139 中野家へ…2
中野の家に入るのは初めてだが、訪れるのは初めてではない。というか、もう十数回くらい行っていると思う。石神井との中間テスト対決で、高寺の家で勉強会を行なったあと、歩いて送っていっていたからだ。テストの前の週などは、3~4日のペースで夜道を一緒に歩いていた気がする。
遠足や小学生向け声優体験講座、大学見学などいろんな出来事があったせいですっかりそんな気にはなっていなかったが、よく考えればあの日々からもう3ヶ月近く経っている。 当時は中野と話すだけでまだ緊張していた気もするが、今の俺は高寺を合わせても余裕で会話できている。いつしか、複数人でいるときに喋れないという悪いクセからも解放された気がするし……。
そんなことを思いつつ、高寺の家を出て俺たちは歩き始めた。駅を通り過ぎ、坂をのぼって家へと向かう……と思いきや、中野は東急田園都市線の改札へと向かった。
(えっと……歩いて行くんじゃないの……?)
心の中でそんな声を漏らしていたが、中野はごくごく普通な顔で各駅停車に乗車。小さな山のなかを進むように電車はゆるやかにのぼっていき、トンネルを抜けて少し進んだところで停車した。
そんなふうに渋谷と反対方向へ進むこと1駅。
つまり隣駅。
そこで俺たちは降りた。梶が谷駅だ。
階段をのぼって改札を出ると、眼下には線路が通っていた。駅舎の下を線路が通っている、いわゆる橋上駅という形態の駅で、改札を出たところがすでに橋のうえ……というふうに伝えればなんとなくイメージできるだろうか。
周囲を見渡すと、さらにこの周辺の地形構造がわかってくる。どうやらここは坂の上にある駅で、改札を出て右に行っても左に行ってもまっすぐ進んでも、どこも下り坂になっているらしい。線路沿いにある急な坂道を、小学生の男の子たちが歓声をあげて、次々とくだっていくのが見えた。
駅前は決して栄えているとは言えず、TOKYUストアに加え、タリーズ、モスバーガー、カメラ屋、ドラッグストアがある程度。駅の向こう側にはコジマとビックカメラが合体したらしき店があるが、若干距離がありそうな感じ。駅改札から左側に少し進むとバスターミナルが広がっていた。
周囲には多くのマンションが建ち並んでおり、比較的新興の住宅街であることがわかる。それを裏付けるかのように、店的に栄えているワケではないものの、歩いている人の数が結構多い感じだった。
先導する中野と、その横で嬉しそうに付きまとっている高寺の後ろをついて歩くこと1分。すぐに見覚えのある通りに出た。石神井とテスト対決中、中野を家まで送り届けていたときに歩いていた道だ。ここから家まで約2分。つまり、梶が谷駅から中野の家までは、歩いて3分くらいの場所だった。
結果、俺の心のなかに浮かんだのはこのような感情だった。
(えっ、こんなに駅から近かったの……)
(てっきり最寄りが溝の口で、長い長い坂をのぼって暗い夜道を通って帰る必要があると思ったのに……)
(だからあの頃張り切って送ってたのに……なにこれ俺めっちゃ恥ずかしくない……?)
夜道だったのと、少し歩くと意外と電車の音が聞こえないのと、俺が溝の口の向こう側の駅事情について疎かったせいで大きな勘違いをしていたようだ。電車のなかでは基本読書ゆえ、景色を見ることがほぼほぼないのは裏目に出てしまったようだ。
と、角を曲がるところで、道沿いに小さなパン屋があることに気付く。送っていた当時はいつも夜なので気付かなかったらしい。
すると、高寺もその存在に気付いたらしく、中野に駆け寄った。
「ね、りんりん! お土産でも買って行ったほうがいいかなあ?」
「べつに必要はないけど……たぶん朋絵が紅茶をいれてくれると思うから、それに合うものがあればいいかもね」
「わかた! 買てくる!」
気が焦って完全に「っ」が抜けた返事を高寺がして、ぴゅーっとパン屋の中に入っていった。なので、俺は中野に話しかける。
「家、こんな近い最寄りあったんだな」
「そうだけど?」
それがなにか、とでも言いたげな平然とした表情。
「中間テストの前、そんなこと一言も言わなかったじゃないか」
「あら、そうだったかしら」
「なんか俺、危ないからとか言って送ってたけどこの距離なら平気だったかなって」
そこまで話し、俺の頭にまさかの可能性が浮かぶ。
「え、中野もしかして俺に気を遣って……?」
すると、中野はいつも通りの冷静なトーンで。
「いえ、それはないわ。たしかに最寄りはこっちだけど私、体力強化のために歩いて帰ることも普通にあるから」
ばっさりと言い返してきた。本当に俺に気を遣っていた様子はなさそうで……当初の予定ではそれが嬉しい回答だったはずだが、変な可能性を見いだしてしまったせいで、なんだか悲しい。まあ完全に自業自得なのだが。
「でもまあ、夜はないけどね。夕方の危なくない時間帯のときだけ」
「なるほど」
「まあでも、べつにあなたに気を遣ったワケではないから。いずれにせよね」
「……そっか。いや、ならいいんだ。気にしないでくれ」
ホッとしたような若干がっかりなような、嬉しいような嬉しくないような、そんな微妙な気持ちになっていると。
「おっ、待ったっせっー!!!」
高寺が袋を抱え、満面の笑みでパン屋から出てきた。気持ちが高ぶった結果、今度はいつもより「っ」がめっちゃ多い状態になっていた。
○○○
そして、歩くこと1分。
夜道を送っていた日々のように、洋風な外観の家にたどり着いた。
漆喰の白さが印象的な壁。1・2階にある窓の枠も白く、それが格子状になっているのがオシャレで……モチーフになっているのは、英国の郊外の住宅と言ったところだろうか。 これまで見ていたときはいつも夜だったので、細かい部分まで見えなかったが、昼間に見るとそれが小洒落た家であることがよりわかる。
家の前には小さな庭があり、左側には玄関に至る道が、右側には白いコンクリートで舗装されたスペースが広がっていた。駐車スペースなのだろうが車はなく、女性モノの自転車が3台置かれているのみ。ガランとして場所をもて余している。
玄関へつながる通路は小さく蛇行しており、同じサイズで色違いの並べられたタイルで出来ている。その脇には鉢植えやキャンドル風のライトが置かれていて、チョイスもかわいい。玄関から見て1メートル四方は軒下になる感じで、いかにも西洋風な、丸いアーチが上にかかっていた。
また、その横の壁にはバラの花を模したストーンカービング、つまり石の彫刻が上下に2つ取り付けられていた。これ自体は東南アジアのアイテムで、普通はプルメリアなど南国っぽい花が彫られることが多いのだが、中野家のはバラだった。この花はイギリス連合王国の国花であり、おそらくこのストーンカービングが特注品であることを想像させた。
他にも玄関ドアの金属がアーティーク風だったり、外観に関して言えばかなり凝っているのが容易にわかった。建売や一般的な賃貸マンションではあり得ない、様々なこだわりが詰まっている。
だが、俺にはいくつか気になるポイントがあった。「せっかく鉢植えがあるのに植物が植えられてなくてもったいない」とか「タイルの一部が破損したままになっている」とか「掃除が行き届いていないせいで、ストーンカービングが汚れている」とか、まあそんなところ。ゆえに心のなかで、
(俺なら掃除するけど、気にならないんだろうか……)
(素敵な家なのに、ちょっともったいないかもな……)
などと思うワケだが、初めて来た分際なので口に出すことはしない。
そして、じっくり見ていたせいか、当の中野はすでにカバンから鍵を取り出し、鍵を開けていた。
「少し散らかってるかもしれないけど」
そう言葉にしつつ、視線で俺と高寺に入ってとうながす。
中に入ると、まず最初に目に入ってきたのはアーチだった。白い壁が曲線を描き、玄関スペースとその先の軽い間仕切りのようになっているのだ。家の外にあったのに、中にも……とさすがに驚かざるを得ない。
洋風漆喰を使った白い壁に対し、床はぬくもりを感じさせる明るい色の木で、対比が際立っていた。
右側にはリビングがあるのが、ドアが開いていて中がチラリと見える。反対側にはドアが複数個並んでおり、推測するに誰かの部屋、浴室、トイレという並びだろうか。真正面には2階へと繋がる階段があった。
「わー、こんな感じなんだ~!!!」
「高寺さん、右がリビングだから」
「はいよ~。おじゃましまーす!」
高寺が歓声を上げ、勢いよく靴を脱ぎ、リビングへと入っていく。家主より前に入っていくのだからスゴい。わかっていたことだが彼女には遠慮という概念がないらしい。もし異世界に転生したら警戒心がなさすぎて、すぐに死んでしまうに違いない。
足下を見ると、玄関に置かれているのはすべて女物の靴で、中野が普段履いているスニーカーや、制服時のローファーが置かれている。その横には、小学生向けっぽいかわいらしい雰囲気のスニーカーが数個。これは中野の妹のものだろう。
一方、反対側には一転して大人っぽいブーツ、ショート丈のマーチン、紺色のビルケンシュトックなど、シンプルだが品のいいアイテムが並んでいた。中野の姉のものに違いない。まあサイズ的に、中野と共有にしてる可能性もありそうだけど。
そんなことを考えながら家の中を見渡していると、中野がいきなり俺の足を蹴る。
「いでっ」
「あら、ごめんなさい。靴を脱ごうとしたら、当たってしまったわ」
「靴を脱ぐうえで足を蹴り上げる動作はないだろ」
「わかっているのなら、ジロジロ見てないではやく入って」
ジト目で俺を見ながら、中野が俺を睨みつける。
「悪い……クラスメートの家に来るのってやっぱ慣れないと言うか……」
「そう……私も、クラスメートを家に招くのは初めてよ」
「そうなんだな」
と、そのとき、である。階段から視線を感じて、その方向を見ると……
階段越しに大人びた雰囲気の、ふんわりとした癒やし系な感じの、それでいて中野に似た雰囲気の顔立ちの女性が、顔だけ出してこちらを見ていることに気づく。
「てへ。バレちゃったかあ」
「朋絵……なんでそんなところにいるの?」
中野が尋ねると、朋絵と呼ばれた女性が階段の向こうからあらわれる。
身長は中野と同じくらい。袖がチュール素材でふわっとしたシルエットのTシャツに、前にボタンがついたデザインのフレアスカートを、ハイウエストで合わせている。髪は程よくウェーブのかかった茶色のミディアムで、ぱっと見でわかるくらい、上品なオーラに包まれていた。
そして、ぱっと見でわかることがもうひとつ。服の上からでも十二分にわかるほど、彼女は豊かな胸をしていたのだ。
ウエスト部分が上にきていることも俺の視覚に影響しているのだろうが、にしてもなボリューム感だ。
「いや、ほんとはお姉ちゃんらしく優雅に? 登場したかったんだけど、タイミングを見失って」
ペロリと舌を出しながら、朋絵さんはウインクをこちらに向ける。
「朋絵は普通にしていたら十分優雅よ。だから早く下りておいで」
「ふふ、そうすることにしよっと。にしても、はやかったねえ、ひよりちゃん」
どこかスキップしているかのような軽やかな口調で述べると、朋絵さんは階段をトントンと降り、残り二段になったところで飛び降りた。ふわっとスカートが浮き上がり、細いながらも肉付きのいい太ももがあらわになる。
そして、まるで床が受け入れたのかのように静かに着地すると、彼女は俺を見てにこやかに「いらっしゃい」とつぶやいた。