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129 大学見学1

「若宮、いつまで読書してるんだ?」

「いや、あと少しでこれ読み終わるから……」

「だからって今歩き読みしなくても……」

「そーだよこのままじゃオープンキャンパスの意味なくなるよ! クローズドだっ!」

「高寺さん、それはちょっと違うと思うけど」


 小学生向け声優講座が終わったその翌週。


 俺たちは大学にやって来ていた。少し前から話していた、大学見学の日になったのだ。


 名目上は各自が行きたい大学に行き、例によってレポートをタブレットから提出することになっているのだが、名目と実態は違うのが学校教育。学校側が生徒たちに進学してほしいと思っている大学が推奨され、難関私大を訪れる生徒が大半だった。


 まあ、同行できる教師の数に限界があるという理由もあったけど。


 そんなワケで俺たちは、都の西北にある某私立大学に来ていた。数々の小説家の出身校として知られており、俺が好き……と言うのはガチなファンの人たちに申し訳ないけど、それなりに読んだ作家だけでもざっと20~30人は挙げることができる。映画監督や脚本家も多いし、劇作家も多いし、ミュージシャンや音楽家も数多く輩出している。


 そして今日、陽向さんに紹介してもらうことになっている哲学堂依人も、そのうちのひとりだ。彼はこの大学の文学部出身で、現在は作家活動をしながら、母校で教鞭をとっている。


 商業的な成功をおさめたうえでアカデミックな世界に招かれているのだから、正直、文化系人間にとっては憧れしかないキャリアだろう。まだ高校生の俺にも格好良く思えるくらいだしな……。


 というような諸々の理由があり、俺はひどく緊張していた。大学の見学自体が初めてなのに、著作を30作読んだ(この2週間で10冊新たに読破した)作家の話を聞くことができるのだから無理もない。


 なお、最近の作品を読んだ感想だが、みずみずしい感性はそのままに、構成の巧みさや文章表現などの面で円熟味を増していると感じた。とくに昨今の就職活動をモチーフにした作品は「これ就活中の大学生が書いてるんじゃね?」と思えるほどリアルで、感情のひだひとつひとつが克明に描かれていた。


「30作品読んだ時点で十分ファンだって」

「そうだよ、私なんか2冊くらいしか読んだことないもん」


 石神井と本天沼さんが、ニヤニヤ笑いながらこっちを見てくる。このふたりは俺が自意識過剰になっているのを見るのがこのうえなく好きなのだ。


「若宮くん」

「はいっ」


 すると、中野が話しかけてきた。声が思わず裏返り、ごまかすようにんっと喉を鳴らす。


「憧れの人に会うのが緊張するのはわかるけど、時間的にそこまで余裕があるワケじゃないからね?」

「……だな」

「それに今日はあくまで学校行事でしょう……ってのは私が言うことじゃないよね」

「それはまあ……」 


 中野は申し訳なさげな、どこか自分を恥じるかのような面持ちをしていた。


「……申し訳ないけど、ご存じのとおり私は大学に行くつもりがないから。みんなのテンションについていけないの」


 そして、表情以上に申し訳なさそうな声色が聞こえてくる。


 ヒンヤリとしたその声色は、初夏の日差しを反射し始めているアスファルトとは、どこか対照的な雰囲気を感じさせた。


 

   ○○○



 大学近くの交差点から数分歩くと、メインキャンパスの正門前に到着した。背後には有名な大隈講堂があるが、普段はあまり使用されていないのか、バスの停車スペースとして利用されている。キャンパス間をつなぐものなのだろう。


「じゃ、今日の説明をしまーす!」


 そして、引率役である野方先生が説明を始める。この手の大学見学はそうなのか、すでに大学の広報担当者との連絡は取れているらしく、全体で施設を見学。その後、自由時間になるそうだ。


 この大学を訪れたのは学年で40人程度。それなりに好成績な面々が多く、成績を詳しく知っているのは俺らだけだが、たぶん中野と石神井が圧倒的に劣等生だ。


 説明を終えると、野方先生に従う形でゾロゾロと歩いて行く。周囲を見渡すと、いや見渡さなくとも、真新しくて背の高い校舎がいくつも視界に入る。どれも今風のデザインで、ちょっとしたホテルとか病院のように見えなくもない。一部に古い校舎が残っているものの、多くはすでに立て替え済みなようだ。


「私立って感じよね」


 横を見ると、マスクをした中野が、小さな声で話しかけてくる。


 生徒数はそこまで多くはないものの、いつものメンバー以外にも周囲にいるせいか、会話しているように見えないようにしているようだ。


「だな。国公立は東大ですら古い建物が多いって言うしな」

「私、昔から学園モノの作品によく出ているでしょう? 中学が私立だったこともあって、高校って基本的にキレイな場所だと勘違いしてたのよね。実際は壁がひび割れてたり、水道管がサビついて冬になると破裂したりするなんて」

「まあたしかに、なぜか学園モノは舞台が私立なんだよな。そこそこ貧乏なはずの家でも遠方にある私立通ってたり」

「そうなのよね。実際、経済的にゆとりのない家だから思うけど、中高で私立に行くのは普通に結構贅沢よ」

「中高でか。まあ、そうかもな……」


 大学の建物がキレイという話をしていたつもりが、高校の校舎のボロさを嘆き、挙げ句の果てに中野の銭ゲバ話になる……我ながら悲しい展開だが、そうなってしまうほど、新しくてキレイで今風で、なのに格式の高さを感じさせる大学の校舎は、俺の目に魅力的に映ったのだった。


 と、そこで気付く。


(あれ、なんか俺、今めっちゃ心動かされてるかも……)


 もともと中野とは違い、大学に進むことがなんとなく前提になっていて、高寺とも違って大学に進む意義を考えたとしても行こうと思っていた俺だが、実際にキャンパス内に入ると、簡単に心が動かされていた。


 べつにここでなにを学べるとか、どんな自分になれるとか、それ系のことはなんにもわかっていないのに、ただここに通っている自分の姿を想像すると、胸がワクワクしてしまうのだ。


 雰囲気に流されているだけなのかもしれない。というかそうだ。自分でもそう思う。我ながら、単純も単純だ。


(でも……こうやって流されるのも、案外悪くはないのかもな)


 と、そこで中野との会話がいつの間にか途切れていたことに気付く。


 横を見ると……彼女も同じように校舎を見上げていた。その澄んだ、黒くて大きな瞳に、校舎が写っているのがわかる。まばたきすることもなく、ただじっと見つめている。


 一体、なにを思っているのか。なにを考えているのか。


 隣にいるはずなのに、俺には少しもわからなかった。



   ○○○



 やがて、全員で行動する時間が終了。自由時間になった。


 なので俺たちはメインのキャンパスを出て、文学部のあるキャンパスへと向かう。前者は本キャン、後者は文キャンと学生の間では呼ぶそうだ。


 そして、なぜ文キャンに向かっているかと言うと……


「あ、来た来た! みんなお疲れ様!!」


 爽やかで中性的な声が、少し離れたところから聞こえてくる。声の持ち主は陽向さんだ。「上荻くん、今日はありがとうございます」


「陽向さん、ありがとね!」

「ううん、いいんだ鷺ノ宮さん、高寺ちゃん。今日は仕事もなかったし、授業もあんまり入ってない日だし、それに若宮くんに約束したのは僕のほうだから」


 感謝の言葉を述べる中野、高寺を制止しつつ、陽向さんは俺に微笑む。


 彼の所属する哲学堂ゼミは文学部の(正確に言えば文学学術院の)管轄であり、哲学堂先生の研究室兼ゼミ室はこっちのキャンパスにあるのだ。


 そして、陽向さんに先導されるまま、俺たちはひとつの校舎に入った。


 本キャンの建物が木々の温もりを感じさせる内装だったり、コンクリートがあらわになった無機質ながらもスタイリッシュな内装だったのに対し、こちらは白で統一された内装。良く言えば落ち着いている、悪く言えば物寂しさを感じさせる……という雰囲気だが、なんだかそれも文学部っぽい。


 エレベーターに乗ると、陽向さんは最上階である10階のボタンを押す。上の階5階分は教授たちの研究室のようで、数字を示すボタンの上に、部屋番号と彼らの名前が並んで書かれていた。結構な数なので、なかなか威圧感がある感じだ。


「名前書いてるんですね」


 石神井の言葉に、陽向さんが微笑む。


「建て替えたときにこうなったらしいよ。聞いた話によると、大学のお偉いさんが仕事で議員会館に行ったとき、議員の名前がエスカレーターにびしーっと書かれているのを見て、『格好いい!』ってなって」

「それでこうなったんですね」

「たしかに威厳ある感じですけど……でも、セキュリティ的にどうなんですか?」


 本天沼さんの問いに、陽向さんは苦笑を見せた。そこに関してはなにも言い返せない、という感じだ。


「でもまあ、この大学は門に囲まれてないからね。そもそものセキュリティが甘いから、ここだけ厳しくしても仕方ないよ、うん」

「たしかに警備員も少ないですもんね……俺のような不審者が入ったらどうするんでしょう」

「石神井くんがなぜ自分を不審者にしたいかってのはさておき、その心配は必要ないよ。なぜなら、この大学は堕落した生活を送っている人があんまりにも多くて、学生なのに不審者って身なりの人が多いから」

「え、すごい心配になる……」

「大丈夫! 僕もこう見えて1年留年してるから、うんうん!」

「え、陽向さんダメじゃないですかそれっ!」


 高寺がツッコミを入れるが、陽向さんはノンキな笑顔を見せたままだった。


 エレベーターを降り、階の端まで進むと、その研究室はあった。「哲学堂ゼミ」と書かれた小さなプレートがある。


 陽向さんがコンコンとドアを叩こうとしたそのと。


 中からドアが開いて、慌ただしくスーツ姿の中年の男性が出てきた。手に黄色い紙袋を持っていて、部屋のなかに向かって頭を軽くさげている。


「では先生、引き続きよろしくお願いします!」


 ドアを閉めたところで男性は俺たちに気付いたようで小さく驚く。が、陽向さんの姿を確認すると元の笑顔に戻った。


「お疲れ様です。打ち合わせですか?」

「そうそう! それと資料を持って来てね。皆さんは高校生かな?」

「はい。先生が話をしてくれるそうで」

「そっかそっか。それは貴重だ。じゃ、私はこれで!」


 そして、話もそこそこに、男性は去って行く。どうやら出版社の人だったようだ。


「気を取り直しまして」


 そう言いつつ、陽向さんはドアをノック。「上荻です」と声をかけると、中から「入ってください」と声が聞こえる。


 そして中に入ると、スラッとした白髪の男性が俺たちを迎え入れてくれた。


 年の頃は60前後だろうか。トレードマークであるボサボサのミディアムヘアに、シンプルな丸メガネ。もうすぐ知性と神経質さを感じさせる鋭い一重の目。黒いシャツに黒いジャケット黒いズボンに黒い革靴……という全身黒のコーディネート。取材時に見せる姿と、なにも変わらない小説家・哲学堂依人の姿がそこにあった。


「皆さん、よく来たね。さあ中に入って」


 そして、俺たちは手招きされるまま、彼の研究室へと入っていった。

大学のモデルは言うまでもないですが早稲田大学です。理由は筆者の出身校で描写がリアルにできるからです。笑

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