132 大学見学4
「え……?」
思わず、バッと高寺の顔を見る。冗談で言っているのかと思ったのだ。
だが、彼女は笑顔ではあるものの、真面目な調子だった。
「痴漢されて、テストに遅れた日あったって言ってたでしょ?」
「……ホントなのかそれ?」
「うん」
俺の言葉に、高寺はうなずく。自分自身でもそうだったよね……と確かめるかのような声色だった。
「あの日あたしさ、パパと会う3ヶ月に1度の日で、朝から新横浜に向かってたんだ。めんどいなー、だるいなーって思ってたら、足元にノートが何冊か落ちてきて。すごい混んでたから誰のかわかんなくて、そしたら高校生の子が走って降りていったんだよね。だからあたしも降りて探してみたんだけどいなくて……結局、駅員さんに渡そうって」
高寺目線で語られる、あの日の出来事。
高寺の言葉がナレーションのように作用し、俺の脳内には当時の光景が鮮明に浮かんでいった。
「最初はね、駅員さんに渡したらパパのとこに行こうと思ってたの。でも、中を見て驚いて……てっきり授業のノートかと思ったら違くて、マンガとかアニメとか映画の感想がいっぱい書いてあって、『なにこの子めっちゃ面白いじゃん!』って」
「なんであれ見て面白いと思ったんだ?」
「や、だってあんな細かくノートつけてる男子高校生ってまずいないじゃん。前にも言ったと思うけど」
たしかに、遊園地からの帰り道、そんなことを聞いた気がする。
「それで駅員さんに渡したあと、やっぱり戻ることにしたんだ。どんな男の子なのか気になって見てみたいなって……それで階段の影から見てた」
「え……でも俺あの日受け取ったのはテスト終わってからで……」
「そう。お昼過ぎまでそこにいたからパパとの約束ドタキャンしたの」
「なるほど……」
「まあそうやって待ったところで、実物を見た感想はとくになかったんだけど」
「ないのかよ」
「だって若ちゃん、見た目は普通の男の子だし」
ぷっと小さく音を立てて笑いつつ、高寺は懐かしそうな表情で、夕空を見上げる。
「いろいろ悩んでたんだよねそんとき。オーディションがイヤでイヤで仕方なくて、声優として自分はやってけるのかとか……まあそういうこと悩んでて。だから努力を続けてるその男の子がどんな子なのか、一目見てみたかったんだ。てっきり小説家志望とかそっち系だと思ったから」
まあたしかに、事前情報なしであのノートを見たらそう思うのも無理もない。
「そうやってその男の子のこと見たら、なんかすっごいやる気が出てたんだよね。『ああ、自分はまだまだ努力が足りないな』『もっと頑張んなきゃ』ってそのノートを見た当時高校1年生の高寺円は思ったワケです。で、そうやって頑張ってるうちに再会したってワケです」
「なるほどな」
「だから、しょーじきに言えば、転校したのは若ちゃんのせいなんだ。もちろんりんりんと仲良くしたかったけど、若ちゃんと再会しなければ転校するつもりもなかった。そうしないと、若ちゃんと再会した意味がなくなっちゃうって思ったんだ」
自分のために転校した……そんなことを女の子に言われると、大半の男は嬉しくて仕方がないだろう。恋に落ちる人もいるかもしれない。
しかし、そんな話をする高寺はあくまでも人懐っこく、あざとさは一切感じさせない。ただ今の状況を、今の俺たちの関係性が築かれた経緯やプロセスそのものを楽しく回想、というかネタばらし? している感じで……俺自身も恋の深い穴に落ちる、すんでのところで踏みとどまっていた。
「でも実際に仲良くなってみると……若ちゃん、想像とちょっと違ったんだよね」
だが、そこで高寺の声色に、暗いトーンが混じる。
夕陽が大学の校舎に隠れ、夕陽が彼女を包んだのと同時だった。
「違った……というのは」
「なんかさ、好きでノート書いてる感じがなかったとゆーか。てっきり、本とか映画とかマンガとかアニメとか、そういうの全部好きで好きで仕方ないって男の子かなって思ってたけど、若ちゃんはちょっと違くて『これは観ておくべきだ』『知らないと恥ずかしい』みたいな気持ちがあって、誰に求められてるワケでもないのに追われてるとゆーか」
高寺の優しい声は、丁寧に自分の気持ちを表現していく。
「だから、そういうことがあったから嬉しいんだ、今日は。哲学堂先生と話してるときの若ちゃんの目、キラキラしてたし、いいなって」
彼女は柔らかい笑顔でそう言った。
重なったいくつもの偶然に驚くとともに、どう見てもただ天然で元気で明るいだけだと思っていた高寺が、少なくない感情を隠して俺と接していたことに驚いた。あどけなさ、裏表のなさが魅力の彼女だが、演技を生業とする人だけあって、胸のなかの気持ちにカバーをかけて接していたのだ。
と同時に、俺は彼女にいろんなモノを見透かされていたなと感じる。
そんなことを思いつつ、彼女のことを見ると……同い年でありながら、どこか子供っぽいと感じてきた彼女のその笑みは、やはり今も子供っぽく見えた。
でも、あどけないからこそ、子供っぽいからこそ「この子は本当に人が好きなんだな……」と思わせられる、そんな説得力を有していた。
「おーい若宮!」
「円ちゃんもはやくー!」
気づくと、中野たちとは20メートルほど離れており、石神井と本天沼さんがこちらに向かって手を振っていた。と同時に強い風が吹き、俺たちをはやく行けと急かした。
高くそびえ立つ、校舎と校舎の間から差し込む夕陽のなかで、高寺はイタズラっぽい笑みを浮かべた。それはふたりの間の会話について、ふたりだけの秘密にしておこうと呼び掛けるような笑みだった。
「みんな呼んでるし先に行くね!」
そして、彼女は自分を待つ友人たちのほうへときびすを返し、軽快に走って行く。
ひとり取り残された俺を取り囲むように、もう一度強い風が吹く。その風には緑のニオイが乗っていて、季節が夏本番を迎えようとしていることが感じられた。
夏休みはもうすぐそこだ。
ここで全体の3分の1が終了した感じです!作品としては第2章(全3章)に入ります。
今後への勢いをここでつけたいので、もしブクマやポイントがまだの人がいれば入れていただけると大変嬉しいです!!