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123 声優講座本番1

 栄実さん、幸四郎氏の相手を終え、席に戻ると、スクリーンに写る教室内の雰囲気が先程より緊張感に包まれているのに気づいた。小学生とは言え、初めて受ける授業に緊張しないというワケではないようだ。 


 そして、時計の針が11時に達したそのとき。


 ガラガラと音を立て、前方のドアが開いた。視線が一気にそちらに向けられ、そこに中野が姿を現した。普段はなかなか見せないような柔和な笑顔を浮かべていて、その姿を見て女の子のひとりが小さく「かわいい……」とつぶやく。自分でもつぶやいたことに気づいていないかのような雰囲気があり、中野のビジュアルに圧倒されたことがわかる。


 そして、そんな中野を先頭に、そのあとを高寺と陽向さんが続く。ふたりは壇上の端、ドアに近い部分で一足先に立ち止まり、その間、中野がゆっくりと真ん中へと向かう。この一連の動きですら、打ち合わせていたのではと思うほど、自然な流れだった。


 ……いや、プロ意識の高い中野のことだ。何度もリハーサルするなかで自然と作り込まれたに違いない。


 高寺と陽向さんのほうを見ると、高寺はわくわくで胸をいっぱいにしているかのような、満面の笑みを浮かべていた。一方、陽向さんは笑顔ではあるものの、授業の雰囲気に少し飲まれているのか、緊張しているようだ。


 そして、中野の口が動くと同時に、聞き慣れた、それでいて飽きることのない美しい声が、俺たちの耳に届く。


「みなさん、こんにちは」


 中野がそう呼びかけると、子供たちから小さく「こんにちは」と帰ってくる。だが、緊張のせいか、まだその数は少ない。


「あれ、みんなまだ眠い感じかな? まだ夏休みになってないのに夏休み気分?」


 そう中野が添えると、生徒の笑顔が少し増える。


「じゃあ、もう一度こんにちはって言うので、元気よくこんにちはって返してくださいね。いきますよ……こんにちは!」

「「「こんにちは!!!」」」


 子供たちが元気よく挨拶をする。


「はい、よくできました」


 中野は満足げに笑うと、ホワイトボードに自分の名前を書いていく。


「今日、先生をさせてもらうことになった声優の鷺ノ宮ひよりです。みんな、来てくれて本当にありがとうね。今日は先生と」


 中野はそこで壇上の端にいる、高寺と陽向さんに視線を向ける。その瞬間、陽向さんに一瞬緊張の色が走るが、横で笑顔を爆発させて手を振っている高寺に影響されたのか、すぐに自分も手を振る。


「先生のお友達で、同じ事務所の声優さんふたり、合わせて3人でお芝居の勉強をしていきましょう」



   ○○○



 そんなふうにして、導入は首尾良く終了した。


 だが、ここまでまだ2分。座学だけでもあと58分ある。今のところ、子供たちはちゃんと机に座り、中野たちの話を聞いているが、中には貧乏ゆすりをしている子や、足をブラブラさせている子もおり、集中力はそう遠くないうちに切れそうな感じである。


 しかし、そうなることはある程度予想していたのか……


「では挨拶はこのくらいにして、実際にお芝居をしていきましょう。みんな、机とイスを後ろに下げてほしいのだけど、お願いしてもいいかな?」


 その提案に、子供たちは一瞬戸惑いを見せたものの、元気よく「わかった!」「いいよ!」と反応。中野の指示に従い、荷物を教壇の上に置くと、どんどん机とイスを後ろに下げていく。


「これ手伝いに行かなくていいのか?」


 俺がつぶやくと、斜め後ろの席にいた香澄が背伸びしてくる。


「大丈夫です。これも台本通りです」

「台本通り」

「小さな子供と仲良くなるには最初に距離感をなくすのが大事、だからなにか一緒にやろうと。共同作業的なやつですね」


 そう言われて見ると、机、イスを下げながら、講師の3人が子供たちと会話をしているのが見える。最初の段階で緊張していそうな子に、自然な流れで声をかける意味合いもあったようだ。


 とくに、距離感のなさには定評のある高寺は、はやくも子供たちと打ち解け始めている様子。陽向さんも、若干気を遣っているものの、甘いマスクのせいか女の子たちが周りに集まっており、比較的悪くない感触な感じだった。


 机を後ろに下げ終わると教室の中心にスペースができ、3人を輪で囲むように子供たちが体育座りになった。


「今日はみんなに、お芝居とか、演じることの楽しさを知ってほしいと思っています。この中に、小学校や幼稚園の学芸会を経験したことのある人はどれくらいいますか?」


 その問いかけに、8割近い子供たちが手をあげる。


「では、その中で演じることが楽しい、好きって思った人はどれくらいいますか?」 


 あげた手の半数以上がさがる。全体で見れば、残ったのは3割くらいだった。


「あんまり多くないですね。それはなんでなのかな?」


 中野が問うと、子供たちが声をあげる。


「恥ずかしい!」

「照れる!」

「どうすればいいかわかんない!」


 それを聞き、中野は柔和な笑顔でみんなを見渡す。


「みんな、お芝居を恥ずかしいと感じちゃうんですね。うん、そうだよね。じつは先生もみんなくらいの年のときは同じだったんだ。恥ずかしいよねー」


 すると、中野は次のように提案する。


「でも、みんなは少し、お芝居というものを難しく考えすぎかもしれません。お芝居ってじつは、『いつもと違う自分になる』ってことなんです。たとえば、自己紹介をいつもと違う感じでやってみるとか」


 内容がイマイチわからなかったのか、子供たちはキョトン。


「と言ってもわかんないよね。ということで、先生たちが実際にやってみせるね」


 すると、陽向さんが袋の中から画用紙を取り出す。それぞれ「」「」「あい」「らく」と書かれており、漢字の上に読み仮名が、隣にはそれぞれの感情を表現したイラストが描かれていた。イラストはスマホで使用される顔文字で、なるほど漢字をまだあまり読めない子供たちにも配慮されているのがわかる。


「私はもう自己紹介したけど、ここにいる高寺さん、上荻くんはまだなので、この紙に書かれた気持ちに合わせて自己紹介をしてもらいましょう。じゃあまず高寺さん」

「はいっ!」


 元気よく、高寺が一歩前に出る。


「みんな、初めましてっ! ちと自己紹介遅れちったけど、あたしは高寺円と言います!」


 と、ここまでは普通の挨拶だ。すると、横に立った中野が「」の画用紙を、高寺に見えるように出した。


 それを受け、高寺の表情が一気に喜びへと傾く。


「今日の授業の先生の鷺ノ宮ひよりさん、あたしは普段りんりんって呼んでるんだけど~~、りんりんに頼まれてアシスタントすることになってっ!!! そう、そこの君!! 今心の中で思ったでしょ!? この人たち、仲良しなんだあって。仲良しなのっ!!!」


 高寺がデレデレとした笑顔で自己紹介を進める。その感情にふさわしい内容なこともあり、話し進めるなかでドンドン顔がにやけていき、子供たちも思わず声に出して笑う。


 しかし、高寺の様子を見て、若干素に戻ったのか困ったような顔を見せながら、中野がすっと「あい」の画用紙を差し出した。それを見ると、途端に高寺の表情が曇り、声のトーンが低くなる。


「でも、りんりんはあたしに冷たくて、LINEとかんまり返してくれないんだ」


 偶然なのか、高寺の話す内容が、「あい」に重なって、子供たちはさらに笑う。高寺はわざとらしくイジイジしており、今にも泣き出しそうに表情を歪ませる。


「ちょっと高寺さん、なんか私の話になってない? 暴露はやめてほしいのだけど」


 中野がツッコミを入れると、さらに子供たちが声をあげて笑う。スムーズな展開に、俺たちがいる保護者用の待機教室でも、「へえ……」と、小さなため息が聞こえてくる。


 そして、そんな中野に相当しごかれたであろう、自然な演技を見せる高寺が、「あい」の感情のまま、自己紹介を続ける。


「えっと、りんりん先生に注意されたんで話を戻すけど、趣味は中学までやってたソフトボールです……今でもこうやって先輩にイジメられるとバッティングセンターに逃げ込みます……」


 よくある自己紹介のはずなのに、妙に哀しそうな口調で高寺が述べるので、本当に趣味なのかという感じ。なかなかシュールだ。


 そして、中野が「」の画用紙を出すと、


「今日はみんなで楽しく、笑顔いっぱいで最後までやれるように!!」


 高寺は怒った口調で、それに見合わない文言を言い、さらに中野が「らく」の画用紙を出すと、


「ということで~、よろしくお願いしま~す。えへっ」


 感情に合わせて大げさな自己紹介をやりきった高寺に、子供たちは拍手を送る。 


「なるほど、こういう感じでやっていくんだな」

「鷺ノ宮……中野さんいわく、演技のワークショップでこういうにがあるそうです」


 俺がつぶやくと、香澄が小さく補足してくれる。本名と芸名を言い間違えたのは、声優としての姿を初めて見たせいだろうか。


「ちなみに、今のやり取りも全部台本です」

「ここも台本なのか」

「たぶん、午前の授業はずっと台本通り進行すると思います」

「覚えてるって時点ですごいのに全然演技に見えないな」


 授業が進めば進むほど、俺は中野の用意周到さに舌を巻いた。子供たちを無理なくやる気にさせ、だれないように次々に違うことをし、子供たちにもわかりやすいようなユーモアで場を温める。


 と同時に、ともに見事に形にしていく高寺、陽向さんにも驚く。演技を教える演技をする、というなんだかメタ的な構造なのだが、不自然さは一切ない。


 授業の様子を見守っている親たちも台本通りの進行だとは気付いていないようで、にこやかに見守っている。授業開始直前、部屋を支配していた「どうなるんだろう……」という雰囲気はすでになくなっており、身をゆだねている感じだ。


 そして、スクリーンのなかでは、中野が陽向さんのほうを向いていた。

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