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138 中野家へ…1

 そんなふうにして成績表を渡し忘れた結果、俺は夏休みが始まって2日後、高寺の家に向かうことになった。


 参加メンバーは俺、中野、高寺の3人。成績表を手渡すだけに会うのもアレだし……という流れで、宿題を一気に進める勉強会をすることになったのだ。幸い、この日は夕方まで中野も高寺も仕事がなく、宿題を進めるのには最適な日であった。


 夏の日差しが容赦なく降り注ぐなか、俺は自宅から最寄りの二子新地駅へと歩いて行く。多摩川の河川敷でバーベキューをするためにやって来たらしきリア充大学生たちが、きゃっきゃうふふと隊列を成していた。


 こういう描写があると、青春学園ラノベの主人公なら「リア充爆発しろ!」とか言いそうだが、物心ついた頃から河川敷から1キロ圏内に住んでいる身としてはそんなことでイチイチ心を動かされたりしない。むしろ、大雨のあとの青空くらいに澄み切った心と温かい目で見守ることができる。そして、女子大生たちに白い目で見られる。


 溝の口駅に着くと、俺は高寺家に行く前に通り沿いにあるスーパーに立ち寄った。一応招かれた身なので、なにか軽食的なモノを買っていくことにしたのだ。


「キットカット……はなんか受験意識出過ぎ感あるし、ポテチは手が汚れるしポッキーはちょっと恋人っぽいし……ビスコ??」


 そんなふうに迷った結果、手を伸ばすと……


「「あっ」」


 向こう側から手を伸ばしてきた女性と手が触れた。


「よ、よう」

「あら、今日も今日とてストーカー活動にご熱心なようね、スト宮くん?」


 そこにいたのは、冷ややかな表情を浮かべた中野だった。まさか2回もこんなベタなイベントが起こるとは。


 彼女の今日の服装は、夜空に星が浮かんでいるかのような、黒を基調とした花柄のワンピースに、黒のサンダル、そして網状のトートバッグという……という感じだった。


 全体的に垢抜けすぎていて高校生感はもはやはなく、その一方でサンダルの底がコツコツいいそうにない素材だったり、トートバッグが結構デカいというところに、声優っぽさを見て取れる。


「そっちもこれを買おうと?」

「ええ、そうよ。私、パン食連合ビスコ派だから」

「どこの黒髪の乙女だよ」

「私が黒髪の乙女なら、若宮くんはふかづめ詭弁論部ってとこかしら。あ、もちろん絵は羽海野チカ先生のじゃなくてね」

「それを言うなら深爪じゃなくさしづめだ。で、俺は……まぁ、詭弁論部かもな」


 そこはなんとなく納得してしまう。


「スナック菓子ってあまり好きじゃないのだけど、唯一、ビスコとカルピスだけは許せるのよね」

「なんとなく健康に良さそうな気がするもんな」

「収録前にもよく食べるの。収録で使うマイクって性能がいいでしょ? 小さな音でも拾うからお腹が鳴るといけなくて、空腹も満腹も避ける必要があるの」


 ビスコを顔の前に出しながらそう述べる中野は、すでにちょっとしたCMのようだった。


 結局、ビスコとお茶を購入し、俺たちは店をあとにした。


 そして高寺の家があるマンションへと歩きながら、俺はあることを思い出す。


「そうだ。成績表預かってきたぞ」

「あら、どうも」


 忘れないうちに手渡すと、中野は視線を上下左右に動かし、リュックの中に入れる。


「ったく終業式くらい来いよな」

「行くワケないでしょう? 行っても出席日数にはカウントされないし、成績表受け取るだけだからね」

「それがメインなんだけどな。で、どうだった?」

「……」


 尋ねると、中野はこちらを見る。意味深な数秒間の沈黙ののち、口を開いた。


「130位だったわ。前回と大差なしね」

「なんだ良くなってるじゃないか。ちょっと焦ったわ……」

「からかってみただけよ。ひとまず維持できて良かったわ」

「だな。これで予備校の授業に集中できるな」

「……できれば勉強なんてしたくないんだけどね。勉強せずに成績を上げる道具、誰か発明してくれないかしら」

「どこののび太だよそれ」


 面倒くさそうにため息をつく中野だが、俺にはそれが照れ隠しのようにも思えた。高寺と違って、素直じゃないところがあるからな。


「それで言うと結局、なんの講座とったんだ? 夏期講習は」

「英語2コマに古文、漢文、そして社会2科目よ」

「合計6コマってことか」

「若宮くんがなにを取ったかは聞いてないからね」

「俺は5つだ」

「あら、先回りして釘を刺したのに」

「いやそれくらい聞いてくれよ。脳の容量増えないだろそんなに……」


 そんなことを話しているうちに、高寺家に到着。インターホンを押して開けてもらい、玄関のドアをノックすると、家主の高寺が満面の笑みで迎え入れてくれる。


「やほー! ふたりとも来てくれてありがと!! うわ、もしかしてりんりん差し入れっ!?」

「ええ、飲み物と軽食だけどね」

「うわっ、嬉しい! ちょうどつまむものなくてどうしよって思ってたんだ!」


 そう言って中野からビニール袋を受け取ると、高寺は中へ手招きする。


 彼女はと言うといつもの通りラフな服装で、「MILKFED」の赤いロゴが入ったシンプルな白Tを、黒い膝上丈のデニムスカートにインしている。


 高寺の部屋は、この辺りではもっとも背の高い建物の最上階なので、日光を遮るものがなく、太陽をいつもより近くに感じた。



   ○○○



 勉強を進めること1時間。静かに宿題を片付けていると、横から「はあ……」と、深いため息が聞こえてきた。その方向に視線を送ると、ため息の主は中野だった。


 俺と高寺が反射的に顔をあげたのに気づくと、中野は「しまった」という表情になる。


「どうした中野。ため息なんかついて」

「いえ、ついてないわ。気のせいよ」

「ため息ついたうえに、ついてないってウソまでつくのか」

「若宮くん、だから気のせいだって」

「でも、あたしたちの前でため息とウソをついたのが運のツキだね。お嬢さん」

「ちょっと高寺さん、ややこしくなるから言葉遊びしてこないで」


 中野が髪をかきあげて、苛つきを抑えるようにして俺に返す。


 なので、俺はいつも以上に落ち着いたトーンで、中野に尋ねる。


「あんまり聞いてほしくなさそうに感じたから聞くけど」

「聞くのね」

「自分で言うのもなんだが、俺は優しい性格の持ち主だからな」

「若宮くん、あなた私を煽ってるよね?」

「違うよ心配してんだって。はい高寺バトンタッチ」

 俺が顔で合図すると、待ってましたという感じで、高寺が中野にまとわりつく。

「りんりん、もしかして悩み事? あたしたちで良ければ話聞かせて」


 すると、中野はふっと軽い笑みを浮かべ、こう返す。


「お心遣い、ありがとう……でもこれは私の家族の問題だから、あなたたちに話すことではないわ」

「大丈夫! 人類皆兄弟って言うし、そういう意味じゃあたしたちも兄弟!」

「えっと、性別だけで言えば姉妹のほうが正しいってのはさておき、すごい論理飛躍ね」


 中野が困り顔でつぶやく。


「兄弟てことはつまり家族! ゆえに悩み言うべし!!」

「まさかそんな陳腐なフレーズで説得を試みられる日がくるとは思ってなかったけど」

「言うべし! べしべし!!」

「高寺さんが言うと似合うから不思議よね……」


 こめかみに手を当てながらつぶやくと、中野は数秒間沈黙。


 そして、今度は小さくため息をつく……のだが、それは先程のものとは違い、どこか少しばかり微笑みの成分を含んでいるかのようにも見えた。


 そして、中野が俺たちに向かって口を開く。


「今週末、じつは大阪でイベントがあって、私も参加することになってるのだけど」

「ほうほう」

「翌日も別のイベントで2泊しないといけないの。なのに、姉が同じタイミングでゼミの旅行に行くことが発覚して……」


 例の、インタビュー記事で読んだことがある……正確には読んでないけど、本天沼さんがあまりにその内容を語るせいで、読んだのと同じくらいに内容を把握しているインタビューのことを俺は思い出した。


 その記事によると、中野には姉と妹がいるという。哲学堂先生に生い立ちを話しているときに聞いたが、たしかともに5歳差だった。ってことは今年22歳と12歳という組み合わせだろうか。


「りんりんの妹ちゃんって今……」

「小6。だから、2晩もひとりにするのは許されないかなって」

「まあ世間はそう見るかもな」

「いえ世間はどうでもいいのだけど、私の『いいお姉ちゃんでありたい』というプライドが許さないの」

「あ、そっちね」


 世間がどうでもいいというのもどうかと思ったが、中野の目がガチだったのでスルーすることにする。


「もちろん私が仕事で帰りが遅くて、朋絵……私の姉なのだけど、朋絵もバイトしてる日なんかはひとりで過ごしているのだけど、さすがに日付が変わるまでに帰ってくるでしょう? だから、どうしようかと思って」

「美祐子さんに頼む、とかは?」

「その遠征は美祐子も来るのよ」

「あ、そりゃそっか」


 一応尋ねてみたが、たしかにそれはそうだ。


 中野とあまり一緒にいるイメージがないので忘れがちだが、彼女は一応マネージャー。慣れた現場には基本的に来ないが、大事なイベントや遠征にはさすがについて来るようだ。


「だから、いっそのこと琴葉……妹も一緒に連れて行こうかと思ったんだけど……」

「あ、それいいじゃん。旅行にもなりそうだし」

「でも『いい、私はひとりで家にいる』『迷惑かけるワケにはいかない』って」

「あ、そうなんだ。いい子なんだな」

「そうなの、いい子なの。『一緒に行くとギャラが飛んじゃうから。ひよ姉をタダ働きさせるワケにはいかない』って」

「そういう理由かよ」

「結局お金なんだ……」


 うっとりした表情で妹について語る中野に、俺と高寺はツッコミを入れる。中野を姉に持つだけのことはある、さぞかしお金周りの教育は進んでいる様子。


 しかし、笑顔もつかの間、中野はすぐに現実的な表情に戻る。


「そういうわけで、どうすべきか困っているのよ……」


 すると、高寺が中野のことをじっと見つめたのち、やれやれと言った感じで肩を落とす。「りんりん、なんで君はいつまでもそうなのかなー」


「高寺さん、なにを言ってるのかしら」

「いや、それあたしのセリフ。りんりんこそ何言ってんの? だよ。なんであたしという存在が側にいるのに、なんで頼ってくれないのかな? かな?」

「そ、それは……」

「友達でしょ? 困ったときはお互い様でしょ?」


 高寺の言葉に思わず言葉を失ってしまう中野。


 畳みかけるように高寺は言うが、中野の表情はすぐには明るくならない。


「一日だったら、たしかに高寺さんに頼もうと思った……と思う。でも、今回は二泊だし……」

「一泊も二泊も変わんないって。あたし、りんりんの妹ちゃん、預かるよ? 私が泊まってもいいしっ!!」

「……ありがとう」


 高寺の提案に、中野は小さくうなずいた。うむ、話がまとまって良かった。俺がいる意味、あんまなかったけど。


 そして、中野はかすかに瞳をうるませながら、高寺にこう告げる。


「じゃあ、そうと決まったわけだし、一旦顔合わせしましょうか? せっかくだし朋絵も紹介しておくから私の家に来てもらえる?」

「えっ、いいのっ?? 本当にいいのっ!?」

「泊まることになるのかもしれないのだし当然でしょう? なんなら今からでも

「今から! 行く行く!!」

「……え、急だな……」


 ぽつりとつぶやくが、ふたりには聞こえなかった様子で、やんややんや言いながら盛り上がっていた。高寺は外出用にカバンに荷物を詰め始めた。中野は勉強道具を片付けている。


 予備校のときもだけど、中野ってマジで行動に迷いがないよな。たとえそれが「自分の家に友人を招く」というイベントであっても変わりないようだ。決まるまではあれこれ考えても、決めたら即行動。


 まあでも、俺は関係ないんですけどね。


 若干の蚊帳の外感をおぼえながら、コップを流し台のところに運ぼうと立ち上がったとき、中野がすっと俺のほうを見る。


「若宮くんも、一緒に来る?」

「え、俺も?」

「ええ。この先いずれ紹介することになると思うし、だったら若宮くんも一緒にどうかなって」


 美しい瞳が俺を捉える。起伏のない声は非常にナチュラルであり、放った文字以上の真意がないことを感じさせた。

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