136 参考書選びと謎の美少女2
そんなこんなの経緯で、来る勉強会のため、俺は参考書選びをしていたのだった。
相手は小学生なので、当然ながら俺が普段使っている参考書等で代用できない。俺が中1のときからそこまで学習内容が変わっているとも思えなかったが、それでも一応4年経過しているので、いろいろ手にとって確認しようと思ったのだ。
進研ゼミでもタブレットを使用したり、スタディサプリ的なアプリを使って、安価で映像授業を受けられるなど、自宅学習でもIT化が進んでいるが、紙の参考書や問題集にも利点はあると俺は思っている。どれだけ勉強したのか、視覚的に認識できることだ。
ゆえに香澄に対しては、勉強への意欲も育てて欲しいと考えて、紙の参考書・問題集を選んでやることにしていた。高校の「レジスタンス」な教師陣に対してレジスタンスな俺だが、べつに古くからあるものを否定しているワケじゃないのだ。
(ここはやっぱりエロ語呂世界史年号かな……軽蔑されるだろうな……)
……と、そんなことを心のなかで思っていたそのとき。
いつの間にか俺の右側1メートルのところに、小学校高学年くらいの女の子がいるのに気付いた。
身長は140センチ強くらい。髪は亜麻色の癖っ毛で、波打った髪を顔の横でまとめ、小さなピンクのリボンで結んでいる。肌は透き通るように白く、控えめに薄く朱に染まった唇は小さい。目はぱっちりとして大きく、睫毛は長く、鼻は高すぎずないながらもスッと通っており……顔を構成する要素はすべて完璧であり、真正面から見なくとも美少女であることが伝わる。
服装はピンクの丈の短いワンピース。胸元にリボンが、袖にフリルがひらひらとした女の子らしいデザインは、嫌みなくその雰囲気に馴染んでいた。
しかし、そのガーリーで甘い雰囲気とそぐわない行動を彼女はしていた。見ているこちらが引いてしまうほどの真剣な表情で、参考書を眺めていたのだ。
(いや……眺めてるだけじゃない……??)
そう、耳をかなり澄ませないと聞こえないような小さな声で、彼女は参考書を音読していたのだ。
「1392年、足利義満は南北朝時代……せて、後に日明貿易……の名を勘合貿易を始……には応仁の乱が……」
彼女の声は、店内に流れていたJPOPでかき消されるほどのボリュームだが、それもべつにそんな大音量で流れているワケではない。
一瞬、自分が学ぶにふさわしい内容なのかを確認しているのかと思ったが、でもそれなら無言でもできるはず。買ったかどうか忘れて、中を見て確認しているという可能性も想像したが、小説やマンガではあり得ても、参考書ではないだろう。
(美少女が、鬼のような形相で参考書を音読している……??)
できることなら静かにその光景を見守りたいくらいだったが、残念ながら俺はその音読を止める必要があった。彼女が立っている場所が中学生向けコーナーの前であり、移動してもらわないと膝元に並べられたお目当ての参考書が取れなかったのだ。
おまけに、参考書は彼女の膝に微妙に触れていたので、本に手を伸ばすと、勢いあまって女子小学生の膝元に触れてしまう……なんて可能性もあった。
「あの」
しかし、呼びかけても彼女は反応しなかった。それだけ目の前の参考書に集中しているらしい。勉強熱心なのは個人的にも非常に応援したいところだが、このままだと俺も困るので、もう一度先ほどより大きな声で呼びかける。
「あの、聞こえてます?」
すると、彼女は後ろから誰かに掴まれたように頭をピッと上げると、忙しく顔を左右に動かし、俺に気付く。
色素の薄い、茶色がかった大きな瞳がこちらを見つめる。なるほど、正面から見ても紛れもなく美少女だ。顔立ちは童顔寄りで、黒目ならぬ茶目がちなその瞳は小さな宝石のように、内側にキラキラとした光をともしている。口は小さく、いわゆる「おちょぼ口」というやつで、横幅が狭い。きっと、年齢を重ねてもあどけない雰囲気が残りそうだ。
だが、そんな端麗な容姿とは裏腹に、残念なことがひとつあった。俺の顔をとらえた瞬間、その整った顔が警戒心でキツく引き締められたのだ。
そして、人より少しばかり横に狭い口が、小さく動いた。
「……の……んで……か?」
……のだが、音読時よりもさらに小声で、もぞもぞとしてるので何を言っているのか全然わからない。
「えっ?」
俺が聞き返すと、彼女は参考書で顔を半分以上隠し、壁の向こう側からこちらを覗くようにして再び答える。
「私に……んの……ですか?」
さっきよりは大きな声だったが、本が邪魔してまたして聞き取れなかった。
「えっと……」
俺が困惑しているのが伝わったのだろう。彼女はもどかしげに口の端をゆがめ、目は遠慮なく俺を睨み、のぼった血で顔が赤らんでいき……小さな口が動く。
「一回で聞けよ何回も……ソ野郎……なんで私が貴様ごとき……の男と……いけない……死ねばいいのに」
ところどころ、なにやら凶悪な単語が聞こえてきたような気がしたが、亜麻色の髪の美少女がそんなことを言うはずがない。小声すぎて、聞き間違いしてしまったようだ。この間の身体測定で聴力はかってもらったら問題なしだったけど、これ再検査必要かもな。この後、耳鼻科の予約を取ろう。
やれやれと思いつつ、俺は尋ねる。
「えっと、もう一回いいかな?」
「もう4回も……ボケナス。いい加減……卑猥な言葉……冤罪で警察……突き出して……ムショ……後悔して首つり自死……ばいい」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。小声すぎて相変わらずところどころしか聞こえないが、驚くべきことに聞き取れたすべてが凶悪な内容だった。
聞こえた単語から彼女の発言内容を推測すると、俺が同じことを4回も聞き直すボケナスで、いい加減にしないと卑猥な言葉を言った、いやここは言われたかな? 言われたことにして、警察に突き出して俺を冤罪でハメると。んでもって、ムショ送りにして、俺が後悔して首つり自死をしたくなるようにする、という感じかな?
……おいおい、ちょっと待てっ!
一体なにを言っているんだこの子はっ!!
小学生女子にこれだけ暴言を吐かれたのは、当たり前だが人生で初めて。衝撃のあまり、ただでさえ彼女の声がよく聞こえないのに、たじろいで身を少し引いてしまった。
とはいえ。
俺はお目当ての本を手に取りたいだけである。そして、見ず知らずの女児に暴言を吐かれてキレるほど、人間ができていないワケでもない。
なので俺は方針を変えて、心理的にも物理的にも歩み寄ることにした。小さく一歩を踏み出し、俺たちの間の距離は数十センチへと変わる。手を伸ばせば届きそうな距離だ。
「いや、べつにそんなたいしたことじゃないんだけど……その、君の膝元にある本が取りたくて」
「っ……わかった」
俺が執拗に話しかけた理由がわかったのだろう。彼女はハッとした顔になると、足下に置いてあった紺色のリュック持つ。
そして、蟹歩きのようにして横に動き、元いた場所を俺に譲ってくれた。
「……どう?」
離れたことで、また声が聞こえなくなっている。せいぜい1メートル程度の距離で聞こえないのだから、驚くべき声の小ささだ。
「これでどう、って言ったのかな? これでいいです、どうも」
俺が一礼すると、彼女はほっと肩をなで下ろす。ふたたび参考書に視線を落とし、勉強を再開した。
彼女が移動してくれたおかげで、俺はお目当ての参考書を手に取ることができた……のだが、すぐにまた問題が発生した。彼女が移動した場所に、またしても取りたい本があったのだ。
今度は積み上げられた高さ的に、ちょうど彼女の太ももに当たっていた。つまり、俺が手を伸ばすと、彼女の太ももに触れてしまうということだ。丈の短いスカートをチラッと見ながら、俺はひとり気まずい気分になる。
「あの、ごめん、今度はそこの本が取りたくて」
「……」
俺の言葉を聞き、彼女は若干苛立ちをにじませた表情でふたたび横に蟹歩き。そのおかげで俺は参考書を取ることができた。
……のだが、さらに問題が。今度は彼女の股間付近に次のお目当ての本が陳列されていた。よく見ると、そこそこ短い丈のワンピースだったために、お目当ての本に手を伸ばすと、彼女の股k……以下略。
「あの、今度はそこの本が……」
すると、彼女は読んでいた参考書をバンッ!!! と勢いよく閉じ、ギッと俺を睨みつける。
「……んでそうやっ……の下半身の近くにある本……するの?」
「えっとごめん、声が良く聞こえなくて」
「お尻を直接触る痴漢じゃなく……みたいに、間接的……私の反応……」
「えっと、本を取ることで君の反応を見たいとか、俺べつにそういうつもりは」
「……りじゃない……ってことは、無意識での行動?」
「いやそんなワケあるか」
どうやらこの子は、会話しながら勘違いをを深めていくタイプらしい。発言内容の物騒さからしても、きちんと誤解をといておかないとマズいことになりそうだ。
声がちゃんと聞こえるように、俺はまたしても一歩分だけ彼女に近づく。正直、もうかなり近い距離であり……その近さになり、やっと声がきちんと聞こえてくる。
「あんた無意識で女児の下半身に近づいたの?」
「いや無意識って。俺がそんなヤバい人に見える?」
「見えるから警戒してる」
「……え、てか女児って言った? 自分のこと」
「私が女児なのは自他共に認める事実でしょ」
「……」
そう言われると、まあたしかに女児ではある。
「じゃあ逆に聞くけど、私が幼女に見えるとでも?」
「いや幼女ではないかな。どう見ても10歳くらいだし……」
「その言い方、もしかして幼女に強いこだわりが?」
「ないよ! 揚げ足とってんじゃないっ!」
「私は頭のてっぺんから足の先まで私は女児なの。もちろんその途中も」
「おいなんか意味深な日本語表現だな。てかそこで胸を張るのはやめなさい」
「てか私、11歳! 10歳じゃない!」
「たいして変わんなくない?」
「違う! 今年12歳になるもんっ!」
八重歯を見せながら、彼女は俺に突っかかってくる。相変わらず顔はとてつもなくかわいいが、それと同時にとてつもないクソガキ感が炸裂していた。
「ってかなんの話だよさっきから」
俺は彼女の発言を制止すると、周りのお客さんに聞こえていないか周囲をうかがう。幸い、近くには誰もいない。ので、俺はきっちり彼女に抗議を入れる。
「近づくとか言うけどさ。むしろ俺的には取りたい本の前に君が立ってる的な感覚だし」
「私のせい?」
「なんなら絡まれてるのは俺のほうって感じなんだけど? さっきから小声で物騒なこと言ってるでしょ?」
「じゃあ、あんたは、あんたが欲しい本の前に私の下半身があるからいけないんだ、本を取れなかった理由は『そこに女児の下半身があったから』。そう言いたいの?」
「おい、登山家っぽく言うのやめろ。俺はそんな頂きには登らないぞ」
「頂きって?」
「こ、子供は知らなくていいです……」
「要約すると、悪いのは私の下半身、ぜんぶ女児の下半身のせいだ、そう言いたいの?」
「全然違うし、なんか某冬のコピーっぽいぞ」
何度もツッコミを入れるが、彼女の世界では自分が正しいよう。亜麻色の髪を指でくるくるさせながら、不機嫌そうに対応し続けてくる。
てかさっきからなんなんだこの子は。近づいたことで声が耳に届くようになって、なにを言ってるのかわかるようにはなったけど、べつの意味で何言ってるのかわかんなくなったし、なにより発言内容がどれもヤバい。
控えめそうな、女の子らしい風貌とは正反対で、ギャップに思考が追いつかない。
……と、そこで彼女がじっと見上げてくる。見透かすような、聡い目だった。
「な、なに?」
「今あんたが思ってることわかるよ。『この子、控えめそうで女の子っぽい、清楚な感じなのに、言ってること結構危ないな』って思ったでしょ?」
「思った。清楚以外は思った」
「え、清楚でしょ?」
「清楚だけど。それ自分で言うんだ?」
まるでどこかの誰かさんのようだ。
「誤解されがちなんだけど、声小さいだけで、べつに自分に自信ないとかじゃないし、むしろ気は強いほうだし……」
「なるほど。そういうキャラ設定なんだ」
「気に食わない相手とかには、結構フランクに『死んじゃえ』って言ったりとか」
「さっき自死とか言ってたもんな」
「あっ、でもしっかり聞こえるように言うわけじゃ……つぶやくだけ、だし」
「うん、小声だからこそ、うっかり聞こえたら本気っぽくて余計怖いやつね」
彼女の言葉に呆れつつ、俺は話を元に戻すことにする。
「あの、単純な疑問なんだけどさ、参考書、買わないの?」
「うん」
「なんで買わないの」
「覚えて帰るから」
「えっ……なんで?」
「覚えて帰れるから」
「いや答えになってないんだけど」
すると、彼女は俺の向こう側を見て、ハッとした表情になる。
「あっ、私行かなくちゃ……」
「えっ」
「店員さんが、こっち来そうだから」
振り向くと、たしかに眼鏡のおっかなそうな女性書店員さんが、こっちに向かって歩いてきていた。
「悪いんだけどこれ戻しておいて」
「えっ」
そう言うと彼女は俺に、手に持っていた参考書を押しつける。
そして、店員さんを避けるようにして、タタタと小走りでその場を離れていった。
「なんだったんだ、あの子は……」