくても穏やかな空気が流れるようになった。


 ゲーム開始から2時間ほど経った頃。冷たい麦茶をふたりに出しながら、俺は琴葉に話しかける。


「中野がゲームは1日1時間までって言ってたから、明日はもうナシだな琴葉」

「若宮、おじいちゃんおばあちゃんが子供に好かれる理由って知ってる? うるさいこと言わずにひたすら甘やかしてくれるからだよ」

「なにが言いたい」

「若宮も私に好かれたければ、うるさいこと言わずに甘やかしてってこと。今の私の若宮の評価、10段階中6くらいってとこあるじゃん」

「……普通に結構高いな? もっと厳しくしてもいいのか?」

「訂正10段階中1」

「急に下がるんだな。いずれにせよ中野から頼まれてる以上、ゲームやり過ぎはダメ。見過ごすワケにはいかない」

「チッ、ケチだな……」

「くおら、なにを言ってるんだ何を」

「もー、そうちゃんったら! いいじゃんべつに夏休みなんだし、今日はお泊まりなんだし!!」


 絵里子が口を挟んできた。もはやノリが小学生の友達のそれだ。


「わかったよ。でも21時までな」

「わかった」


 そんなふうにして一応、琴葉には伝えておいた。これで夜中までやるとかそういうことはないだろう。


「てか琴葉ってゲーム好きなんだな」

「ぼちぼちね」

「琴葉の周りにゲーム好きな子とかいないのか?」


 すると、琴葉は足下にSwitchを置き、体育座りのように曲げた膝に顔を置いた。


「琴葉……?」


 なんの気なしの質問だったので俺は戸惑う。絵里子もゲームの手を止め、下から覗き込むようにしている。


「私ね……じつは学校に行ってないんだ」


 いつもはなかなか耳に届かない琴葉の小さな声が、そのときばかりは胸の中にまで届いて、なかなか離れていなかった。

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