向けられる怪訝な視線
父・暁斗に促されて秦夜は塞翁院家の建物の中へ踏み込んだ。
玄関扉のすぐ内側のエントランスは見上げるほど天井が高く、豪奢なシャンデリアが中央にぶら下がる。
真正面には上階に繋がった大きな階段。中間部分からは左右へと別れ、また更にその上部分はまるで四角い螺旋のようになっている。
壁伝いは様々な絵画や花瓶に生けられた薔薇が屋敷を彩っていた。
あまりの凄さに秦夜は口を少し開けて呆けてしまう。
以前、幼少期に見た屋敷の記憶は外側だけ。
それでもこの屋敷の広さと凄さはなんとなく感じていたが、その時は内側に入っていなかったのでこんなに絢爛だとは知らなかった。
(さすがは吸血鬼一族を束ね、延いてはあの"五大妖家"と呼ばれるだけはある)
秦夜は暁斗の案内に従って屋敷の中を歩きながら物思いに耽ていたが、その間にすれ違う屋敷の使用人であろう者達は皆、輝かしい金色の髪を靡かせていた。
この場で唯一、銀髪の秦夜に少しだけ気にする仕草を見せる者もいる。
その視線に煩わしさを感じるが、それでも他の吸血鬼達に比べればこの屋敷に仕えている者達の視線は幾分か優しい、と思う。
(俺達、吸血鬼は"金髪"が通常。それ以外は例外、だからな…)
異形と呼ばれる妖の一種、土の性質に属する吸血鬼の種族はその殆どの者が金髪に青系の瞳、という容姿の特徴を持っている。
異形はどの種族も人間より経過の遅い老化と見目の麗しさを持っていることが多いが、特に吸血鬼族の者は自分達の美しさに誇りを感じていて、そのうえ種族至上主義の何とも高慢ちきな種族なのだ。
なので秦夜のような突然変異の銀髪という"特殊"な状況を受け入れることが出来る者は少なく、秦夜は生まれてから十七年間の歳月を苦労して生きてきた。
(そんな偏見的だった一族の常識に一石を投じたのが"彼女"だったんだよな)
吸血鬼族の中で秦夜以外のもう一人の"特殊"であるのが塞翁院家の跡取り娘だ。
秦夜と同じ"金髪ではない吸血鬼"。
しかしその一箇所の条件こそ同じであれ、実際の状況は秦夜と彼女ではまるで違う。
(まあ同じ"特殊"とはいえ、こちらは一族の中では特に何かある訳でもない者、あちらは一族の長の跡取り娘。しかも、こっちは銀髪であっちは…)
「秦夜!」
暁斗に声を掛けられ秦夜はパッと顔を上げる。
あまりにも考え混んでいた所為か秦夜の足取りは遅くなっていた。
なかなかゆっくりとした歩みで付いて来ていた秦夜の様子を見兼ねて暁斗は声を掛けてきたのだろう。
「…もうすぐ旦那様にお会いするが、大丈夫か?」
前を歩いていた父が立ち止まって自分を気遣う様子を見て、秦夜は自分が考え込んで黙りこくっていたことに気が付いた。
「大丈夫です。すみません、ちょっと考え事をしてました…」
「……」
「…旦那様と実際にお会いするのは初めてですね」
怪訝そうな様子の暁斗を安心させようと秦夜は当たり障りのない言葉を選ぶ。
旦那様とは塞翁院家の現当主のことで、この婚約が確定すれば秦夜の舅となる方だ。
当主として吸血鬼の一族を導き、統率している采配者。
ただ、一族の中には他の種族との協定や一族間の身分変革に対して、吸血鬼族としての尊厳の薄さや他の種族に対して甘過ぎる協定を結んでいるとの指摘で特に現状維持を望む現貴族階級の者達からあまりいいように思われていないと聞く。
秦夜からすれば吸血鬼一族のこのままの現状維持は自分の立場がどうしようもない程救われないので変わって欲しいと思うのが、何百年何千年と変わらなかった吸血鬼族が突然変わる筈など無いとも思っている。
塞翁院家の考えには納得できるものもあるが一族全体の考えが変革するのは難しい。
現にこの屋敷の使用人ですら秦夜の容姿に対して多少の警戒感を醸し出している。
まあ実際のところ吸血鬼族と仲の悪い異形の種族の筆頭が銀髪だから、というのもあるのだろうけれど。
(…ここは一族の要でもあるから仕方がないと言えばそうなのだろうけれど、一応はこの屋敷の跡目の伴れ合いなのだからもう少し警戒を解いて欲しいもんだ)
「秦夜、皆の視線を気にするなとは言わないが…」
暁斗は秦夜に目を配せながら声を掛ける。
屋敷内の警戒した雰囲気に反応した秦夜を宥めるような物言いだ。
息子が何に対して憂いているのか何となく分かっているが一族の現状も理解している、からこその言葉掛けである。
「君は君だよ。僕の息子で僕等の仲間だ」
「……ありがとうございます」
これはいつも父として暁斗が秦夜にくれる言葉だ。
この言葉を受け取って秦夜は今のところ緊張の糸を緩めていった。
でも、秦夜はいつも本当の意味での感謝を込めて"ありがとう"なんて返せなかった。
自分の所為で父も母も苦労していることは知っていた。だから"ありがとう"とは伝えるけれど、それでも湧き出る暗い別の感情を無視することは出来なかった。
「…父さんがいつもそう言ってくれること、感謝してます」
少しだけ皮肉めいた虚栄の言葉を言って、秦夜は自分自身にも納得させていた。
そうでなければこの偏見の塊の集まりである吸血鬼族の中で暮らしてなんていけなかったからだ。
両親が優しいからこそ現実に押し潰されそうなことを耐え抜かなければならない。
「大丈夫ですよ。それに今後は俺も塞翁院家を守る立場にならなければいけません。こんな事で弱音なんて吐く訳にはいきませんから」
「……まったく、昔からしっかりしてるけれどそこが心配なんだよね」
「…?なんです?」
「何でもないよ。さて、この中で旦那様がお待ちだよ」
父のボソッと呟いた言葉はよく聞き取れなかったが、もうすぐ塞翁院家の当主に会うということで秦夜は少し緊張を増した。
いくら塞翁院家の決定で選ばれた伴れ合いだとしても、粗相でもすれば別の者に変えられるかもしれない。
ただでさえ秦夜が選ばれたことを不服と思っている一族の者もいるのに、選ばれたことに図に乗ってしまえば足元を掬われかねない。
(ここは気を引き締めて臨まないと…)
立ち止まった父の前にある重厚な扉がゆっくりと開かれるのを秦夜は緊張の面持ちで見つめた。