115 上荻陽向と哲学堂依比古2
それから15分後。
駅員室で書類を書き終えた俺たちは、駅高架下にあるタリーズコーヒーで座っていた。高寺に連絡したところ、彼女が急遽合流することになり、待っているのだ。
なお、ヒナタさんの漢字は陽向。上荻陽向だ。そう、机に置いてあるスマホが表示している、アイアムプロモーションのHPに書いてある。
宣材写真の陽向さんはとてもいい笑顔を浮かべていて、ちょっとしたアイドルなんかよりもよっぽどイケメンだが、目の前に居る彼はひどく落ち込んでいた。悲しみを引きずるタイプなのかもしれない。
「声優にとってお金ってすごく大事なんですよ」
席に座ると、程なくしてそんなふうに話し始めた。
「知ってます。中野からもよく聞くので」
「中野さん?」
「鷺ノ宮さんのことです。鷺ノ宮ひより」
「あ、本名、中野なんだ。それで、たしか高寺ちゃんは彼女と同じクラスで……ってことは君は鷺ノ宮さんともクラスメートなんだ」
コクンとうなずく。ゆえに、お金方面の話はたくさん聞いている。
「声優ってスタジオとか事務所に行く交通費も自腹なんだけど、それが結構地味にキツくて、毎回1000円ずつチャージしてたんだよね。でも収録に遅れそうになってるときに限って残高不足になるし、先輩と一緒のときに限って改札引っかかるし」
「あ、ちょっと恥ずかしいですよねそれ」
「恥ずかしいというか、申し訳ないかな自分の場合は。待たせちゃうから」
「なるほど、結構気を遣う感じなんですね」
「そういう性格なんだよね。トロい印象与えていいことはあんまりないし、それに悪い噂ってすぐ広まるし」
果たして改札を通過できずに待たせることが悪いことなのかはさておき、陽向さんの発言はいまいちピンとこなかった。きっと、高寺みたいなゼロ距離射撃の子と接しているせいだ。
でも、高寺の場合、フレンドリーすぎるとは言え。礼儀がなってないワケではないし、本人のキャラクラーのおかげで、多少失礼しても許されそうな気もする。実際、中野はそのパターンだろう。
「自分まだ高校生なんでよくわからないですけど、やっぱり仕事の場では空気とか読んだりするんですかね」
すると、陽向さんの表情が変わる。
「読む、ってのはちょっと違うね。空気は読んでたら遅くて予知していくものなんだ」
「予知?」
「そう予知」
「すいません、意味がよく」
「たとえば現場にイジられキャラがいなさそうなときは、あえて変なTシャツを着ていってイジりやすいようにしたりとか。女性の多い場所とか」
「なるほど、イジられキャラを買って出るんですね」
「逆にイジられキャラとして有名な先輩がいれば、邪魔しないように白シャツでいく。存在感を出しすぎず盛り上げ役に徹するんだ」
「事前に、そこがどんな空気になりそうか、ある程度察知していくと」
「そういうこと。白シャツは黒子の証なんだ」
「そこまで考えるものなんですね」
陽向さんは嬉しそうにうなずく。
周囲に気を遣うタイプと言うが、本人が気を遣っていると思っているだけで、実際誰もそんなこと気にしてない、と思われがちなタイプなのかもしれない。
「他にはあえて年上の人が好きそうな趣味を覚えておくとか。現場でその話になったら盛り上がるし、外でも呼んでもらえたりするから」
「どういうのやるんです?」
「麻雀、ネトゲ、サバゲー、ボルダリング、野球、サッカー、フットサル、剣道、バスケ、バトミントン……くらいかな?」
「くらいってレベルじゃなくないですか」
職場の人と仲良くするためには、そんなに努力しないといけないのか……俺は思わず唖然とするが、しかし、彼にとってはごくごく自然という感じらしい。
「ちなみにこれから卓球始める予定」
「大変そうですね……」
「大変だね。常に金欠、バイト三昧。だから2万円は痛すぎる……」
という感じで、元の話に戻った。
2万円を失ったことを思い出した陽向さんは頭を抱え、小さな声で呻いている。
一見、かわいい系のイケメンな陽向さんだが、よくよく見ると両眉の内側が微妙に釣り上がっており、なるほど、神経質かつ心配性な一面がにじみ出ているなと思う。
と、そこでカフェの入り口に視線を送ると、ちょうど高寺が入ってきた。手を上げ、軽く振る。
「こっちこっち」
俺に気付くと、高寺が笑顔で近づいてくる……が、机に突っ伏した陽向さんを見てすぐに怪訝な表情になった。
「え、陽向さん泣いてる?」
「まあ色々あって」
「若ちゃんもしかして泣かしたの?」
「なんでだよ」
「泣かされてないよ。というか泣いてないから……高寺ちゃん、まあ座ってよ」
「あ、はい」
陽向さんにそう言われ、高寺はイスに座る。幸四郎さんとあんなことがあった後なので、凹んでたり落ち込んでいたらどうしようかと思っていたけど、いつもの明るさを取り戻していた。
そして、俺と目が合うと無意味にニコッと笑う。黒のビッグTシャツにダボッとしたベージュのハーフパンツという組み合わせだが、Tシャツの下にレースっぽい襟のブラウスを着込んでおり、絶妙なかわいさに仕上がっていた。足元はいつも通りスニーカー&ソックスのチラ見せ。
「えっと、今日ってどういう要件なんだっけ?」
そして、陽向さんが切り出したことで、高寺が彼に声優講座の説明を行ない、俺がそれを側で見守る……そんな時間が始まった。
○○○
「なるほど、そういう感じなんだね」
すべての説明を終えると、陽向さんが納得したようにうなずく。
「僕としては全然いい、というか誘ってくれて嬉しいな」
「じゃ、受けてくれるんですか?」
「もちろん。正直、鷺ノ宮さんとはあんまり話したことないけど楽しそうだし」
「あ、良かった。りんりんにはもう『陽向さんどう?』って伝えてあるんで、OKだったって言っておきますね。あ、ちなみにギャラも出るらしいです」
「差し支えなければ、いくらか教えていただけると……」
「2万円って言ってました」
「2万! うわなくしたのと同じ金額だ……まあこの仕事もたなぼたみたいなところあるし、うん仕方ない気持ち切り替えていくか……」
そう言いつつ、2万円という言葉で何者かにPASMOを勝手に使われたことを思い出した陽向さんが、へタッとテーブルに突っ伏した。先輩には気を遣う彼だが、後輩やその友人には結構気が抜けてしまうようだ。
そんなこんなで商談は簡単に成立。
少しばかり緊張した面持ちだった高寺がふうと息を吐くと、思い出したように言う。
「そうだ、陽向さんに聞きたいことあるんですけど」
「なにかな」
「陽向さんって大学生ですよね? その、どうして大学行こうと思ったかなって。高校生のときにはアイアムに所属してて、声優一本でやってく可能性もあったのに」
「そうだな……一言で言うと、友達が欲しかったのかもしれない」
「友達、ですか」
予想外の言葉に、俺は思わず聞き返す。俺にとっては、友達というのは正直、大学に行くに足る理由ではないと感じられたからだ。べつに友達という存在を否定するつもりはないし、副次的に手に入る分は甘んじて受け入れればいいとも思うけど、でも第一目的になるというのは……。
だが、陽向さんは比較的真面目な口調でこう続ける。
「僕は山梨県の出身なんだけどさ。河口湖のほとりののどかな町で、景色とかキレイだし人もいいんだけど、文化度が低かったんだよね。好きな作家の名前を言っても誰も知らないし、ライブに行く文化とかもない。まあライブハウスがないから当然なんだけど……それで、東京に出たらそういう趣味の合う友達ができるかなって」
「わかりますけど、でもそれって声優業界に入った時点で叶ってたんじゃないですか?」
「たしかに。高2でオーディション受かって、養成所通い始めたんですよね?」
俺の疑問に、高寺が同調する。
それに対し、陽向さんは「うーん」と考える仕草を見せつつ、こう続ける。
「それもそうなんだけど。でも、同業者ってなんか純粋な友達って感じでもないんだよね。結局役を争うライバル関係だし……そう考えると、俺は趣味の合う、競ったりしない友達がほしかったのかも。高寺ちゃんにはあんま参考になんないよね、ごめん」
「いや、そういうワケじゃないですけど」
そう言いつつ、高寺は少し困った笑顔を見せていた。
でも、仕方ないだろう。社交的な彼女はきっと友達に困ったことはないだろうし、陽向さんみたいに趣味の合う友達を求めたって経験もなさそうだから。
と、そこで陽向さんがポンと手を叩く。
「あ、そうだ! 今のゼミに入りたかったんだ俺。てかそれが結構一番だったかも」
「ゼミですか?」
「そう、文学部なんだけど、知ってるかな。哲学堂依比古って知ってる?」
「え、哲学堂先生のゼミなんですか!」
思わず大きな声が出てしまった。周囲の人がこちらを見ている……ので静かに座る。と、高寺がこっちを見ていた。
「なに若ちゃん知ってるの?」
「知ってるもなにも、有名な小説家だよ。もともと出版社の編集者で、そこからフリーランスのライターになって小説家になって、今は大学で教授もしてる、すごい人なんだ」
「わ、完璧な解説だ。若宮くん、先生のファンなの?」
「……いや、ファンって言えるほどでは。全作品読んでるワケじゃないですし……それに最近の何作かはまだ読めてないし、サイン会とかも行ったことないし……」
「ん、なんか急に弱気になった? てかなんで言い訳風?」
「陽向さん、若ちゃんはオタクコンプレックスなんです。十分オタクなのに、オタクになりきれないって勝手に思ってて」
「へえ……」
高寺がからかうような呆れるような口調で言い、陽向さんが困惑を隠さずに反応しているが、俺としては実際そう感じているのだからそうなのだ。いくら哲学堂が多作の作家だとはいえ、全著作の5~6割しか読んでいないというのは正直、ファンと呼べるレベルではないだろう。
しかし、陽向さんはと言うと。
「じゃ、今度うちに遊びに来るかい?」
「え……それってもしかして」
「そう。哲学堂先生、紹介してあげるよ」
そう言って、ニコリと微笑んだ。




