110 出来心と円の台本3
そこに書かれている諸要素を見るかぎり、全部を頭に入れればどんなシーンなのかが、シーンが繋がることでどんなストーリーになるのかわかるはずなのだが、すっと浮かんでこないのだ。頭のなかで再構成できないというか……。
小説じゃなく、マンガだともっとこの違和感を伝えやすいかもしれない。絵がない状態で、シーンやキャラの動きの説明が中段に書いてあって、下段にセリフが書いてあって、それを脳内でアニメーションにすることができるのか……みたいな。
だが、浮かんでこないのは映像だけではなかった。そこに書かれたセリフからも、脳内では音声が浮かんでこなかったのだ。
実際、どんなふうに演技するのかとか、そういう細かいことまでは台本には書かれていないので、想像して膨らませるしかない……のだが、シーンの前後関係や、キャラのそれまでの発言からどんなふうに演じるべきか考えてみても、俺の脳内に演技プラン的なモノが浮かぶことはなかった。というかわかるワケないだろこんなの。
だって、「わかった」という一言のセリフでも、ニュアンスは色々あるに違いないからだ。前向きな「わかった」なのかもしれないし、不承不承な「わかった」なのかもしれないし、了承したように見せかけて実際は無視することを決めている「わかった」なのかもしれない。それにより、声の出し方や口調は大きく変わるだろう。
(声優って、じつはめっちゃスゴいのかもな……)
急に、そんな気持ちが浮かんでくる。
これまで俺は中野に対し、少なくないリスペクトの念を持ってきたつもりだったが、それはあくまで「社会人」としてのモノで、「声優」としてのモノではなかったと思う。日頃から色々なマンガ、ラノベに触れ準備を重ね、オーディションに臨んでいる姿から、プロフェッショナルさを感じてはいたものの、なんというかクリエイティブな面については見えていなかったのだ。
そう思うと、今や身近な存在になっている中野が、急に遠くの世界にいるように思えてきて……。
いや。
やめよう、そんなふうに考えるのは。
彼女はあくまで例外だし、俺みたいな普通の人間が張り合って意味があるワケじゃない。 うん、そうだ。そうに違いない。
……。
話を台本に戻そう。
ここまでが台本そのものの説明だった。が、ここからは「高寺が使ったからこその」台本の説明になる。
最初に目に付く特徴は、その書き込みの多さだった。上段のシーン番号のところに「4:14」のように時間が書き込まれており、あるキャラクターのところだけセリフ全体がピンク色の蛍光マーカーで塗られていた。きっと、これが高寺の演じている役なのだろう。で、そのセリフを区切るように、赤のボールペンで斜め線がいくつも入っている。はっきりとはわからないが、場所的におそらく息継ぎのタイミングだろうか。
また、セリフはところどころ黒く鉛筆で塗りつぶされている。これはあれだろうか。現場で急遽セリフがなくなった、一部分が消されて短くなったとかそういう感じだろうか。
さらに、セリフの横には赤ボールペンで色んな書き込みがなされていた。「せつなさ」とか「情けなさ」など、キャラのセリフをさりげなく補完するモノが多い。特定の単語を丸で囲んでいるところもあり、強調して発音するのだと推測された。
台本上方の余白部分には、高寺が演じているらしいキャラクターに関する、詳細な情報が記されていた。名前、生年月日、性格、主人公との関係、趣味、好きな科目、好きな食べ物、苦手なこと……などなど、様々な情報が記されている。
そして、俺が驚いたのは、そこに「感情の流れ」が書き込まれていたことだった。高寺演じるサブヒロインの女の子が主人公と出会ってから、どのように感情が変化し、やがて彼のことを好きになっていくのか……そういうことが、詳細に書き込まれていたのだ。
この原作のラノベは俺も一応読んでいるが、たしかこのキャラは、登場シーンそのものはそこまで多くないはず。基本的に主人公の男の子の一人称で進む物語なので、彼女の視点で描写されたこともないはずだ。
(なのに、ここまで細かく想像して……)
正直、俺はびっくりしていた。
高寺がここまで地道に努力するタイプだと思っていなかったというのもあるし、キャラの感情の流れを想像し、ここまで膨らませられると考えていなかったのだ。もちろん、監督らスタッフ陣の指導もあったに違いないが、だとしても驚くべき書き込み量だった。
と同時に。
高寺の知らなかった一面に驚くのと同時に、俺の胸のなかにはなんとも言えない違和感が鎮座していた。いや、違和感と言うべきか、既視感と言うべきか……なんとなく、どこかでこのような状況に遭遇したような気持ちになったのだ。
もしくは。
状況ではないとすると、高寺のこの文字……赤いボールペンで書かれた、女の子にしては勢いのある、走り書き感の強い……
と、そんなふうに高寺の台本とにらめっこしていたところ。
『プルルルルル!!』
突如音が鳴り、俺はひえっと小さく悲鳴を漏らす。インターホンが鳴っていた。
「あ、もうそんな時間が経ったか」
俺は台本を置くのも忘れたまま、慌ててインターホンのところへ。
画面を覗き込むが、そこで台本がするっと手から滑り落ち、その角が足の甲にクリティカルヒットする。
「いでっ!!!」
思わず叫びながらおっとっととふらつくと、偶然にも壁に向けて出した手が「開錠」のボタンを押す。モニターに写っていた人影が、画面の外に消えていくのがわかる。
まあでも、どうせ中野か高寺か、そのどちらかだろう。ここを尋ねてくる人なんかいるワケないし……。
そんなことを思いつつ、俺は台本を机のうえに置いた。程なくして、部屋のドアが開く音が聞こえてくる。
「お帰り……いや俺が言うのは変か」
そんなことを言いながら、ドアへと向かう。
飲み物を買ってくるため、重いのではと思ったのだ。
「悪いな買い物任せて。まあでも、今日は俺が一番仕事するしべつにいいよな……って、あれ」
足下をみると、そこにコンビニの袋はなかった。黒い革靴に、黒い靴下が目に入る。視線を少しずつ上げていくと、高級感ただようスーツが見え、顔に達すると……それはさっきまで一緒にいた、堅物顔のオッサンだった。
○○○
「あれ、ど、どうしてここに?」
「それは私のセリフです。どうしてあなたが、ここにいるんですか」
もともと深い眉間の皺をさらに深くしてオッサンが述べると、なにかに気づいたようにハッとした顔に変わる。
「もしかして……君は泥棒か?」
「いえ、そんなワケ」
「泥棒じゃないとすると……なにも盗まず、ただ家に侵入するのが趣味な男か?」
「いやそんな人いないでしょ」
なんの利益もなく、ただ侵入することが目的なやつがいたら、それはある意味泥棒以上にこわいと思う。なにをしたいのかがわからない分。
そんな意味不明な問答をしたのち、オッサンは俺につかみかかる。瞬時に反応して組む形になったが、結構な年齢のはずなのになかなか力が強い。
「だから誤解なんですって!」
「誤解だと?」
「そうです!」
「ここの家主は女子高生だろう? そこにたったひとりでいてなにが誤解だ!」
「てか、なんでそっちこそ家主が女子高生だって知ってるんです!!」
「そんなの決まってるだろっ! 私はな、この家の……」
「ちょ、ちょっと! なにしてんのっ!!?」
驚いた表情で高寺が入ってきて、俺たちの間に入り、ふたりを引き離した。
「高寺、なんかこのオッサンが急に入ってきて」
「ああん、オッサンだとっ!? ……まあ、オッサンはオッサンか」
「いや認めるのかよ」
「勝手に家にいたのは君のほうだろう」
反射的に声を荒げつつも、すぐにオッサン呼びを受け入れたオッサンに、俺は当然ながら困惑。ゆえに、
「高寺、誰なんだよこの人」
と言ったワケだが、すぐに語気を弱めた。高寺がとてもバツの悪い顔をしていたからだ。 そして、彼女は小さくため息をつくと、
「わかったから……若ちゃん、紹介するね。この人、あたしのパパなんだ」
「……パパ?」
「そうだ、私がパパだ」
思わず首をかしげた俺に、パパこと堅物顔のオッサンは、その分厚い胸を張ってそう言ったのだった。




