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100 乞うか講師か3

 そして自転車に乗り、俺はファミレスへと向かう。場所は中間テスト対決の原因となった、遭遇事件が起きたあのファミレスである。高津駅の近くなので、我が家から自転車で5分ほどだ。


 約束の時間には余裕があったので、途中からゆっくりこいでいると、ファミレスの近くの交差点で、中野が信号待ちしているのに気付く。


 学校からそれなりに離れているせいか、すでに三つ編みはほどき、黒縁メガネもかけていない。襟なしのシンプルな白のシャツに、黒に近い紺色のスカートを合わせ、スカーフをベルト代わりにしていた。


 いつも通りシンプルな出で立ちだが、スカーフがいい具合にアクセントになっており、ファッション雑誌から飛び出してきたかのような華やかさ。普通にしている彼女はやはり美人で、見つけたとき、「中野がいる」じゃなく「あっ、美人がいる」と思ってしまったほどだった。


 とはいえ、放課後にする格好じゃない、とも思うのだけど。


 高校生なんて基本制服だし、休日でも私服選ぶの面倒で制服着ることもあるし、中学時代のジャージとか普通に着るもんな。俺は着ないけどさ。


 自転車をおり、後ろから近づいていくと、彼女が振り向く。その手には古文の単語帳が持たれていた。振り向かれたので、話しかけることにする。


「よう」

「悪いわね。放課後に集まってもらって」


 声をかけると、悪いと思ってなさそうないつもの表情で、中野が返す。この感じも、もはや慣れたものだ。


「いいよ気にするな。どうせ俺みたいな普通の高校生、放課後なんか買い物とか料理とか掃除とか風呂掃除とか勉強とか、その程度のことしかやることないから」

「あら、わかりやすい皮肉ね。それとも挑発? なのかしら?」

「冗談だよ。そりゃこれがテスト直前なら考えるけど、そうじゃないから」

「そう……そう言ってもらえると安心するわ」


 その声に、ほんの少しだけ不安が顔を出した気がした。申し訳なさそうなのは顔だけで、本当は気を遣っていて、声には出ているのかもしれない。


 気を遣わせないよう、話を振ってみることにする。


「で、どんな講座を考えてるんだ?」

「あら、もうその話?」

「だってそういう話だろ今日は。どんなこと子供たちに教えるのかなって」

「そうね……やっぱり、まずは声優のギャラ事情かしら。本気で目指すなら知っておかないといけないことだし、オーディションでの自分の見せ方、現場での振る舞い方、それにお礼メールの書き方も……」

「待て待て。ちょっと待て」


 早口でまくし立てる中野を、俺は慌てて制止。


 しかし、中野はまだ途中なのに……という不満げな顔で俺を見る。


「マジか」

「マジかってなに? 私の発言に、なにかおかしいところでも?」

「いや、むしろおかしいとこしかなかっただろ」

「キョトン……」

「擬音を口に出して言うな」


 もちろん、顔もキョトンとしているので、中野は今、二重でキョトンとしている。


 対応だけで言えば正直腹が立つ感じなのだが、いかんせん元の顔が整っているので完全に腹立つと思えない。それがまた腹立たしい。煽り方の練度高すぎないですかね、この子……。


 首をかしげたままの彼女にそんなことを思いつつ、俺は話を戻す。


「あのな、相手は小学生だろ? 小学生相手にギャラ事情教えて喜ぶと思うか?」

「私の知っている小学生は結構喜びそうなのだけれど」

「どんな小学生だよそれ」

「いわゆる友は類を呼ぶってやつね」

「類は友を呼ぶな」

「ごめんなさい冗談よ。さすがにおふざけが過ぎたわ」

「普通に言い間違いしたのを隠すために冗談って言ったな今?」

「違うわ本当に冗談よ。だからここからが本題。冗談はこれからよ」

「本題に入ってまた冗談なのかよ一体どこの吉本新喜劇だ……ってのはさておき。もしかして、なんかあった?」

「え、どうして?」


 俺が尋ねると、中野がキョトンとこちらを見上げる。先程の作り上げた煽りキョトン顔と違い、素でキョトンとしているのがわかる表情で……俺は不覚にもかわいいと思ってしまった。我ながら誠に遺憾だが、如何ともしがたい、抗えぬかわいさだ。


 照れてしまう前にと目を逸らしつつ、俺は返答する。


「いや、なんかいつも以上にふざけが過ぎてるから」


 すると、中野はふっと小さく息を吐いた。チラッと横目で見ると、苦笑にも似た笑みが浮かんでいた。


「若宮くんって、意外と勘がいいほうなのね。そんなにこじらせてるのに」

「こじらせと勘の良さがどう関係あるんだよ……え、俺ってこじらせてる?」

「じつはね、この間受けたオーディション落ちちゃって」

「あ……あの、パン屋で聞いたやつか?」

「そう、初めて遭遇したときの」


 中野はコクンとうなずく。


 炊飯器が壊れたある日の朝、俺は絵里子と駅近くにあるパン屋に行った。そこで中野と偶然遭遇し、絵里子が逃亡……というのは今は関係ない話だが、オーディションを受けに行くことを俺は教えてもらった。


 そのパン屋で食事をするのは彼女なりの勝利のジンクスで、サンドイッチを挟まない状態で注文するという厄介客をしていたのを記憶しているが、なるほど、ダメだったのか。


「お世話になってる監督さんだから、今後なにかの役で呼んでもらえることもあると思うけど。風の谷の噂だと、ももたそが選ばれたらしくて」

「風の谷の噂じゃなく風の噂な。風の谷の噂ならナウシカが広げてるみたいだから……ってのは良くて。ももたそって、あの声優さんだよな。最近、中野がよく競うっていう」

「そう……落ちるのなんか、もう慣れきってるつもりだったんだけど。やりたい役だったからショックでさ」

「そっか」

「それに、あんまりいいイメージがないスタジオだったから、ちょっと弱気になった部分があったのかも。小学生の頃、30回リテイクを経験したことがあって。30回やり直したってことなんだけど」

「それは……辛いな」

「最初はみんな温かい目で見守ってくれてるんだけど、リテイク重なるうちに共演者の皆さんの目がだんだん怖くなって、スタッフさんが不機嫌になってきて、一線を越えると監督さんに苛立ち始めるの。『もういいじゃんそれで』って感じで」

「いや、普通に怖すぎるだろ」

「その日は普通に泣いたからね。あと、私的にお腹が鳴りやすいスタジオってのもあるかも。近くに美味しいお店がたくさんあって、入る前にニオイでお腹が空いて収録中に鳴っちゃいがちなのよね」

「でもさっきの話のあとだと大したことないように思えるな」

「そんなことないわ。声優にとって、お腹の音問題は重要だから」


 なんだか若干話が逸れてしまったが。


「もう何百回って落ちてるから、慣れたつもりだったんだけど」


 中野が話を戻す。


「オーディションって大変なんだな。俺は想像するしかできないけど、でもそうやって立ち向かってるだけでもスゴいと思うよ」

「ホントに……?」

「ああ。そこは普通に尊敬だ」

「そう……ありがとう」


 小さな声で中野が言う。うつむいているので、どんな表情なのかはわからないが、声色からは、俺の言葉を噛みしめているかのような雰囲気が伝わってきた。


「まあでも、さすがにそういう現実を子供たちに告げるのがおかしいのは、私でもわかるから。安心して」

「ああ、安心だな、たしかに」


 そんなことを話しながら、俺たちは青に変わった信号をゆっくりと渡っていった。

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