122 声優講座の朝2
各自荷物を終えると、それぞれ細々とした裏方作業を手伝うことになった。俺と石神井が保護者待機用教室の設営、本天沼さんと香澄は受付だ。
今まで習い事らしき習い事をしたことがなかったのでよく知らなかったが、小学生の習い事に親が同行するのは普通のことらしい。そのため、今回の小学生向け声優講座でも子供たちが授業を受ける教室の隣をあてがうことになったのだ。
倉庫部屋からプロジェクターを持ってくると、石神井がそれを設置。その間、俺は隣の教室に行き、WEBカメラを置かせてもらうことにした。
ドアの前に立つと、なかから話し声が聞こえてくる。耳を澄ませると、リハーサルというより、打ち合わせ中のようだ。なのでノックし、声をかける。
「中野、入ってもいいか?」
「どうぞ」
入ると、そこには当然ながら中野、高寺、陽向さんの3人の姿があった。手には台本らしきものが握られており、中野と陽向さんのがすでにくたりかけていたり、高寺のには赤い文字がたくさん書き込まれていたり、短期間で積み重ねた努力を感じる。
「これ置いていいか?」
「もちろん。ありがとうね、お手伝いに来てくれて」
そう言いつつ、中野は俺のほうに歩み寄る。今日の彼女は深い紺色のワンピースを着ており、いつも通り大人っぽく、そしていつも以上に女の子っぽい雰囲気だった。長い黒髪は一部が後ろでまとめられており、普段よりもサイドの髪が少なく見え、それが清楚さに拍車をかけている。先生っぽく仕上げてきたらしい。
「やー若ちゃん! おっはーっ!!」
そして、高寺と陽向さんもこちらに歩み寄ってきた。高寺も中野に合わせたのか、普段はあまり着ないワンピースを身につけていた。デニム生地なのでカジュアルさもあり、とてもよく似合っていた。
陽向さんはと言うと、白シャツに黒の細身のパンツという組み合わせで、そこに柄のサスペンダー、赤いソックスで差し色していた。清潔感がありつつ、真面目な雰囲気も出ていて、なにより中性的な彼にはよく似合っていた。
「高寺おはよう。元気になったみたいで良かった」
「うん! その節はご心配おかけしました」
「陽向さんもお久しぶりです」
「お久しぶ……うわ、若宮くんの顔見てたらPASMO落としたこと思い出しちゃった……」
「やめてもらえますかその連想」
「うそうそ、冗談だよ」
そう言って、陽向さんは笑う。2万円を落としたショックから、解放されつつあるようだ……てか3人ともあれだな。緊張感こそそれなりにあるけど、なんていうか思いの外にこやかな表情というか。
そう思った結果、キョトンとしてしまったのか、中野が首をかしげてくる。
「若宮くん、どうかした?」
「いや、なんか意外と緊張してなさそうというか」
「緊張はしているわ3人とも。でも同時に楽しみなの」
「楽しみ……?」
「だって私たちが楽しまないと、子供たちも楽しめないでしょう?」
「それはそうか」
「エンターテイメントに関わる以上、まず自分たちが楽しまないと……ま、ずっとそういられるワケではないんだけどね」
苦笑しつつ中野が言う。なにを思い出したのか、俺には見当もつかないが、でも実際問題、楽しいことを突き詰めると楽しくない瞬間もそりゃやってくるだろう。
「じゃ、若宮くんまたあとで。私たち、もう少しリハするから」
「お、おう。邪魔して悪かったな」
「邪魔なんかじゃないわ。今日はよろしくね」
そう微笑むと、中野は高寺・陽向さんのほうを向き、小声でなにやら話し始める。その様子を横目に、俺は静かに外へ出た。
○○○
開始時刻が近づくにつれ、徐々に生徒の子供と、その親がやって来た。後方のドアから、教室の雰囲気を確認する。
1部は1~3年生向けの講座ということもあり、教室はすでに結構賑やかな感じだった。お互い初対面同士にも関わらず、すぐに話したりできるのだから、子供というのはスゴい。まあ、俺も子供なんだけどさ。
隣の保護者用の待機教室にみすでに多くの保護者が座っていたが、子供たちと違って会話はなし。それぞれスマホをいじって、スクリーンの映像を見ていたり、SNSやゲームをしているのがわかる。
なお、そんな保護者たちの後方にはスタッフ用のスペースが用意されており、俺たちはそこで待機することになっていた。
「あの若宮くん」
すると本天沼さんが俺の肩をツンツンし、呼び掛けてきた。
「どうかした?」
「なんか怖い顔したおじさんが、眉間にシワを寄せてこっち見てて」
引き寄せられるようにその方向に視線を向けると、幸四郎氏が教室後方のドアのガラス部分から、中を覗き込んでいた。
「あーあの人は大丈夫。ある意味、関係者だから」
「え、ほんとに?」
「うん。高寺のお父さん」
「え、あの堅そうな人が……?」
思うよね。俺もそう思ったもん。
そうやって見ていると、幸四郎氏と目が合った。軽く頭をさげると、彼は相変わらずに気難しそうな顔で、手をくいくいっとしている。
「手首の運動してるだけ……じゃないよねあれ」
「どう考えても呼ばれてるよ、若宮くん」
「……ちょっと行ってくる」
廊下に出ると、早速、幸四郎氏が歩み寄ってきた……のだが、如何せん体と態度がデカいので、威圧感がスゴい。もはや歩み寄るというより、体感的には詰め寄ってきたと表現するのが適切かもしれない。
「来てくださったんですね」
「ああ……べつに若ちゃんとの約束を守ろうとしたワケではないからな?」
「はいそこはそれでいいです。あと俺の呼び方、若ちゃんでいいんですか?」
「なんだ娘と同じ呼び方はダメなのか? それとも君は若ちゃんじゃないのか?」
「いや若ちゃんですけど」
「紹介したい人がいる」
「えっ、紹介したい人?」
「そうだ。紹介したい人だ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいお父さん、れれ冷静にっ」
「誰がお父さんだ。君こそ冷静になれ」
険しい表情で若ちゃん呼びをした挙げ句、急に「紹介したい人がきる」と、然るべきときにしか聞かない言ってきたんだから動揺してしまった。
「まあ、正しく言えば『紹介しろと言ってくる人』ということか」
何を言っているのかわからないまま、幸四郎氏は後ろを振り返る。
すると、コツコツというヒールの音を立てながら、ひとりの女性が歩いてきた。年齢は40代中盤くらいだろうが若く見え、30代でも通用しそう。シンプルながらも上質そうな白いTシャツにグレーのジャケット、ベージュのチノパンを合わせ、特徴的な赤茶色の長い髪をサイドでまとめている。
いかにも仕事ができそうな風貌の女性だ。
「若宮くん、はじめまして」
「あ、もしかしてあなたは……」
「円の母の栄実です」
そう言いながら栄実さんはニコリと笑う。髪色とか笑ったときの感じとか、なるほど高寺とよく似ている。
「はじめまして。若宮惣太郎です。えっと、円さんにはいつもお世話になって……」
「なってるの? むしろ、お世話してるほうじゃない?」
「あー、まあ、そうかもです」
「ふふっ。素直でいいわね……今日、仕事でこっちに出張で、円が楽しそうなイベントに出るって聞いたから私も見学させてもらうことになってたの」
「あ、そうだったんですね」
「ま、そしたらこの人に遭遇したというワケなんだけど……」
「ダメなのか、私が来るのは」
栄実さんが軽く睨むと、幸四郎氏も負けじと険しい表情で上から見下ろす。
「ダメとは言ってないでしょう? 嬉しいとも言ってないけど」
が、栄実さんはそんな幸四郎氏の反応を受け流し、俺のほうを向き直す。
「保護者は隣の部屋と聞いたのだけど、私たちもそこでいいのかな?」
「あ、そこで大丈夫です」
「私たち? 一緒に見るのか?」
「だって私が監視してないと、あなた若宮くんや円にウザ絡みするでしょ? 今日は大事なイベントなんだし、精神衛生的に良くないわ」
「ウザ絡みだと。まあするだろうな」
するんだ、と俺が心のなかでツッコんだのは当然のことだった。
そして左腕につけた細い時計に視線を送ったのち、ひらりと手を振ると栄実さんは保護者用の教室へと消えていった。いかにもデキる女社長という出で立ちで、いよいよ高寺のDNAがどこ由来なのか心配になってくる。真横の幸四郎氏を見て、余計にそう思う。
「では、また後ほど」
「はい」
そして、幸四郎氏も保護者席に向かった。
そんなふうにして、小学生向け声優講座は幕をあげようとしていた。
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