140 中野家の三姉妹1
リビングは木の質感豊かな非常にナチュラルな空間で、家というより、カフェと言ったほうが近い雰囲気だった。
入って左側には広いキッチンがあり、リビングに向かい合う形になっている。庭に面した窓には木製のサッシが使われ、温もりが感じられた。周りに高い建物がないせいか、そもそもこの家が高い丘のうえにあるせいか、窓から差し込む光は強い。
テレビを挟む形で左右に設置されている戸棚にはトロフィーや賞状、写真などが飾られていた。それらはすべて中野を撮ったもので、
『2017年10月1日 『声優・オブ・ザ・イヤー 助演女優賞』受賞式』
『2018年2月20日 映画『じょしぶらっ!』舞台挨拶』
『2019年3月15日 『ラジアニアワード』授賞式』
……みたいに、日時とどんなイベントでの写真なのかが丁寧に記されている。文字は……少々子供っぽい印象であり、その周囲にはアニメキャラの人形がたくさん並んでいた。
また、他にも空気清浄機(加湿機能つき)が部屋の端と端にふたつ置かれていることや、部屋の端にハチミツの段ボール(側面には『マヌカハニー』の文字がある)が置かれていたり、トロフィーや写真の隙間にアニメキャラのフィギアが置かれているなど、声優の家だなと感じさせる箇所がいくつかあった。
こんなふうに全体的に温かく、優しげな雰囲気があふれている部屋ではったが、学生でありながら家事を一手に引き受けてきた俺の目は、いくつか住む人の手が届いていない場所を見つけてしまう。
たとえば、キッチン。
流し台には食器が洗われないまま水に浸けられていて、これはまあ朝浸けたまま3人とも家を出ただけって可能性もあるのだが、問題はシンクとガス台。料理カスのようなモノがこびりついており、お世辞にも清潔とは言いがたい感じだったのだ。もしかすると、魚焼き器はもっと酷い感じかもしれない。
こちらはジロジロ見るのが失礼になりうるものだが、着たあとの部屋着をぶち込んだランドリーボックスも部屋の隅に置かれていた。俺がチラッと見たことで気付いたのか、中野がそれを持って素知らぬ顔でリビングから運び出していく……が、洗濯機を回す音は聞こえてこないまま部屋に戻ってくる。
その他にも、表面的にはキレイなものの、家事に手や頭数が足りていないことが見て取れる、そんな感じの家だった。
だが、俺はべつに落胆していたワケではなかった。むしろ、表面的にでもキレイに保てているだけでスゴいとすら思った。なぜなら、本当に3人だけで住んでいることが確認できたからだ。
正直な話。
べつに疑っていたワケではないのだが、これまで中野から両親が事故死したと聞いても、正直なところ、なかなか現実味を感じることができていなかったのだ。「マンガとかラノベみたいな話だな……」とすら思っていたところもあったのだが、この目で実際に目の当たりにすると、なるほど本当だったんだなとわかる。
コトン。
そんなことを考えていると、目の前にティーカップとポットが置かれる。顔をあげると、朋絵さんが優しい目で俺と高寺を見ていた。
「紅茶、ちょうど切らしてて」
「あ、お構いなく」
「アールグレイとダージリン、アッサム、ニルギリしかなくて、一杯目はアールグレイにしたんだけど良かったかな?」
「4種類もあって切らしてるとは言わないのでは?」
「あたし、アールグレイとダージリンですら、違いわかんないし……」
俺と高寺が口々にそう述べると、朋絵さんはふふっと笑う。
「いいのよ。飲んでる私たちもべつに違いよくわかってないし」
「そうなんですね」
「貰い物でさ」
「中野がファンから貰ったとかですか?」
「ううん、これは私が貰ったの。男の人から……でも誰だったかな?」
「あー、そうなんですね。はは」
思わず苦笑になってしまったが、朋絵さんは気付かないのか気にしてないのか、にこやかな表情のまま紅茶を注いでいく。男の人ってどういうことだ? 彼氏ってこと? いやまあ美人さんだからそりゃ彼氏くらいいるだろうけど……。
などと思っていると、紅茶の香り立つ匂いが俺の思考を包んでいく。カップが差し出され、勧められるまま飲むと、上品な茶葉のうまみが口の中に流れ込み、喉を通って体を内側から温めていった。
「あ、美味しい」
「ふふ、良かった」
「あたしも紅茶ってあんまり飲まないんですけど、これはすっごく飲みやすいです」
高寺も少し驚いたように笑ってみせる。
そして、俺は自分がいつの間にかリラックスしていることに気づいた。ここに来るまで少なからず緊張していたはずなのに、我ながら驚きだ。
と、そんな気持ちを察したのか、朋絵さんはニッコリ優雅に笑って俺に語りかける。
「あと、さっき若宮くん、『お構いなく』って言ったけど」
「言いましたけど?」
「せっかくだし、できるだけお構いさせていただくわ。だってあなたたち、ひよりちゃんが初めて家に連れてきたお友達なんだもの」
朋絵さんの言葉を聞き、中野がひくっと眉をゆがめる。
「朋絵、余計なこと言わないでいいから」
「ふふっ、ごめんね。でも、これは余計なことじゃないでしょう? 姉としては、やっぱりちゃんと感謝の気持ちとか陳謝の気持ちを伝えなくちゃいけないし」
「陳謝ってなぜ謝るのよ」
「だって、ひよりちゃんが自分らしくいられるってことは、それなりに迷惑をかけてるってことだからね」
「……くっ」
そう言うと、困ったように中野が口をつぐんだ。否定したいが、否定するのも難しいと感じているらしい。
そして、朋絵さんは姿勢を正すと、俺と高寺に語りかける。
「ひよりちゃんから話は聞いてるわ。高寺さんだっけ、琴葉を二晩預かってくれるって」
「はい! あたしが責任を持って」
「ありがとう……本当に助かる……」
そして、話はいよいよ本題へと入っていった。
○○○
「ひよりちゃんからある程度は聞いてると思うんだけど、ゼミで関西に5日ほど行くことになってね。半分遊びのようなものだから行かないことにもできたんだけど」
「朋絵が一生懸命バイトして自分で稼いだお金なワケだし、行かないなんてもったいないでしょ?」
「ってひよりちゃんが」
そう言うと、朋絵さんはクスッと笑う。朋絵さんのほうが年齢は5つ上なようだが、おどけた様子を見ていると、やはり姉の威厳的なものはあまりないようだ。
そして、軽くスキップしているかのような独特な口調で、朋絵さんは俺たちに向かってくすくすと言う。
「ひよりちゃん、ご存じのとおりお金には、すこーしばかりうるさいでしょ?」
「朋絵さん、お言葉ですが少しというか、結構、いやかなり、いや相当」
「若宮くん、言い直すなら一度で済ませてもらえるかしら」
中野が能面のような笑顔で俺を脅す。
すると、朋絵さんはそれをやんわり制止するように、中野の前に身を乗り出した。
「こんな感じだからさ、行きなさいよ、ブッチしたらいてこますぞ、って雰囲気だったんだよね」
「えっと、話の流れはわかったんですが、い、いてこます?」
「なんですかそれ」
俺と高寺がキョドりながら反応すると、朋絵さんが「ま」と少し照れたように頬に手を当てる。
「ああ私、方言研究のゼミで。それで出てしまうの、日本各地の方言が」
「あー、方言」
「そう、なまら出てまうんよ」
「今も出ましたね。なまらは北海道弁で、出てまう、は関西弁かな?」
「せやせや。いてこますも関西弁やね」
朋絵さんはニッコリ優美な笑みを浮かべる。すでに、発する言葉もイントネーションも、関西のそれになっていた。
すると、中野が少し呆れたような、それでいて嬉しさをにじませた表情で、朋絵さんの肩に手を置く。
「朋絵は語尾やイントネーションがあまり安定しないのよ、ゼミでどこかに行けば必ず影響されて帰ってくる。フィールドワークに出た後は大変よ。もう、なに言ってるかわかんなかったから」
「とくに青森がね。なに喋ってるのか、自分でもわがらねがったから」
中野を見上げながら、朋絵さんはクスッと笑う。青森の話をした途端、若干津軽弁が混ざってきたので、もうなんか怖い。
だが、そんな朋絵さんを見る中野は、どこか自慢げだった。
「朋絵はすごいの。大学に通いながらバイトもして、家事とかもやってくれて……本当に尊敬しているのよ」
「でもひよりちゃんほど忙しくないし。たしかにゼミもバイトもあるけど、女子大生らしいこともしてるからさ」
「女子大生らしいこと?」
高寺が首をかしげると、朋絵さんが人差し指を唇に当てながら、色っぽく微笑む。
「んー、デートとか、男の人と会うとか、男の人と遊ぶとか」
「それ全部同じ内容じゃないですか。なんで言い換えたんです」
「若宮くん、朋絵はすごくモテるのよ」
「いや、なんで中野が自慢げに言う」
俺のツッコミに対し、朋絵さんはふふふと優雅に笑うものの返答はなく、むしろ口を挟んできたのは中野だった。
「私が清純派声優として恋愛を自粛してる分、朋絵がモテてるのは嬉しいの。そうすると、自分まで肯定されてる気持ちになるでしょ? 血は繋がってるワケだし、私はまだ本気出してないだけって感じがして」
「自己肯定感の保ち方それでいいのか? なんか人としてすごく大事なモノが欠けてる気がするぞ」
「りんりんそれニートの思考……恋愛ニートなんだね。あはは」
そんなふうにツッコミを入れる俺と高寺だが、中野には一切聞こえていないようで、嬉しそうに朋絵さんの肩に手を置くなどしている。聞こえていないというか、話を聞いていないという感じだ。
まあでも、朋絵さんがモテるっていうのは納得だ。ビジュアル面では中野と並んでいるのに、内面もわりと常識人っぽい。時折垣間見える天然さもむしろプラスに働いていそうだし、それに時々「男の人」的な発言をしているせいか隙もある感じで……いくら美人でも中野みたいに隙がなさすぎると、男は近づきにくいと思うのだ。
そのとき、玄関のドアがガチャッと開く音が聞こえる。
「あ、琴葉帰ってきたかな」
朋絵さんがそう述べると、リビングのドアに向かってトタタと駆けていく。
彼女がドアにたどり着くのと、それが開くのはほぼ同時だった。漏れ込む光の中に、ピンクのワンピースに身を包んだ中野の妹が姿をあらわす。髪は亜麻色の癖っ毛で、波打った髪を顔の横でまとめ、小さなピンクのリボンで結んでおり……
「あ」
思わず、俺の口から間抜けな音がこぼれた。




