119 円の看病2
姿が見えなくなって少し後、おかゆが完成し、俺はお盆に載せて運んでいった。寝室に入ると、高寺がベッドの中で静かに眠っている。
「できたぞー。食べれるか?」
尋ねると、高寺はさっきより少し辛そうな表情で起き上がった。
「あれ、なんかしんどくなってる……」
「だから寝とけと」
大人しく寝ず、俺と話したりしているから悪化したのだ。ほんと、やってることが子供でしかない。小学生の頃とか熱が出ると学校休めるのが嬉しくて、軽めの熱だとテンション上がってたよな、そう言えば。当時の俺は読書や映画・アニメ観賞が大好きな子供だったので少し寝たらそっちに時間を費やして、結果的に風邪の治りが遅くなってたよな。まあでも、高寺はもう高校生なんですけども。
「ほい、れんげだ」
高寺を座らせると、俺は洗い物をしようと立ち上がる……のだが、肝心の当人はボーッとして、おかゆを見つめたままだった。
「ひとりで食べるのしんどい?」
高寺が黙ったまま、コクンとうなずく。
「スプーンを口元に運ぶ気力もないのか」
高寺が黙ったまま、コクンとうなずく。
「仕方ないな……じゃあ今から太めのストロー買ってくるからそれで吸って……」
「いや、なんでそうなるの」
立ち上がって中腰になったのを高寺が制止してきた。
「ん?」
「ん? じゃなくて」
「はい?」
「はい? でもなくて……普通この流れだとスプーンで『あーん』してくれる流れでしょ! ラブコメのお決まり守ってよっ!!」
「ラブコメのお決まり……? 急に変なこと言い出して、熱あるんじゃないか?」
「だから熱あるんだってば。なんでうどんをタピオカみたいに食べないといけないのってば……」
コクンとうなずくのではなく、今度はへたっと倒れそうになる感じで高寺の上半身が動いた。半泣き、と言うのは言い過ぎだが、しかしながら4分の1泣きくらいには言えそうなぐずった表情の高寺を見ていると、さすがにふざけすぎたと思う。
「わかったよ。じゃあ食べさせるから」
高寺が黙ったまま、コクンとうなずく。
「仕方ないな、ほんと」
そう言うと、俺は高寺の横に腰をおろす。れんげでおかゆを掬って彼女の口元に持っていくが、すぐに開いた口が閉じた。
「あつい……」
「諦めるのはやいな」
「ふーふーして」
「子供か……」
とはいえ、泣かれたら困るので、俺は要求通りにおかゆを冷ましていく。我ながらマジでラブコメで何度も見た展開だが、高寺が高寺なので、たとえ甘えてきたとしても過剰に受け止めることもないし、変な雰囲気になることはなかった。
……まあ、友達として過ごすこの時間はなにげに楽しく、心地よいモノなのだけど。
……そして、弱って甘えてくる高寺は、想像以上にかわいいのだけど。
そんな打ち明けられない感情を抱えつつ、何回か息を吹きかけてれんげを出すと、高寺はおかゆをぱくり。辛そうに閉じかけた目がパッと開いたのち、モグモグして飲み込む。
「あ、おいしい」
「なら良かった」
「……自分が風邪引くなんて思わなかったなあ。メンタルはさておき、体力だけは自信あったのに」
「ときどきどう返せばいいかわからない言い方するよな高寺って」
「あはは。でも、りんりんはどっちも強いからスゴいよね」
たしかに、中野はああ見えてかなり体が強そうだ。最初こそ、見た目の印象でか弱い部分があるのかと思っていたが違ったようだし。
でも、俺からすれば高寺も十分元気だ。
「また最近なんか受かったんだろ」
「あ、うんそう、そうなんだ! てか準レギュラー!! アニメで名前のある役初めて!! すごくない!!?」
「あ、そうなんだ。良かったな」
「へっへー。すごいでしょ」
にひひと高寺は笑う。熱のせいで普段よりふにゃりとなっているうえでふにゃりとなっているので、俺も自然と笑みがこぼれる。彼女が元気ならハイタッチしてやりたいくらいの気持ちだった。
しかし、そこで高寺の雰囲気が少し変わる。
「ユニットも組むらしくて、早速来週レコーディングなんだ」
「え、はやいな?」
「キャラソンとかMV撮影はわりと一番最初みたいなんだよね。だからこうやって読んでるワケ」
そう言いつつ、高寺はテーブル下の棚から数冊のラノベを取り出す。タイトルは『凡人の俺が天才だけが集う学校に『凡人サンプル』として拉致られた件。』というものだった。
「あ、これ本屋で見たことあるわ」
「ってことはまだ読んでないんだね。あたしも昨日から読んでるんだけど面白いよ」
なるほど、それでさっき読書すると言っていたのか。と数十分経って気付く俺である。
「ちなみに収録は来月からなんだ」
「それも早いな」
「プレスコ……アフレコと違って絵のない状態で収録するやつでさ」
「また難しそうな……」
「良かったら若ちゃんも読んでみて……って言ってみはするけど」
そこで高寺の雰囲気が一気に変わる。
「けど、なに?」
「若ちゃんって、りんりんの出演作あんま観てないよね?」
高寺が、半分責めるような、半分理解できないと言うような、そんな目で見てくる。
「いや、べつにそんなことは……昔のは観てるのあるし……」
「でも最近の観てないし、『反省文の天才』とか観てないでしょ? あれ面白いのに」
図星だった。
中野と親しくなってからと言うもの、俺はアニメを観る量が以前に比べて少なくなっていた。高寺が言うように、知ってる子が出ているというだけで、なんだかむずがゆい気持ちになってしまうのだ。
出てないっぽい作品を観ていても似た声が聞こえてくるだけで「もしかして……」と思ってしまうし、そんなんだから中野の出ている作品を検索することもできない。最近、よくTSUTAYAで映画を借りたりしているのもそのせいだし、最近は哲学堂作品を読み直そうと考えていたりするが、これもそのせいだと言える。
正直、我ながら考えすぎで気持ち悪い自覚はある。
でも、俺はそういう性格なのだ。
すべて、俺の自意識の強さのせいなのだ。
と、高寺がうなずきつつ、こう続ける。
「まあ気持ちはわかるよ? 知ってる人が出てると小っ恥ずかしくなるってゆーか。変に意識しちゃうとゆーか」
「そうなんだよな……」
「それってべつに、若ちゃんがりんりんのこと好きってことじゃないんだよね?」
「……俺が? 中野のことが好き? なぜ?」
「あ、ごめんその返事でわかったわ」
あまりに理解に苦しむ質問だったため、一文で3つも「?」が入ってしまった。高寺の反応を見るに、きっと眉とかかなり八の字になっていたに違いない。
「とにかく、アニメ観てね! あたしの初レギュラーなんだから!!」
高寺が、強い口調で訴えかける。
正直、友達が出てると知ったうえでその作品を観るのはむずがゆいが、頼まれたら観るしかない。
「わかった。楽しみにしてるな」
そう言うと、高寺はニコリと微笑む。
「うん!」
○○○
その後、俺は食べ終わった土鍋や取り皿を洗い、洗濯機をまわした。高寺家の洗濯機は乾燥機つきなので、乾いたやつは彼女に取り出してもらうことにする。
なお、言うまでもないことだがおパンツやおブラは入れていない。タオルとか、俺が見ても問題ないものだけだ。そこは誤解のないよう。
そうこうしているうちにいい時間になったので、俺は帰ることにする。高寺が起きて、玄関先まで着いてきた。
「いいのに見送りなんて」
「いや、鍵閉めないとって」
「……」
「今日はありがとね。だいぶ元気になったよ。明日は学校行けると思う」
「そうか。でもしばらくは無理せずな」
「うん」
高寺はニコリと微笑む。
だが、数秒後には軽くうつむき、手の平を離しつつ、左右の指をすりあわせ始めた。
「あのさ、若ちゃんにお願いがあるんだけど」
「これだけ色々とやらせてまだお願いがあるのか……全然いいぞ」
「いいんだ」
「いやでも、帰って晩ご飯作んなきゃだよな。絵里子の世話もしないとだし、そもそも今って買い出しの途中だし。だから、全然いいぞ」
「いいんだ。若ちゃんって時々ウザい笑いの取り方するよね?」
「ウィットに富んだ会話ができると言ってほしいな……で、要件は?」
「あ、うん……お願いしたいの、あたしのパパのことなんだけど。まだこっちにいるみたいなんだけど、その、代わりに会って様子とか見てきてくれないかな?」
「俺が?」
それは俺にとっても予想外の申し出だった。
「うん。正直、パパのことは好きくないし、頭固いから放っておいてほしいんだけど、でもやっぱ一番わかってほしい、認めてほしい相手でもあるんだよね」
「それはまあ、そうだよな」
「……それに、正直こんなこと他の子たちには言えないんだけど、あたし、正直ママの会社に入ることもできるんだよね」
「声優のほうがダメでも、ってことか」
「だからこそ、パパがあそこまでうるさいのは、なんていうか声優って仕事自体に偏見があるのかなって」
なるほど、たしかに高寺の考えはもっともだと思った。
もし高寺が金銭的に貧しい家の出身で、時間的な猶予がなければ、不安定な仕事を続けるのは難しいだろう。
だが、実家が家業をしており、それがうまくいっているのであれば、そこに就職することができる。就職活動すらする必要がないワケだし、社員の人との打ち解けやすいだろう、なんたって、高寺は社長令嬢なのだ。どんな観点から考えても、母親の会社の存在は、現実的なリスクヘッジと言えるだろう。
(大学に行くかどうかだけじゃなく、夢を追いかけるにも、追いかけた先にも実家の裕福さは関わってくるんだな……)
そんなことを思いつつ、高寺のほうを向く。
「なるほど、その辺を俺に探ってこいと」
「うん……面倒なお願いってのはわかるんだけど、パパ、若ちゃんとはなんか意気投合してたというか、波長合ってた感じだし」
「あれで波長合ってるってマジか」
「うちのパパ、変に迫力あるから、だいたいの人は話す前からビビっちゃうんだよね。身長185センチあるし、胸板は120センチあるし」
「それがスゴいのかどうかイマイチわかんないけど、まあスゴいんだろうな」
あの父親とふたりで会う。考えただけで面倒なミッションだが、何でも聞くと言った手前、引き受けるしかない。
「わかった。連絡してみるわ」
「うん……ホントにありがとね、いろいろ」
「気にするな」
そう告げると、高寺は小さくうなずく。
そして彼女から幸四郎氏の連絡先を聞き、俺は彼女の家を出たのだった。