117 進学すべきか2
そして下駄箱に差し掛かった頃、ちょうどタイミング良く、生活指導室のドアが15センチほど開いた。そこから顔を覗かせてくるのは、担任で生活指導担当でもある野方先生だ。なんだか後ろめたいことをしてるかのような雰囲気が漂っている。
「あ、若宮くん、ちょっとこっち来て」
「いいですけど先生、俺が来たときに偶然ドア開けること多くないですか?」
「そりゃそうだよ、だってここには監視カメ……まあ入ろうか」
周囲の生徒に聞かれてないかキョロキョロしつつ、野方先生は俺を手招きする。
そんなワケで生活指導室に入ると、野方先生は早速切り出した。
「若宮くんは高寺さんとも仲良しなんだよね?」
「ええ。まああの子の場合、クラスの大半と仲がいいイメージですけど」
「じつは彼女、今日熱出ちゃったらしく学校お休みで」
「あ、そうなんですね」
「美祐子いわく、最近いろいろオーディション受けてて忙しいらしくて」
ここ最近、高寺も早退したりすることが増えていたので、なんとなくそんな雰囲気は感じていた。現状、クラスメートたちには「父親が病気で……」「入院してて……」とか言ってごまかしているようだが、それも限界に近づいているだろう。中野と違って高寺は学校で変装とかしていないし。
そして、野方先生の話は本題に入る。
「それであれでしょ、今日ってレジスタンスの授業が多い日じゃん、うん」
「あ、たしかにそう言われると……ってレジスタンスって先生たちの間でも使われてるんですか」
一応補足しておくと、レジスタンスというのはICT教育の発達した我が高校にあって、なぜかタブレットを使わず、紙重視の授業にこだわる教師たちのこと。
彼らの信念のせいでプリント配布量が増えたり、黒板の写メることができず授業を休んだ生徒がノートを写すのに手間がかかったり、色々不便なことが多いのだが、頑なに自分たちのスタンスを変えようとしないのだ。
てっきり、生徒間での俗称だと思っていたけど違ったらしい。
「若手のなかだけだけどね……タブレットで黒板撮影すれば休んだ生徒も板書写せるのに、担任としては困るんだよね」
「でしょうね」
「それで、もし良ければプリントやら持っていってあげてくれないかなって。中野さんには頼めないし」
というワケで俺の登場、ということらしい。
○○○
そして、放課後。
野方先生の依頼通り、俺は高寺の家へと向かった。中野は5時間目が終わるタイミングで早退しており、石神井・本天沼さんは着いてくると厄介なことになりそうだったので、撒いてきた。
野方先生から聞いた段階で高寺には「大丈夫か?」とLINEを入れていたのだが、既読にこそなったものの、返信はなし。いわゆる既読無視である。
返信する余裕がないほどしんどいんだろうな……とポジティブに解釈しつつ、駅前のスーパーに向かう。プリントを届けるついでに、ポカリや簡単な食料品を買っていくことにしたのだ。ヨーグルトとか納豆とかサラダとか、調理せずに食べられるモノを買って玄関先に置いておけば、少しは役に立つだろうし。
まあ高寺の家の場合、セキュリティがあるからインターホン押して入れてもらう必要があるワケで、よくラブコメで見かける「玄関のドアノブに食料品を引っかけておく」みたいな気配りはできないのだが。
と、そんなことはさておき。
スーパーに入って買うモノを見繕っていたところ、見慣れた赤茶色の髪が視界に入ってきた。少し離れたところにいるのだが、遠目でもわかるほどフラフラしている。
「おい大丈夫かよ」
心配半分、絵に描いたようなフラフラだったので笑い半分になる俺。
しかし、右足が左足に引っかかって……
「危ないっ!!」
なんとかすんでのところで支えるのに成功した。想像以上に細くて軽いのに、触れた部分はしっかり柔らかい体にドキッとする……のだが、相手は病人だ。体勢を立て直させつつ、俺は自分を戒める。
「あ、すいませんありがとうございます……あれ?」
「大丈夫か?」
俺を見上げる高寺は、珍しくマスクをしていた。中野は変装&風邪予防の観点からマスクをつけていることも多いが、健康優良児な高寺はノーマスクのことが多い。
服装はジャージであり、近所仕様であることを踏まえてもかなりラフ。どこか焦点が合わない感じで俺を見て、数秒遅れて理解が追いついたように反応する。
「誰かと思ったら、若ちゃんじゃん」
「熱出たんだってな? 心配してたんだぞ……既読ついたのに返信ないし」
「あ、ごめん。べつに返せないほどしんどかったワケじゃないんだ。ただ、『めんどいなあ……』って」
「おいその訂正ちょっと傷つくぞ。まあいいけどさ」
「いいんだ……熱出たの10年ぶりとかなんだ。だから昨日の夜から調子悪かったんだけど熱って自分でもわかんなくて」
「10年熱出ないって、そんな人いる?」
「……あ、今、バカは風邪ひかないんだなって思ったでしょ? ふっふー、そうなんだよねー」
「この流れで喜ぶやつ初めて見たわ」
「あたしはバカだからねーゴホゴホっ」
「おい、ふざけるから……カゴ、持とうか?」
俺がそう提案すると、高寺は大人しく、ぺこりとうなずいた。
と言ってもカゴにはポカリとバニラのアイスしか入っておらず、自炊する気力や食材を選ぶ思考能力はすでに失われている様子だった。冗談を言っているのも、強がりなのかもしれない。
「無理して話す必要ないから」
「うん……」
「誰か見舞いに来てくれてるのか?」
「いないよ。だってうつしちゃうといけないもん。とくに、りんりんは……」
「あいつはまあ……親父さんは?」
「……まだこっちにいるみたいだけど、ケンカ中だし……」
そう言うと、高寺は申し訳なさそうに俺を見上げる。
いつもは元気な茶色い瞳が弱々しく揺れており、それは俺の心に伝わって、気持ちを揺るがせたのだった。
○○○
「今日、掃除してないんだけど……」
「そんなの気にしなくていいから」
ドアの前でお決まりのセリフを言う高寺に、俺はなるだけ優しく言った。
立っているのも辛そうだったので少しでもはやく部屋に入るべきだと思ったし、それにもともと高寺の部屋はキレイなので、多少掃除していなくても気にならないと思ったのだ。
しかし、そんな常識的な考えが通用しないのもまた高寺である。
「いや、あたしは気にしないんだけど、若ちゃんが気にするかもしれないじゃん」
「って気にするの俺なんだ」
「だってどうする? おパンツが31着、床に散乱してたら」
「パンツが31着……」
そんなことを冗談めいた口調で述べる。
色とりどりの下着が散乱している部屋か……。
「そうだな。一着だけだったら脱いだ直後感が出て、『見てはいけないものを見た』って背徳感も出そうだけど、31着もあれば逆にシュールだな。業者? みたいな」
「あ、興奮しないんだ? あたしの色とりどりのおパンツでも?」
「経験してないからわかんないな。てかなにこの話。高寺って毎日違うパンツ履くの? パンツサーティーワンなの?」
「いやいや、べつにダブルでは履いてないよ?」
「誰もそこは疑っちゃいねえよ……とりあえず、入ろうか」
「そうだね」
一通りの問答をして満足したのか、高寺はふにゃっと笑ってドアを開ける。下着の話をしているのに、おしとやかさに欠けるせいか、彼女生来のアホっぽさのせいか、不思議と色気はない。そこが心地よくもあるのだから不思議だ。
淡々と毎日更新してる本作なんですが、ここ何日かポイント入れて下さってる方がいるみたいで嬉しいです!