108 出来心と円の台本1
これまで自分のことを散々「話しかけ見知り」と称してきた俺だが、不思議なことに、話しかけるのにあまり抵抗を感じない相手もいる。簡単に言うと「今後仲良くなる可能性がない人」。つまり、たまたま電車で隣の席になったおばあさんとか、街頭アンケートで話しかけてきた人とか、そういう人たちだ。
クラスの人相手だと、会話が後々の関係性に影響を及ぼす可能性があるので、どんな話をすべきか、どんなことを言うべきか、言わないべきか……などと言ったことをあれこれ考えてしまう。
だが、道ばたですれ違っただけの人にはそれがない。どう思われるかを考える必要がないので普通に話せるし、話しかけることもできるし、なんならいつもより全然にこやかに、フレンドリーに接することができる。
つまるところ、親しくなりたいからフレンドリーに接するのではなく、親しくならないことがわかっているからこそのフレンドリ-ということ。コミュ障と言うと「一切他者と喋れない」みたいなのをイメージする人も少なくないと思うけど、現実にはコミュ障にもいろんな種類があり、俺みたに自意識をこじらせた人間もいる。
さて、前置きが長くなったが、そんな俺の性格の一面が浮き彫りになる出会いがあった。 出会いと言っても、美少女が空から降ってくるとか隣室に引っ越してくるとか、そんなラブコメな展開ではない。出会う場所は普通に街中だったし、相手はオッサンだった。
○○○
その日、俺は待ちあわせまで少し時間が余っていたので、TSUTAYAを訪れていた。
このお話ではどうしてもラノベ、マンガについて触れることが多いが、なにげに一番長く接しているのは映画だ。
もともとオヤジが映画好きだったのもあり(今思うと、オヤジが大学で演劇サークルにいたというのも納得だ)、溝の口や三軒茶屋のTSUTAYAに幼少期から通い、さまざまな作品をレンタルしてきた。
今思えば当時の俺はとても無邪気だった。まだ観たこと作品が棚にたくさん並んでいるのを見て「ぜんぶみるぞ!」って気持ちになってたし、「知らない作品の数=まだ見ぬ楽しさの数」だった。知らないというのは、当時の俺にとって可能性そのものだったのだ。
しかしある頃から、TSUTAYAに足を運ぶたびに、自分の矮小さを感じるようになった。いくら観ても観ても知らない作品はちっとも減らない。評価の定まっていない新作ならまだしも、名作や古典も触れていないモノばかり。無機質なDVDの山が「お前はほんとに無学だな」と訴えかけているような気にさえなった。
俺の場合はTSUTAYAだったが、大きな書店とかで似た感情を抱いたことがある人は、少なくないんじゃないかと思う。
そんな感じで、一時期、TSUTAYAに足を運ぶ頻度が減っていたが、最近はまた増えてきている。NetflixとかAmazonPrimeで観られない作品って意外と多いし、そうなると店に足を運ぶのが一番なのだ。
……とか言いつつ、トラウマが少しずつ薄れている、というのが一番なのかもだけど。去年の今頃は可容ちゃん事件で負った心の傷が癒えていなかったので、膨大な数の作品が同時に視界に入ってくるのが怖かったのだ。
と、そんなことを考えつつDVDを何作かレンタルし、土産物を買うつもりでマルイのフードコートに入っている、ミスドに向かっていたところ、ひとりの男性が辺りをキョロキョロ見ているのに気付く。
スーツを着た50代中盤くらいの男性で、白髪の混じった髪をポマードで七三に分けていた。眉間には深いシワが刻まれていて、ウェリントンタイプのメガネの奥にある眼光は鋭い。
そして、手に一枚の白い紙を持っていた。光で透けているのを見ると、地図のようなものだろうか。
「困った。土地勘がなさすぎて全然わからん……勝手に引っ越しよって」
渋い声で、白髪のオッサンがつぶやく。俺が反射的に声をかけたのは、その1秒後くらいだった。
「あの、待ち合わせかなにかでしょうか?」
「ん?」
「あ、すいませんこっちです」
俺が立ち上がると、男性は目を軽く見張った。
「ああ、そんなところに」
立ち上がってみると、彼は俺よりも背が高かった。もうそれなりの年のはずだが、胸板はかなり厚く、スーツを着ていても筋肉質なのが伝わる。
「すみません、斜め下から話しかけて」
「いや大丈夫です。少しびっくりしただけですから」
「待ち合わせですか?」
俺が聞くと、彼はメガネをクイッと持ち上げる。
「じつは親族がこちらでひとり暮らししておりまして、それに会いに来たのです。こちらのマンションなんですが、恥ずかしながら、まだ行ったことがなく」
そう言うと、彼は俺に地図が印刷された紙を差し出した。
「ドンキの横だから……あ、俺わかります」
「本当ですか?」
白髪のオッサンは眉を少し持ち上げると、その鋭い瞳に期待の色をにじませた。
○○○
そういうワケで、俺と白髪のオッサンはマンションへと向かった。
と言っても、さっき彼が座っていたところから、目的の場所は歩いて2分程度である。
「すみませんね、わざわざ案内してもらって」
「いえいえ。どうせ暇だったので」
「そうですか。暇で助かりました」
オッサンがニコリと微笑むので、俺の微笑みを返す。
道案内する側とされる側だけの関係性なので、会話が盛り上がっているかを考える必要もないし、相手の気持ちを考える必要もないので楽だ。どうでもいい相手だからこそ、優しく接することができるというかさ。
「それに自分、『今自分、困ってるんです』って顔に書いてある人を見かけたら、手伝うようにしてるんです」
「なるほど、今自分困ってるんです、ですか……」
すると、白髪のオッサンが眉間に刻まれたシワを深くする。
「私、そんなこと顔に書いてありましたか?」
「えっ?」
「べつにマジックで顔に書いた覚えはないのですが……」
至極真面目そうな表情で返すので、俺は返答に困る。
(もしかしてこの人、冗談が通じないタイプなのかな? それとも、冗談として理解したうえで、真顔でボケているのかな……?)
前者ならあまり関わりたくないし、もし後者なら……そこまで踏み込んだ笑いを初対面から仕掛けてきてるワケだから、運が良くて変な人、運が悪くて危ない人……というふうに考えられる。うむ、よりいっそう関わりたくない。
(よし、ここは愛想笑いで、それっぽい返事で流すか……)
そんなふうに結論づけ、俺はなるだけ自然にニッコリ微笑む。
「困ってる人を助けると、いつか自分にもその恩が戻ってくる気がするんですよ」
「最近の若者には珍しい、殊勝な心がけですね」
「いえいえ……この辺りは初めてですか?」
「お恥ずかしながら……仕事が忙しく、なかなか足を運ぶことができなくて」
「わかります。自分の父親も単身赴任で大阪にいるんですが、会えるのは三ヶ月に一回とかなんで」
そんなふうにとくに盛り上がりもない、初対面ならではの会話を繰り広げていると、目的のマンションの前にたどり着いた。
「あっ……」
そして、俺は思わず息を漏らす。
奇遇にも、そこは高寺の住むマンションだったのだ。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ。ただ友人がここに住んでるので」
「ほう。それは奇遇ですな」
するとそのとき、着信音が聞こえてくる。オッサンがスーツの胸ポケットに手を差し込むと、スマホが鳴っていた。
「すみません、仕事の電話のようで」
「あ、はい」
「一旦片付けてから、また戻ってきます」
そう言うと、オッサンはその分厚い体を折り曲げ、俺に一礼し、足早に駅へと戻っていった。