137 距離感の近い女の子
終業式は、とくになにも変わったことがなく終了した。
成績表が返され、俺はいつものとおり学年1位を堅持。もはや慣れてしまっているので喜びも感慨もとくにない。あるのは、ほんの少しの安心だけ。
なお、日々の小テストやちょっとした配布物は、基本的にタブレットを通じて俺たち生徒の手元に届く我が高校だが、成績表だけは紙のままになっている。成績の悪かった生徒が、両親から隠蔽できないようにそうなっているのだ。利便性だけを考えると、親にも別でログインIDをあてがうことができればいいのだが、世代的にそれが難しい人もいるので……ということなのだろうか。
そんなことをぼーっと考えている間も、野方先生から、夏休みにおける注意が点呼されていく。成績表はすでにリュックのなかに仕舞ったので、夏空を見るくらいしかすることがない。
(てか、成績どうだったんだろうな……)
そして、俺の思考は自然と中野の成績へと向かう。今日、彼女は例のごとく学校を休んでおり、ゆえに成績をすぐには教えてもらうことはできない状況だった。基本的に結構な頻度で早退したり遅刻してくる彼女だが、今日のように授業扱いとしての授業がない日は、確信犯的に休んでいる感じがあった。我が高校は授業ごとに3分の1以上欠席すると進級資格を失う決まりなのだが、ホームルーム系はそれに当てはまらないのだ。
なお、今日は高寺も学校に姿を見せてなかった。中野ほどではないにせよ、4月に比べると彼女も休む頻度が少しずつ増えている印象だった。
と。
そこでポケットのなかのスマホが振動した。手にとって見ると(我が高校はスマホも授業に取り入れられいるので、授業中に見ても基本怒られない)、高寺からLINEが来ていた。
『若ちゃんやほ!』
『今日朝からダンスレッスンだた!』
『成績表悪いんだけどどっかのタイミングで渡してくれない??』
そんないつも通りのノリの何通かのメッセージののち、ガラス越しの自撮り写真が送られてくる。ゆるっとしたTシャツにサルエルパンツという出で立ちで、インナーに赤いタンクトップが見えている。ダンスレッスンの休憩を撮影した感じの写真で、顔はちょうどスマホに隠れているが、あぐらをかいて座っているところに高寺らしさが出ている。
『↑これは今日の写真』
『おすそわけ』
『なんちて』
『(笑)』
『ツイッターにも載せてないレア写真!』
文字を打とうとしているうちから、次々とメッセージが送られてくる。
『いいぞ。いつ渡そうか? なんなら今日でも』
『あ、マジ? じつはさっきレッスン終わって帰るとこで』
『じゃあちょうど待ち合わせできるかな』
『うん! せっかくだしなんか食べない!?』
『おっけー』
そんなふうにして、高寺と落ち合うことになった俺は、野方先生から2人分の成績表を受け取り、帰路についたのだった。
○○○
高寺とは溝の口駅で落ち合うことになった。のだが、レッスン場からの乗り継ぎがうまくいかなかったらしく、彼女は少し遅れることになった。
ということで俺の読書時間が自動的に増える。最近読み耽っている哲学堂作品を、今日も着々と読み進めていった。
夏休みを迎えるにあたって、俺にはあるひとつの目標があった。それは『哲学堂依人の全作品を読破する』というものだ。彼はキャリア四半世紀の作家なので、すでに数十冊を出版している。俺がすでに読んだのはそのうちせいぜい40冊程度なので、夏休み中に読破するには1日1冊近いペースで読む必要があった。
普通に考えるとなかなかのハイペースであり、今年は予備校の夏期講習も受けるので容易な目標とは言えなかったが、それでもなんとか達成したかった。そうすることで、なにか自分のなかで変化が起きるような気がしたのだ。
(我ながら安易だけど……でも、胸を張って好きと呼べるものができれば……)
自分が今まで抱き続けた、「オタクになりきれない」というコンプレックス。他の人から見ればきっと理解できない悩みであり、また理解したいとも思わないだろうが、この夏はそれに、自分なりに向き合いたいと思ったのだ。
そうするには、哲学堂作品はいい選択肢だと思った。
(夏休みが終わって、大学が始まればまた会いに行くこともあるだろうし……)
と、そこで何者かがいきなりバチーン! と背中を叩く。振り向くまでもなく高寺だとわかったが、振り向いて確認すると……なぜそんなことでそんなに、と思ってしまほど嬉しそうな笑顔を浮かべた高寺の姿があった。
「やほ! 待たせたねごめん!!」
胸元に「FILA」のビッグサイズ黒Tシャツに色あせたショートパンツを合わせていて、程よい感じでパンツにインしている。シンプルながらも似合っていてかわいく、ダンスレッスン後なのも納得な出で立ちだった。
「痛いな……ミミズ腫れなるからもうちょっと優しくしてくれよ」
「おっけー! って叩くのはいいんだね」
「叩くなって言っても無理だろ?」
「無理。絶対忘れる!」
事実上の攻撃続行宣言だったが、ケラケラ笑いながら言われてしまうと、俺は言い返すことができない。
ただ学校帰りに落ち合っただけなのに彼女はとても明るく、容赦なく降り注ぐ太陽の日差しのなかだが、自然とこちらの気分もあがっていく。
「で、お昼どうしよっか」
「あ、そうだったな」
「あたしはなんでもいーけど。こんな格好だし」
「そうだな、じゃオシャレでヘルシーなカフェとか行くか?」
「だね、やっぱ男子とのランチだし、ここはラク~に王将でも……って若ちゃん」
「はい」
「それってツッコミ待ちだよね? あたしがTPOわきまえてない服装って知ってて言ってるでしょ?」
「そこまで酷くはないだろ」
「あ、ってもしかして若ちゃん、あたしとデートしたい感じ? そーならそーと言いなよこのっ、このこのっ!!」
そう言いつつ、高寺は肘でグシグシ押してくる。
「あのな……」
「てか、若ちゃんってオシャレなカフェとか行く感じ?」
「ああ、うん」
そして俺の肯定も否定もないまま、高寺は別の質問を投げかけてくる。
「母親とか石神井とかと。サラダとか、体に良いもの定期的に食べないとなんか罪悪感に襲われるんだよな」
「若ちゃんらしいね……」
なぜかちょっと呆れた表情をしているが、理由はよくわかる。よくわかるのが辛いところだ。
「ま、王将にすっか」
「いいの?」
「ああ。俺も制服だしな」
ということで俺たちは「餃子の王将」に行くことになった。
溝の口駅近くにある王将は、全国に数多ある王将のなかでも有名で、かつては全国一の売上げを記録したこともあるそうだ。店内は広くて明るく、清潔感があり、入るとすぐに店員さんがやって来て、着席すると程なくして水を運んできてくれた。接客がめちゃくちゃスムーズだ。
俺が日替わりラーメンランチ、高寺がチャーハンランチを注文。3分後くらいに出てきて、俺たちは食べ始める。
「んー! やっぱ運動後は炭水化物に限るね!!」
「ダンスレッスン忙しいのか?」
「まあね。なんか気付いたらまた新しいユニット入りそうで」
「え、そうなんだ」
「これで3個目。全部が全部ずっと活動するワケじゃないし、最近の若手声優の宿命っちゃ宿命だけど。もはやアフレコより踊ってる時間のが長い気もするよ」
「そうなんだな」
「呼びたければユニット芸人って呼んでおくれ」
「うん。呼ばないけども」
そんな冗談を言っていると、高寺が餃子用の小皿にチャーハンを入れ始めた。
そしてなにも言わず、俺の前にコトリと置く。
「そうだ、昨日新しいオーディション……」
「え、なにこれ」
高寺が普通に次の話に移行し始めたので、俺は思わずツッコミを入れた。
だが、彼女はやはり「ん?」という顔をしている。
「なにこれってチャーハン」
「は見たらわかるけど」
「のおすそわけ」
「あ、くれんの?」
「え、そうだけど。ニオイだけで満足できるタイプなの?」
あまりにもスムーズな行動だったので理解が追いつかなかったが、高寺的にはべつに深い意味もなにもない行動だったようだ。
「えっと……」
石神井への謎の対抗心から、いつしか「あたしのこと好きなの?」的な感じのノリで接してきて、冗談と背中への平手打ちを飛ばしてきていた彼女だが、今回の行動はそれを越えているような気がした。
今までなら「一口ちょうだい」的なことを言ってきて、俺が意識でもしようものなら「あ、もしかして照れてんの?」「あたしのこと好きなんだなーさては?」みたいに嬉々としてからかってきて、俺がそれを強めに否定する……という流れのはずだったのだが。
もはや今回は彼女ヅラというより恋人ヅラ、いやもっと連れ添った奥さんヅラ、女房ヅラという感じだ。
「てかさっきあたしなに言おうとしてたっけ?」
そして、そんなことを尋ねてくる。気にしていなさ加減がなんというかヤバい。
「いや、わからないけど」
「んー……ま、いいや! てか美味しいね!!」
「あ、うん……ラーメン食うか?」
「え、いいの? あざーっす!」
そして、俺の前にあるラーメンを容器ごと持つと、自分の前に移動し、食べ始めた。
「うん、やっぱ炭水化物だね!!」
そのあどけない笑顔は、あどけないゆえに、俺の心を惑わせかけていた。
○○○
食べ終わって店を出ると、高寺は改札まで見送りに来てくれた。俺が中に入ったところで、
「あ、そうだ!」
と声をあげ、なぜか俺から向かって左手に走り……そこは改札機ではなく、ちょうど柵になっているところだった。手招きされたので近づくと、高寺が口を開く。
「思い出した! さっき、しようと思ってできなかった話」
「ああ、なんだっけ?」
「いや全然たいした話じゃないんだけど。昨日オーディションがあって、そこでももたそに会って」
「あ、あの中野のライバルの」
「って思ってるのはたぶんりんりんだけだけど」
高寺は苦笑する。
ももたそと言うのは、桃井なんとかという名前の、中野がライバル視している声優さん。のこと。たしか芸歴2年目の新人声優で、年は中野たちとそう変わらなかったはずだ。
賢いというか計算高い一面があり、あらゆる事務所のあらゆるボイスサンプルを聞いたうえで、自分と声質が似ている人がいないところに入ったというエピソードを持っていると聞いたのを覚えている。
「で、どうだったんだ」
「あ、早速ナンパしてオーディション終わりにごはん行ったんだけど」
「ナンパって」
「それがね……めっちゃいい子だった! 礼儀正しいし、明るくて面白いし、なにより……超絶かわいい!!!」
「ほぉ……」
中野から聞いていた情報から想像したのとは、少し違う感じだったようだ。
「んとね、写真撮ったんだけど……あり、電池切れてたわ。ここで話してるのもあれだし、また今度見せるね!」
「おう」
そう言うと、高寺は元気に手を振って去って行った。
見送ってもらうはずなのに高寺の姿を見送りつつ、俺はホームへと繋がる階段へと向かおうとする……のだが。そこであることに気付いた。
「あ、成績表……」
そう、お喋りに夢中になるあまり、肝心のモノを手渡し忘れていたのだった。