124 声優講座本番2
「次は上荻くんの番なんですが」
「はい、僕の番です」
陽向さんがニコッと笑顔を見せると、女の子たちが小さな黄色い声をあげる。なるほど、今風のビジュアルだけに、小学生女児の目にも結構ウケがいいらしい。
「ところで質問なんだけど、一口に怒ると言っても、いろんな怒るがありますよね?」
中野の問いに、陽向さんはコクンとうなずく。
「ですね。プロの声優は現場で、いろんな怒るを求められますよね」
「なので、ここでは2パターンの怒り方で自己紹介してもらいましょう」
「ですね……ってえええ!!! ちょ、ちょっと待ってくださいよ~」
陽向さんがわざとらしく反応し、子供たちがワッと沸く。ちょっとわざとらしすぎたせいか、中野の眉が一瞬ヒクッと動いた……のだが、そんな表情を生徒たちに見せるワケにもいかないと判断したのか、すぐに笑顔に戻る。
もっとも陽向さんは一切気づいていない様子で、子供たちのほうを見ると、
「ということで自己紹介です。僕の名前は上荻陽向。21歳で、声優歴は3年目です。事務所的には鷺ノ宮さんの後輩で、高寺さんの先輩にあたります」
そこまで話すと、中野が「怒」の画用紙を出しつつ、「ぷりぷりかわいく怒る感じで」と添える。
「これはさっき机を運んでるときに言われたことなんだけどー、『お兄さんも授業受けるの?』って。いやいやっ、さっき鷺ノ宮先生に紹介されたし、そもそも僕、小学生に見えるっ、みたいなっ!?」
陽向さんがサスペンダーを手で示し、持ち前の中性的な雰囲気を振りかざすと、女子生徒たちのボルテージが一気に上がるのがわかる。
「……ツンデレな感じで」
「……で、でも、今日をきっかけに僕のことを応援してくれるなら、許してあげてもいいんだけどね?」
陽向さんのあざとい演技に、教室内にさらに笑いが満ちた。今や、子供たちはみな楽しそうな笑顔を浮かべている。
なるほど、こういう台本なのか……と思いきや、またしても中野はその顔に苛立ちを浮かべていた。いや、笑顔なのだが、眉がヒクヒクッと動いている、と言えばいいだろうか。
「今のも台本なの?」
「えーと、違います。今のやり取りは、陽向さんのアドリブです」
「マジか」
気まずそうな表情で香澄が答える。その言葉に本天沼さんは目を見開き、石神井はニヤリと笑った。自然だったので気づかなかったが、陽向さんが台本内容を無視し、独断で差し替えていたようだ。
「そりゃそうですよ。机とイス運んでたときに言われたことなんですから」
「ああ、まあそうなるか」
「付け加えると、さっきの『ちょ、ちょっと待ってくださいよおお!』もアドリブです」
「なるほどな……中野がイラってなってた理由がわかったよ」
陽向さん、申告では先輩に気を遣うタイプとか言ってたが、実際は結構攻めるタイプなのかもしれない。
とはいえ、無事に笑いを取れているので、中野的には不幸中の幸いだっただろう。
そして、教室の空気が温まったことを感じたのか、手応えを表情ににじませた中野が、子供たちにこう話す。
「と、こんなふうに喜び、怒り、哀しみ、楽しみの4つの感情に沿って、自己紹介を変えるってことです。お芝居って言うと少し難しく思っちゃうけど、じつは『いつもの自分とは違う自分になる』ってだけなんだよね。そう考えると難しくないでしょ?」
子供たちが、コクコクうなずく。
「さっきお芝居は恥ずかしいって思った子も、自己紹介の延長だと考えたら恥ずかしくないよね?」
子供たちが、先程よりは若干ためらいつつもコクコクうなずく。
「じゃあ、グループに分かれてやってみようか!」
「「「はーい!」」」
そして、中野たちは子供を4人1組に分け、それぞれ自己紹介をさせ始めた。
中野、高寺、陽向さんは順番にグループをめぐり、声をかけ、演技のアドバイスをしていく。
「なるほど、こうやって子供たち同士で交流もさせていくのか」
石神井が感心したようにうなずく。最初に机とイスを協力して運ばせ、自分たちで見本を見せて教室の空気を温めたうえで、グループワークへと持ち込み、子供たち同士の会話を生む。
正直、ここまで上手く授業をするとは、俺も想像していなかった。
そんなふうにして前半の座学は、座学と言いつつ、基本立ったまま演技のワークショップが行なわれた。最初に演技は恥ずかしいものではないことを、3人の見本つきで見せたことで、子供たちも変な照れなく、楽しめたようだった。
○○○
15分の休憩が終了すると、スタジオを使った授業が始まった。
スタジオは生徒たちがマイクに向かって演技する収録用ブースと、スタッフが集まって音量を調整したり、演技について確認しあうスペースに分かれていた。それぞれ20平米くらいで、子供たち含めて20人以上入っても、そこまで窮屈には感じない。
収録用ブースにはマイクが4本並んでおり、後ろの壁に沿うようにしてイスが十数個並んでいる。そこに子供たちは着席。中野たちはその前に立って指導する形だ。
なお、俺たちも「スペースに少し余裕がある」という理由と、美祐子氏の厚意で、スタジオの隅っこで見学できることになった。さすがにイスはなく、ドアの側に並んでの見学だったが、それでも石神井、本天沼さんは嬉しそうで、生徒の子供たちのほうが年が近い香澄は、正直ちょっと困っている様子だった。
子供たちはと言うと、カラオケ店などで見かけるのとは違う形状のマイクに興味津々な様子で、ソワソワしていたり、触りたいのを我慢していたり……という感じ。そんな様子を見ながら、中野が話し始める。
「よく、アニメではアフレコという言葉を聞くけど、あれってアフターレコーディング、まあ要するに映像の後で録音するって意味なの。実際の現場だとこのテレビにアニメの映像が写って、そこに声を出していく感じね」
すると、いつの間にか隣のブースに移動していた陽向さんがなにやら機械をイジると、テレビ画面にラフなスケッチのようなイラストが写った。
そしてそれは、コマ送りになっており、「SE」との文字やキャラの名前と思わしき文字が現れ、そして消えていく。
「これは事務所で仲良くしている制作会社の人に特別に用意してもらったものです。実際の現場では、収録のときにアニメーションが完成してることってじつはあんまりなくて、絵コンテって言うんだけど、こういう状態で声をいれていくのね」
中野の解説に、子供たちが「おおー」とか「すごっ」とか「これでっ!?」とか反応する。たしかに、画面に写っているのはテレビで流れているアニメとはほど遠い、ラフなイラストの連続であり、コマによってはキャラの顔がうまく判別できないものもあった。
(こんな状態で演技していくって完全に職人技だよな。だって顔すら判別できないのに、自分でキャラの心情とか想像して演じなきゃいけないワケだし……)
と、そんな俺の感想はさておき。
子供たちの興味関心が大きく引き出されたところで、中野が新たな提案をした。
「でも、残念ながらこのサンプルだと、今ここにいる13人が参加することは難しいから、今日みんなにはボイスCDというものを一緒に作ってほしいと思っています。ボイスCDというのは、その名の通り、声だけのCDのこと。今からみんなにそれぞれ役柄をあげるから、順番に演じていってほしいの」
中野がそう説明すると、高寺と陽向さんが子供たちに紙を配っていく。B5用紙1枚で、そこにはそれぞれ1行ずつのセリフが書かれていた。
「このお話はじつは、あたしたちが書いたオリジナルなんだ」
「まあ、オリジナルって言えるほどの長さはないんだけどさ」
弁解するような口調で言う高寺と、そこにさらに弁解を加える陽向さん。それがもはや台本なのかそうでないのか、自然すぎて友人である俺にもさっぱりわからない。
「シチュエーションは干支。みんなも知ってるよね? ね・うし・とら・う・たつ・み、ってやつ」
そこまで言うと子供たちは理解したようで、コクコクうなずく。
「じゃあ、この中に猫が入ってないのって知ってるかな? 竜みたいに実在しない生き物が入ってるのに、なぜか猫っていないんだよね」
子供たちは知らないようだが、当然俺はその説を知っている。元旦の日、お釈迦様が早く来た順に、12番目までの生き物をその年の守り神にする、というレース的なものを開催。しかし、猫はねずみによって、1日後の日付を教わっており、12番に入れなかった……という話だ。
それを中野が話すと、初めて聞く子も多いのか、子供たちは「へえ」とか「そうなんだ」とか、口々に言っている。
「だから猫はねずみを追いかけるようになったってワケなんだけど、今日は12の生き物と、そこに入れなかった猫が、それぞれ一言ずつ、レース後のコメントを言うって設定でみんなに言ってほしくて」
子供たちはドラマCDの内容を理解したようで、素直に納得。そして役を決める段階になると、それぞれ演じてみたい役に挙手させていく。数回のじゃんけんが繰り返されたのち、配役は無事決まった。
「じゃあ、始めるね。ひとりが言い終わったら、3秒ずつ待って自分のセリフを言っていくこと」
中野の言葉に、子供たちがうなずく。どの子も真剣かつ、どこか緊張した様子だった。
「はい、じゃあ本番いきまーす」
すると、スピーカー越しに、隣の部屋から声が聞こえてくる。見ると、高寺と陽向さんがあやしいサングラス、あやしい口ひげをつけ、カーディガンを肩に巻いていた。そのうさんくさい、業界人的なビジュアルを見て、子供たちから笑いが漏れる。
そして、陽向さんが普段は出さない渋い声で、スピーカー越しに語りかけてくる。
「はい、じゃあ3・2・1って言ったらセリフ言っていきましょう・3・2・1……」
一瞬の静寂ののち、トップバッターの女の子の声が響く。
「一番にゴールインできて、よかったでチュー。全部俺の、頭の良さのおかげだチュー」
そして、ふたたびの一瞬の静寂ののち、次の男の子の声が響く。
「走りすぎてモー大変だったし、なんか頭のうえが重いしでモー大変だったけど、2着で入れて良かったモー」
と、そんな塩梅で動物の鳴き声にかけたセリフを、子供たちがそれぞれ担当動物に扮して言っていく。なかには噛んでしまったり、かなり棒読みで拙いものもあったが、みんな張り切って楽しそうだった。
そして、何度もやり直したうえで、最終的に全員分の収録が終わると、中野たち優しい笑顔でグーサインを子供たちに見せる。その瞬間、子供たちの顔にはパッと笑顔の花が咲いた。
そして、高寺と陽向さんが隣のブースから中に入ってくると、3人は子供たちひとりひとりとハイタッチ。喜びを分かち合ったのだった。