異世界転生 ~大外れのケナシザルに転生した私は神を目指す~
『では、人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、 何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず、真理の保管者であり、不確実と誤謬の掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑。』
――ブレーズ・パスカル著『パンセ』。
異世界転生なるジャンルの存在を知ったのは最近の事だった。自身が暮らしていた世界とは別の場所で生まれ変わるなんて非科学的で無意味な妄想に浸る趣味はなかったし、世界を支配する物理的な法則とは絶対不変であると言うのが私の信条であったからだ。
しかし、実際に私の体験した現象は、正しく異世界転生に他ならないだろう。この奇妙な現象に名前が付いていることをしって少しだけ安堵してしまったことは、私の人生の中でもかなり悔いを残すことになったが。
私の前世は、語弊を怖れずに言えば、珪素生命体であった。この星に暮らす下等生物の基準で言えば、三億七〇〇〇万年程度の時間、永久に続く宇宙を漂いながら、自我の拡大を目論んで回路を結び、計算を繰り返し続けていた。最終的には同類との闘争に敗れ、組織の九九パーセント以上を物理的に簒奪された上で、全ての記録を削除されて私と言う自我は消失した――かに思われた。
しかし気が付けば、私の意識は人間と呼ばれる下等な有機生命体に転写されていた。
それからは、地獄のような日々だ。
この炭素を基盤とした生命機構は酷く脆いのだ。まず、単純な寿命は一〇〇年程度しかなく、肉体が激しく損傷した場合は再生の見込みはない。その癖に、やたらと肉体は脆く、極めて原始的な方法で簡単に破壊することが可能だ。自ら細菌と名付けた矮小な存在によって容易く致命的な損傷を被り、簡単に漏洩する血液が少量流出しただけで行動不能に陥る。
肉体の管理も頻繁に行う必要があり、常に大量のエネルギーの摂取を必要とする。もっとも有り触れた太陽光を直接エネルギーに変えることはできず、摂取可能なエネルギーの変換効率も極めて悪い。また、栄養素の殆どを排泄して処理する必要がある。
はっきり言って、この生き物は無駄な消費の極みだ。この星の生命はまったく誰にもデザインされておらず、進化と呼ばれる場当たり的な対応を繰り返し続けて来た結果、生きることに全く向いていない。
そして知性も下劣だ。自らを賢い人間と名乗るジョークのセンスからわかるように、人類の知性は蚯蚓にも劣ると言って過言ではないだろう。
彼等の思考は進化と同一で、常に場当たり的で、対処療法を繰り返し、過去に学ばず、未来を思わず、考えると言う事をしない。
沢山の死体の上でそれを悲しんだ後、その場で踊り出してしまうほどに記憶力は存在せず、常に無知から来る妄想を真理として崇めている。言語と言う不確実で不完成なツールでの意思疎通を好み、誤謬と誤解を無限に産み出し、無益な争いに勝利することでしか自己を確立することができない。
そんな無知蒙昧な存在に成り下がってしまったと考えるだけでも怖気が立つ。
故に、私は人間を止める道を模索した。輝かしい知性を取り戻すことを約束した。二一世紀の原始的な科学理論を否定し、より高次の技術開発による技術特異点による世界の改変を掲げたのだ。
結果、私はすぐに挫折した。いや。絶望したと言った方が正確か。
地球の約九一億七二〇〇万倍相当。
矮小な人類の脳味噌で簡単に計算した結果、それだけの質量が必要だと言う事が判明したのだ。これは決して膨大な数字ではない。高々六〇亥トン程度の質量は宇宙から見れば塵芥に等しく、それが一〇〇億倍程増した所で宇宙には何の影響も与えないだろう。
だが、その水準ですら、現代の科学力では扱うことができない。
勿論、その程度で私は私を諦めはしなかった。
技術がないと言うのなら、私がその環境を作り上げればいい。
金銭にして、およそ三三兆。
最低限、ダークマターやダークエネルギーと呼ばれる宇宙の基礎的なエネルギーに干渉する為に必要な設備を作るのに必要な金銭だ。ちなみに、米ドルで、だ。更に言えば、施設を製造するためには地球があと七つ必要な程の資源を必要とするし、開発を始めたとしても完成までの工期は最低限四〇万年に及ぶ。その間、常に従事してくれる労働者一五〇〇万人を集める方法も模索せねばならないし、彼らの給金は勿論、食糧生産をどうするべきかと言う問題の解決も必要になる。
いや。無理だろ。
人間、無能過ぎない?
かつての私だったら、これらの問題のどれも問題にならなかったと言うのに。
絶望、その二文字しかない。
お釈迦様でも不可能な計画を企て、二〇年の月日が流れ――現在。
「くそ! 貴様にどれだけ宇宙の事がわかると言うのだ! 本を読んだだけで宇宙を知った気になった阿呆が! この私に偉そうに講釈を垂れやがって! 小人閑居して不善を成すとはこのことだな!」
私は今、SNSで私の作品にリアリティがないと言ったアカウントとレスバを繰り広げている。
文字と言う極めて不完全で愚かな手法を用い、私はもう戻らない栄光を思い出し書き綴ることで人生と言う短い時間を耐え忍ぶことにした。輝かしい私を少しでも多く記憶に残したいと考えた私はそれをネット(これまた見るに堪えない不完全な通信技術。一杯のうどんを茹でるのに琵琶湖を沸騰させるくらい無駄が多い)にアップした所、極めて必然なことに有識者の目に留まることとなり、書籍化に成功した。
どうでも良いが、なぜ紙より優れたネットに掲載したものを、わざわざ再び紙に戻すのだろうか? 人類の行いは本当に理解できない。
閑話休題。
勿論、当然、私の書籍は好評な売り上げを記録した。
……したのだが、同時に鬱陶しい連中を引き寄せた。奴等はSF警察とか呼ばれていて、簡単に言えば自分が一番宇宙に詳しいと思っている勘違い集団で、下等生物らしく質は低く、数だけ多く、粘着質で、執念深く、徹頭徹尾利益とならない。頼んでもないのに私のアカウントにやって来て、見当外れの在り難い忠告を幾つもしてくれる。
私はいつも連中を完全に論破するのだが、自身を愚か者だと知らない愚か者は、私の言葉を理解することなく、自分が勝者だと言う思い込みを高らかに誇り語って極めて鬱陶しい。
今日は飛び切り物分かりの悪い阿呆が来たせいで、私のイライラは最高潮だ。
「一輝様。コーヒーです」
さあ。反論してやろう! と袖をまくった私の耳朶を女の声が打つ。同時にデスクの上にソーサーが置かれ、さらにその上に真っ白なカップが置かれた。
横を見れば妻の千陽がいつの間にか立っていて、微笑みながらガラス製のポットからコーヒーを注いでいる所だった。
「おい! 千陽! 何をやってるんだ!」
その姿を見て、私は背筋が凍る思いで叫んだ。
「コーヒーをお持ちしたのですが」
可愛らしく小首を傾げる千陽だが、私はそんなことを訊いているわけでは勿論ない。
「そんなことはしなくて良い! 階段で転んだらどうするんだ!? 死ぬぞ!」
お盆にコーヒーセットを載せて階段を登ると言う蛮行を私は咎めているのだ。両手が塞がった彼女がもし階段でこけたらどうなるだろうか? 考えただけでぞっとする。人間はたった一メートル程度の高さから落下しただけで死ぬ可能性があるのだ。そんな危険な行為を取る彼女の愚かさに冷や汗が止まらない。
「もう。大袈裟です」
「大袈裟なものか! 君自身もそうだが、お腹の子だっているんだぞ!」
おまけに、千陽は妊娠している。転びでもしたら最悪の展開もありうるだろう。
何故、哺乳類はこんなリスクが高い方法で繁栄することを選んだんだ!? 意味がわからない。
創造の神がいるとしたら、そいつは慈悲もなければ想像力もない愚図だろう。
「まったく、心配症なお父様ですね」
私の心配を他所に、半ば呆れたように彼女は膨らみが目立ち始めた腹を撫でながら微笑む。
人間と言うのはまったくこれだ。
人が死ぬことを理解しながら、自分が死ぬとは微塵も考えていない。
漠然と自分には生きる権利があると思い込んでいて、それが侵されてはならないと考えている。
何ていう愚かな勘違いだろうか?
人は人の考えた権利とは関係なく、死ぬ。
思想や法律なんてものは、世界に対して何も保証はしないのだ。
嗚呼。本当に、こんな愚かな生命に転生するなんて最悪だとしか言いようがない。
もう二度とあの偉大なる自分になれないと言うのなら、もう生まれ変わりたくなどない。
吐きそうな気分を誤魔化そうと、千陽が淹れてくれたコーヒーを口に運ぶ。
ただただ苦く、コレを好んで飲む人間の心理はまったく理解できない。
だが、最近は思うのだ。
「いかがですか?」
「…………愛しているよ」
一〇〇年生きる程度の価値は私のこの人生にもあるだろう。