141 中野家の三姉妹2
「あ」
すると、相手の口からもほぼ同時に同じ音がこぼれた。
同じ反応になったのは偶然ではなかった。いや、この再会が偶然の産物だったという意味では偶然なのだが……そう、俺は彼女とすでに会っていたのだ。なんなら、会っただけでなく、謎の攻防戦を繰り広げたまであった。
「琴葉、お帰り。LINE送ったの見た?」
「ごめん、スマホの電池……え、なんで。とも姉、ひよ姉、これ……こと?」
琴葉と呼ばれた女子小学生はそう言いつつ後ずさりすると、ドアの後ろから体を半分だけ出して、驚いたようにこちらを見る。警戒心がにじみ出た体勢だが、ドアに隠れず見えている左目は、強い光を宿しており、俺たちを躊躇なく睨んでいた。
彼女の声が小さいことをすでに知っている俺は、なんとか部分的に聞こえたが、高寺はさっぱりわからなかったようでキョトン顔に。
そして、俺に対して、
「若ちゃん、今なんて言ったか聞こえた……?」
と小さな声で耳打ちしてきた。そんな彼女に俺は、
「後で教えるから」
とだけ伝え、中野の様子を見守ることにする。
「あっ、もしかして琴葉……」
「……」
「……若宮くん、もしかして琴葉とどこかで会ったことある感じ?」
「ああ。今日の午前中に本屋でな」
俺がそう答えると、高寺が驚いたように息を飲む。その一方、中野の表情はわかりやすく曇った。
「もしかして、また参考書コーナーにいた?」
「そうだけど……」
「チッ……言うなよ……」
「琴葉、お行儀が悪いわよ」
俺に対して舌打ちしてきた琴葉を、中野はお姉ちゃんの顔になってたしなめた。
中野もお姉ちゃんなんだな。まあでも、たしかに女の子が舌打ちってのはお行儀良くない。男の子でも良くない。
「あなた、また本屋で参考書暗記してたの?」
などと思っていたら、たしなめたのは俺への舌打ちではなかった。おかしいなあ……中野家的には舌打ちって行儀悪くないのかな? もしかして、相手が俺だったから?
そんなことはさておき、参考書を本屋で暗記。
一瞬、聞き間違いかと思ったが、琴葉と呼ばれた少女は悪びれる様子もなく、むしろ「それのなにが問題?」とでも言いたげな様子でそのままキッチンへ行き、マイペースにうがい手洗いをし始めた。しつけがなっているのかなっていないのかわからない行動だ。
「琴葉聞いてるの? 必要な参考書は買いなさいって言ってるでしょう?」
うがい手洗いを済ませると、琴葉の表情は険しいものに変わっていた。
「聞いてるよ。聞いたうえで無視してんの」
「無視って、あのね」
「そんなことより、なんでお皿洗ってないの?」
「あ……」
途端に中野の表情が変わる。「しまった忘れてた……」と顔に書いてある。
「今日はひよ姉の当番の日でしょ」
「ごめん、ついうっかり忘れてて……」
「ちゃんとやってよ。仕事理由にしちゃダメって言ってるよね?」
「ごめんなさい……」
そして、瞬時に謝る。5歳年下の妹に叱られてシュンとなっている様子は、いつもの中野とは違うものだった。
「それであの琴葉」
中野がこちらをチラッと見ると、誘導されたかのように三女もこちらを見た。客人でありながらここまで注意も敬意も払われないのは初めての体験だ。
「あと、今日はいつもより大きな声で喋れる?」
「大丈夫、喋れる」
大きく吸い込むようにしてから返事をしていた。どこか無理をしたような意識して大きな声を出すかのような雰囲気だが、それでもやっと人並みの大きさ。段々声の小ささに慣れつつある俺は普通に聞こえ始めていたが、高寺はまだ眉間にシワを寄せ、聴力に意識を集中していることがうかがえた。
「琴葉は喉があまり強くなくて、そのせいで大きな声が出せないの。無理に出し続けると、声が枯れちゃったり痛くなったりするのよ」
「なるほろ……」
高寺がうなずくと、中野はふたたび琴葉のほうを向く。
「参考書、買っていいって言ってるでしょ?」
「高いもん、1冊2000円とかするし……中学の参考書って数も多いし」
「でも、みっともないでしょ? 毎日のように本屋さんに通って何時間も居座って。顔だって覚えられてるだろうし」
「べつにいいでしょ立ち読みなんて誰でもしてるし。立ち暗記くらい許されるよ」
「「立ち暗記」」
初めて聞いた単語に、俺と高寺は思わず繰り返す。
「私は勉強が好きなの、ひよ姉と違って。それに、今の私は時間があるから予習を進めておきたいの、ひよ姉みたいになんないように」
琴葉の言葉に、標的となった中野は苦しい表情を浮かべ、標的とならなかった朋絵さんは気まずい笑顔になる。
「私が勉強で苦労していることは事実だからさておき、まだあなた小学生でしょう? 予習を進めるにしても、中1の内容を……」
「中1はもう終わった。今やってんの中2で、もうすぐ中3」
「もうすぐ中3……」
「それに、小学生は関係ない。ひよ姉だって、高校生なのに仕事ばっかだし」
「それは……」
声が小さいだけで気は結構強い、という自己分析は正しいようだ。5歳年上の中野に対しても琴葉は一歩も引いていない。というか、百歩くらい押してる感じだ。やってることはさておき、言ってることは間違いじゃない。
「まあまあ、ケンカしないで。今日は顔合わせでしょ?」
俺がそう言うと、琴葉は「ああ……」という顔を見せる。誰かに2晩預かってもらうという話自体はすでに中野から聞いていたらしいが、かなり不満な様子だ。
「要らないって言ったのに。私、2日くらいひとりでも平気なのに」
「でも琴葉、あなたまだ小学生でしょ? なにかあったらどうするの」
「逆にとも姉は私になにがあるって言いたいの」
「そ、それは……」
「私はひよ姉より家事も掃除も洗濯もできるんだけど。ひよ姉のブラとかパンツ、洗ってるの私でしょ?」
「ちょ、ちょっと……」
「毎日仕事ばっかで、家のことは全部とも姉に任せっきり。私が家事手伝うようになってからはもっとサボるようになった。今は週1回の皿洗い当番もサボろうとする」
琴葉の言葉に中野は、焦りと困りが混じったような表情で頬に手を当てていた。
ここに来る前、中野は妹のことを「物わかりのいい子」みたいに言っていた気がするが、正直そんな感じにはまったく見えない。
そして、すっかり静かになった部屋で、琴葉の辛辣な言葉が響く。
「そんなに仕事が好きなら、仕事と家族になればいいのに」
その直後、俺の横でバンッと大きな音が響いた。
見ると、高寺がテーブルに手を置いて立ち上がっていた。
「おい、そこの君。さっきから黙って聞いていれば、りんりんに失礼な物言いを……」
高寺は珍しく、本気で怒っているようだった。というか、知り合って以降、彼女が怒るのを見たのは初めてかもしれない。
しかし、声のボリュームとは対照的に気は強い琴葉が、すかさず食ってかかる。
「失礼ってなに? っていうか、あんた誰?」
「あたしは高寺円! りんりんの親友にして事務所の後輩さっ!!」
すると、琴葉は高寺の言葉を鼻でフッと笑う。
「親友? ひよ姉に親友なんていないけど。だってそもそも友達がいないし」
「ちょっと琴葉、あなたは重大な勘違いを……」
「そんなことないっ! やっぱ君はりんりんのこと全然わかってないっ!!!」
「高寺さん……」
感動で軽く目をうるうるさせている中野に対し、高寺は親指をグッとさせた。
「昔はそうだったかもしれないけど、今は違うんだよっ!!!」
加勢じゃなく、べつの方向から中野を傷つけてるだけだった。味方に脇腹を刺され、中野は思わずガクッとうなだれる。そんなやり取りを横目に、琴葉は高寺のほうをふたたび向く。
「ってのはまあいいとして、親友だったらなに? 私はひよ姉の家族だけど?」
「家族だからって言っていいこととダメなことがあるでしょ。りんりんはめちゃお仕事頑張ってんだよ? なのになにその態度」
「初めて家に来たのに説教してくる、クソ恥知らずバカ女には言われたくないけど」
「仕事と家族になればいいのにってなに? 真面目に働いてる人に言うこと?」
「真面目に働いてることなんか知ってる。でも、ひよ姉はただのオーバーワークじゃん。家のこと放り出してみんなの時間犠牲にしてなんて、私もとも姉も望んでない」
「でも生きてくうえでお金は必要だしょ?」
売り言葉に買い言葉、そしてふたたび売り言葉。小学生VS精神年齢小学生の戦いは、一気にヒートアップしていく。中野も朋絵さんも、割り込もうとしているが、どこで割り込んでいいかわからないようだ。
「それは家のロー……うっ、うぐっ!!」
と、そこで琴葉が急に苦痛に顔をゆがませて、喉を押さえてその場にしゃがみ込んだ。本当に苦しそうで内心かなり焦ったが、俺より先に朋絵さんと中野が駆け寄る。
「琴葉、大丈夫?」
「いつもより大きな声出してたから」
「平気だか……話が終わったら上行く……ってか話すことなんかないんだけど」
そして、琴葉はギロリと高寺を睨む。その表情は女児とは思えぬほど凄みに満ちたもので、隣の高寺は若干うろたえた。
だが、もう引けなくなっているようで、手をグッと握ると一歩前に歩み出る。
「君、自分の立場わかってる? あたしの家に泊まるか、あたしがここに泊まるかするんだよ? なのになんでそんなケンカ腰なの?」
「……し、頼んでなんか……れも、とも姉とひよ姉が勝手に……ことだし」
「勝手にって! や、頼んでなくても、ふたりは君のことを思ってやっただけで!」
琴葉は今やかなり小さく、かすれた声だったが、高寺の耳も次第に慣れてきたのか普通に口論が成立していた。
「次会ったらタダじゃおかないんだから」
「おい高寺、お前、この子を預かるんじゃ……」
「は? そんなの知らないし!」
「えっ、でも中野の頼みだろ?」
思わず割り込んだ結果、まさかの言葉が返ってきた。
「向こうがケンカふっかけてくるんだから仕方ないでしょ! てか若ちゃん、どっちの味方なの?」
「どっちのって……」
高寺の勢いに押され、俺は助けを求めるように中野と朋絵さんを見るが、ふたりはわざとらしく視線を逸らす。
「ふたりとも! 現実から目を背けないで!! ……な、琴葉。高寺はちょっと違うタイプかもしれないけど、今はひよ姉ととも姉の顔を立てて歩み寄っても……」
「調子乗って……さもなくば……台所の包丁……滅多刺し……抹殺」
だが、琴葉は念仏をとなえるように、高寺を睨みつけながらつぶやき続けていた。
「……とも姉もひよ姉も家をあけるんだ。さすがに二晩、ひとりは辛いだろ?」
「アイスピック……ひとつき……即死……富士の樹海……抹殺」
「ちょっと単語のチョイス怖くないか? 聞こえてくる単語全部怖いんだけど」
「睡眠薬……お茶……眠ったら……軽自動車ごと崖から一気に……抹殺」
「おい琴葉、それ絶対わざとだろ! 声が小さくてところどころしか聞こえないんじゃなく、狙って凶悪な単語だけつぶやいてるだろ!」
そうであってくれと思いながら俺がツッコむと、琴葉は凶悪発言こそ止めたが、高寺を睨みつけるのは止めなかった。
その様子を見て、朋絵さんが諦めるようにつぶやく。
「でも、やっぱり琴葉をひとりにするわけには……仕方ない。私、ゼミ旅行休むよ」
「え、でも朋絵……」
朋絵さんの宣言に、中野がすぐに反応。だが、その言葉にはもはや強さはなく、朋絵さんと同様の諦めを感じさせた。
そして、それを見て、高寺がハッとして、急にシュンと気まずい表情になる。琴葉とは2晩過ごせないと啖呵を切った彼女だが、そのとき、朋絵さんのゼミ旅行のことは頭から消えていたらしい。
すると、その空気は琴葉にも感染した。彼女自身、朋絵さんには旅行に行ってほしいと思っているのだろう。だからこそ、謝罪はしないものの、先程までの自分の行動をどこか悔やんでいるように、唇の端を噛みしめている。
と、そのとき、彼女がふいっと視線をあげ、俺を視界にとらえた。
「おい琴葉、どうかしたか?」
「……」
しかし、琴葉は答えない。さっきは名前で呼ぶなと言ったが、今回はそのツッコミもない。その瞳にはあやしい光が宿っており、さまざまな計算が脳内でうごめいているように感じられた。
そして、小さくうなずくと、顔をあげ、決意に満ちた表情で中野と朋絵さんに、交互に視線を送る。
「ひよ姉、とも姉、私決めた」
そして、琴葉はいきなり俺の腕をギュッと掴み、3人に見せつけるように宣言する。
「じゃあ私、この人と泊まる」
「……はあっっっっ!!!???}
個人的に一番好きなのが、この琴葉というキャラだったりします。




