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121 声優講座の朝1

 それからあっという間に月日は流れ、小学生向け声優講座当日になった。


 授業開始は11時だが、スタッフとして設営から参加することになった俺は10時には会場入りすることになっていた。


 ということで現在朝の9時半。集合場所の溝の口駅改札前で読書しながら待っていると、トタタと走ってくる足音が聞こえた。


「若宮くん、おはよっ」

「おはよう」


 挨拶し返すと、本天沼さんが柔和な笑顔で微笑む、。


 彼女は薄いベージュのジャンパースカートに、シンプルな白Tシャツというコーディネートだった。いつもは下ろされた前髪がサイドに流され、色白なおでこがあらわになっている。アイテムもヘアアレンジも、一見子供っぽくなりそうな方向性だが、絶妙なバランスで年相応以上に見えていた。


 ちなみに今日は7月最終週。来週を終えると夏休みに入る。なので彼女の服装も夏仕様というワケ。


「いよいよ本番だね。私、専門学校に行くの初めてだから楽しみ」

「来週オープンキャンパスで大学行くでしょ」

「それとこれとは違うから。中野さんとまどちゃんの授業も楽しみだし」


 そう言って笑う本天沼さんは本当に楽しそうだった。タダ働きと美祐子氏が言ってたけど、お金じゃ買えない経験がある、ということなんだろうか。


 まあ実質的主催者があの中野だから、交通費くらいは出してくれると思うけど。あるいは打ち上げ代とか。


 そんなことを思っていると、今度は石神井兄妹の姿が見える。


 石神井は白シャツに紺色のジャケット、そして淡い色のデニムというシンプルな出で立ちだった。


「イケメンにはシンプルな服装が似合う」というこの世界の真理を体現するかのような服装で、やはり黙っていれば彼はイケメンなんだなと実感する。

「香澄も来たんだね」


 そして、俺は最後に香澄に目をやる。兄に合わせたのだろうか、白シャツに紺色のスカートを合わせたシンプルな出で立ちで、ウェリントンタイプのメガネをかけている。もうなんか小物のチョイスが大人っぽい。子供じゃない。


 すると、俺の問いかけに香澄はメガネをくいっとさせながら、自慢げに答える。


「もちろんです。だって私は、今回の声優講座のアドバイザーですから」

「アドバイザー」

「はい。もはや参謀と言ってもいいかもしれません」


 実年齢と仕草・発言のギャップが微笑ましいが、じつのところ、実際に香澄は今回の小学生向け声優講座において、いろんなアドバイスを中野にしたようだった。


 まず、これはファミレスでも話していたことだが、香澄の提案を受け入れる形で講義を前半と後半に分けることになった。


 前半は教室で行ない、自己紹介、簡単なデモンストレーションと進めたのち、声の出し方、演技の仕方などを自ら体験しながら進めていく。この際、サポートの高寺は、教室を回りながら子供たちにアドバイスしたりしていく……らしい。


 後半は、養成所内にあるスタジオを使った、アフレコ体験だ。子供たちにとってはある意味、こっちが本番だと言える……だろう。


 しかし、子供が15人もいると、ひとりあたりにそこまで多くの時間、セリフを割くことはできないし、かと言ってスタジオを複数使うことは大人の事情によりもっと不可能だった……そうだ。


 また、子供用で使えそうな数分程度の長さの台本というのも、都合良くは存在しないようで、中野がオリジナルで作る必要があった……とのこと。そのうえ、1~3年生の部と4~6年生の部の2部制になったので、年齢に合わせた内容にした……みたいだ。


 その過程で中野は香澄から、小学生の生の声を聞き、台本に反映させていったという……お気づきのとおり、さっきから「らしい」とか「とのこと」とみたいに文末が全部伝聞調だが、なぜかと言うと、すべて聞いた話だからである。台本は中野と香澄がほぼほぼふたりで作ってしまったそうで、俺は顔合わせのファミレスミーティング以降、一切関与していないのだ。


 全員揃ったところで電車に乗ると、俺は細かい事情を香澄に尋ねていく。


「台本っていつ完成したの?」

「初稿は結構前に出来ていました。でも、リハーサルするうちに内容がどんどん変わっていったみたいで、最終稿は私も把握してないんです。さすがに事務所に私が行くワケにはいきませんから」


 アイアムプロモーションに訪れたことのある俺としては、反応に困る言葉だ。まあ誘拐されただけなんだけど。


 すると、横から本天沼さんが覗き込んでくる。


「というか、中野さんたちリハーサルしてたんだね。私、全然知らなかった」

「高寺さんから聞いた話だと10回近くやったみたいです」

「そんなにやってたんだな」

「もう覚えちゃったんじゃないでしょうか」

「3人的には半分演技なのかもな」


 なるほど、高寺が発熱してバタンキューになるのもおかしくない。


 そして、一番忙しいはずの中野がずっと涼しい表情をしていたのが、内心少し恐ろしくなっていた。



   ○○○



 講座の舞台となる専門学校は、大学受験予備校のような外観だった。


 地上6階建てで、比較的新しい、普通に立派なビルだ。HPによると、声優学科のほかにもタレント学科、アニメーター学科、演劇学科、YouTuber学科、さらにはライトノベル学科(!)なんてものまであるらしい。一体どうすれば面白いライトノベルが書けるようになるのか、非常に気になるところ。資料請求しようかな。


 なんて冗談はさておき。


 一階にある受付に到着すると、奥から美祐子氏がやって来た。あらかじめ奥で待機していたようで、いつものように格好いいパンツスーツ姿で闊歩してくる。


「やあ、みんな。遅れずに到着してなによりだ」

「美祐子さんこそ、来てくれて嬉しいです」


 本天沼さんがそう言うと、美祐子氏は不敵に笑う。


「今日はひよりにとって、大事な日だからな。さすがの私でも来るさ」


 そして、彼女は奥を指さしつつ、身を翻して俺たちを誘導する。


 専門学校は土日も授業があるのか、俺たちと同年代~少し年上の若者たちの姿をたくさん確認できる。なかには30歳を過ぎていそうな人もおり、年齢層の幅は想像以上に広いのかもしれない。


 そして、エレベーターへと乗り込むと、3階へと到着する。


 明るい照明に照らされた清潔な空間が広がっており、普段公立ならではのオンボロ校舎で過ごしている身としてはそれだけで嬉しい。屋内なのに深呼吸とかしたくなってくる。並んでいる教室の他に、通路を挟んで休憩スペースなどもあり、想像以上に開放的な雰囲気があった。


 そんなことを考えていると、美祐子氏がある一室の前で立ち止まる。「資料室」という文字のうえに「小学生向け声優講座 スタッフさま控え室」と書かれた紙が貼ってあった。なお、隣の部屋のドアには「小学生向け声優講座 講師さま控え室」とある。


 中の部屋に入ると、そこには声優の授業に使いそうな演技の本や指南書、アニメの台本、舞台の戯曲、さらにはマンガや小説、ラノベ、DVDの類いが大量に棚に陳列されていた。なるほど、それなりの蔵書数だが、正直、あまり閲覧されている様子はなく、資料はどれも基本的に新しいままで、そのうえにホコリをかぶっていた。生徒ってこういうのあんまり読まないのかな……。


 部屋の真ん中には片側3人程度作業できるサイズのテーブルがあり、俺たちが待機するには、色んな意味でうってつけな感じだった。


「ひよりたちはもう、すでにリハーサルを行なっているよ」


 そう言いつつ美祐子氏は、スーツのポケットから、青いたすきを取り出す。


「なんですか、それ?」


 首をかしげた本天沼さんに対し、美祐子氏は答える。


「見ればわかるだろう。スタッフ用の襷だ」


 渡されたものを広げると、そこには「スタッフ」との文字があった。


「今回、生徒は子供だからな。ぱっと見でわかる目印を作っておこうという、ひよりなりの配慮だ」

「なるほど」


 そして、美祐子氏は見本とばかりに襷を肩にかける。スーツ姿の美人ということもあり、信頼できそうなスタッフ感がすさまじい。


 俺たちはそれに従うかのように、襷を肩からかけた。俺、石神井、本天沼さんは中野と同年代だから、まだ許されるとして、香澄はどう見てもスタッフには見えなかった。


「誰かが落とした襷を、子供が拾ってつけたようにしか見えないな」

「ちょ、ちょっとそれは」

「これはちょっと厳しいな……悪いけど、君はナシでお願いしていいか?」

「えっでも私、台本を中野さんと一緒に……」

「生徒がスタッフのコスプレをしているように見えるからな」

「……わかりました」


 小6にしては大人っぽい見た目、大人っぽい性格の香澄だが、たしかにどう考えても無理があった。最初は抗議する素振りを見せた香澄だったが、自分でも感じるところがあったのかすぐに受け入れる。

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