107 ひよりの進路2
「はー……なんで俺、地味に凹んでるんだろ」
中野の姿が完全に見えなくなったあと。
俺は頭を掻きながら、思わず自問自答した。
いくらうちの高校がそこそこ進学校で、ほぼ100%の生徒が大学に進学するからと言って、世の中的に見れば大学に行かない人なんて山ほどいる。声優としてすでに活躍している中野なら、なおさら行く必要なんかないだろう。
(でも、目標が高校卒業だったってのはな……)
だが、自分に言い聞かせるなかで、すぐに反対方向へ気持ちが転ぶ。
勝手に期待して勝手にがっかりするなんて、我ながら恥ずかしい限りだが。
しかも、いつの間にか同じ目標に向かって歩いている気になっていたなんて、それもまた恥ずかしい限りなのだが。
「でも、大学に行かないってマジかあ……」
落胆は、自然とそんな言葉になって、口からこぼれる。
「ええっ!? 若ちゃんって大学行かないのっ!?」
と、後ろから声が聞こえてきた。
立ち上がり、振り返ると……そこにいたのは高寺だった。衝撃を受けた表情で、口をあんぐり開いている。しまった、聞かれてはいけない相手に聞かれてしまった。
「いや、俺が行かないんじゃなく……あっ」
「うぬ、若ちゃんの話じゃないとすると……え、もしかして」
「……」
そして、気付けば高寺の後ろには本天沼さんと、石神井の姿があった。聞かれてはいけない相手、他にもふたりいた。
「誰が大学に行かないって話をしているの?」
「いや、大学なんて言ったかな俺? 空耳じゃない?」
「若宮に友達は限られてるから……」
「若ちゃん、どういうことか聞かせてもらうよっ!」
「若宮くん、このあと時間あるかな? あるよね?」
「若宮、逃げたら家まで追うぞ? 俺は本気だからな……」
「え、えーっと……」
後悔の音を漏らすが、時すでに遅し。
高寺、本天沼さん、石神井は、三者三様の表情で、俺の顔をのぞき込んでいた。
○○○
「えーっ、りんりん大学行かないってホント!?」
大きな声で、高寺が驚きの声をあげる。彼女の隣には石神井と本天沼さんが、俺の話を興味深そうに見守っていた。
というワケで俺たちは駅前、マルイ1階にあるフードコートにやってきていた。俺としては、3人になかば連行された形だ。拉致とか連行とか、最近俺って人権ないな……。
そして、大学に行かないのが中野だということに、3人が気づくのも時間の問題だった。というか、最初の段階で気づいていた様子。まあ、俺が親しくしてる人なんかごく少数だしな……。
「なるほど、中野さん大学行かないんだ」
軽く飛び上がりながら驚いた高寺に対し、本天沼さんは静かにつぶやく。薄曇りの空のような色合いの髪を、落ち着いた様子で流している。
「あんまり驚いていないようだけど」
「あ、えっと……私はニュースのインタビューで読んだから。中野さん、大学の行くかどうか迷ってる、って」
そう言うと、本天沼さんはスマホの画面を俺に見せる。そこには、前にも一度見せられた「ガリレオニュース」というサイトが写っており、たしかに中野が大学に行こうか悩んでいるということが書かれていた。
――――――――――――――
――わかりました(笑) 今、ちょうど進路を考えられる時期かと思うんですけど今後、大学に進むかお仕事一本でいくかは決めてますか?
鷺ノ宮:ファンの方から聞かれることもあるんですけど……正直、まだ悩み中ですね。うちは姉、私、妹の三姉妹なんですけど、姉が今、大学生で、見てる限り仕事しながら行くのは大変そうだなって思うんですよ。学費もかかりますしね。そう考えると、私より妹が大学に行ったほうがいいんじゃないかって思ったりもします。私より、妹のほうが勉強も好きみたいですし。
――――――――――――――
「なるほど。中野が知ったら嫌がりそうだな」
「嫌がるって……なにに?」
「本天沼さんの、その飽くなき探究心に」
「全然そんなことないと思うけど……まあたしかに雑誌とかは全部チェックしたけど、肝心のアニメはまだ出演作の半分くらいしか観られてない、し……」
「この短期間で半分ってヤバくない? あたしももっと色々観ないとなー」
「いや高寺、本天沼さんはちょっと特殊というか……」
高寺が変に感心してしまっている様子なので、一応ツッコミを入れる……が、正直なところ、もうひとつの新情報に驚きを隠せないでいた。
「てかさ」
「うん」
「あいつ、姉と妹がいるのんだな……」
「……え、若ちゃん、それも今知ったの?」
「えっと、それ常識なの?」
「インタビューでちょいちょい話してるからね」
「インタビュー……高寺は本人から聞いたのか?」
「んー。まあ、事務所の人だけど」
歯切れが悪くなりながら答える高寺に、俺はこう言い返す。
「やっぱそうなんじゃないか。俺は事務所の関係者じゃないんだし、本人から言ってこなければ知るはずないだろ」
「え、いや兄弟とか姉妹いるかってそこ関係ないような……」
「……」
そう言われると、たしかにそうだなと思う。
高寺は呆れたように俺を見ていた。本天沼さんも同意を示すかのように、こちらに驚きに満ちた視線を送ってきている。温かい目で見ているのは石神井だけだ。
中野が自分のことを詳細に話すタイプじゃないとしても、普通の人なら仲良くなれば、兄弟姉妹の有無は聞きそうである。
「……ちなみにみんな兄や弟、姉や妹の存在は?」
「いや今聞くんかいっ! 流れ的に最悪っ!!」
「若宮くんってやっぱり変わってるよね」
「ま、仕方ないさ。若宮はまだ人間社会に慣れてないからな」
そして、想定通り叱られた。三者三様、言い方は違うが、共通してやんわり叱ってることだけはわかる。
心を軽く病み、人間よりもコンテンツにばかり目が向いていた中学時代に比べれば、今は外向的になり、他者に対しても興味を持てるようになったと思っていたが、まだまだだったようだ。
「あたしは一人っ子」
「私も同じ」
「我が家は妹のほかに兄もいるぞ」
「え、そうなんだ。なにげ初耳」
「そう言えば私、中学の頃からの付き合いだったのに石神井くんに兄弟いるのか聞いたことなかったな……興味そそられなかったんだ」
「おい、そこのふたり矛盾してないか……?」
そう尋ねた瞬間、高寺と本天沼さんがあからさまに視線を逸らした。
……ったく、なんてご都合主義な子たちなんだ。そして矛盾を追及したせいで、石神井に兄がいたって新事実を流してしまったじゃないか。
と、そんなふうに俺が内心ちょっぴりプンスカしていると。
「中野さんもさ、言いにくかったんじゃないかな」
本天沼さんが、つぶやくように言う。
「若宮くん、すごく熱心に勉強教えてくれてたでしょ? だから、大学には行かないって言い出しにくかったんじゃないかなって」
「……」
それがもし本当だったなら。
(そんなふうに考えなくても良かったのに……)
俺は胸のなかでそう思う。
だが、中野の変に義理堅い性格や、人の仕事に対して正当に評価しようとする姿勢を考えると、そう思うのも自然なことのようにも思えた。
そして、俺たちはこの日。
中野の大学進学問題については自分たちから触れないことで合意し、解散したのだった。