一族の正体
「…改めてだけど、本当に受けていいんだね?」
黒塗りの車の後部座席に浅く腰掛けていた秦夜に、運転席に深く腰掛けた暁斗が尋ねる。
先程、父は祝福の言葉を口にしていたのに何故か不安げな言葉を掛けられて、少しだけ眉を顰めながらも当たり前のように答える。
「…断れる立場じゃないですよ」
秦夜は戸惑いを隠しながらも父の真意を読み解いて更に続ける。
「それに…名誉なことです。我らの一族を束ねる族長家、塞翁院家の跡目の伴れ合いに選ばれるのは…」
「でもね、秦夜。この場だから話せることだけど、嫌だったらこの話は断ってもいいんだよ」
「…いえ」
不安そうな声を他所に車を走らせ始めた暁斗を宥めるように秦夜はピシャリと言葉を紡ぐ。
「あの塞翁院のご令嬢の伴れ合いに選ばれたのであれば断れません。このお話は絶対受けます」
「………」
「意外でした。父さんはこの話、賛成かと思っていたので」
口を噤んでしまった父に秦夜は思わず声を漏らす。喜ばれたいからこの話を受けた訳ではないのだが、そこまで不安に駆られる事情でもあるのかと勘ぐってしまう。
秦夜にとってみればこの話は願ってもみないチャンスであるので、断るなんて選択肢は鼻っからなかったのだから。
塞翁院家とは秦夜や暁斗も含めた一族というコミュニティを纏めている一族の長。
現在は当主とその妻、そして跡目として娘が一人いる。
そして伴れ合いとは一般的に言う婚約者のことで、秦夜はこの度塞翁院家の跡目である娘と婚約することとなったのだ。
「…秦夜の言う通りだよ」
走らせた車が森を抜け始めた頃、暁斗は観念したように秦夜に話しかける。
「塞翁院家のご指名を断るなんて本来なら出来ない。塞翁院家の跡目の伴れ合いに選ばれることは名誉なこと。でも、伴れ合いってことは相手とはこの先の生涯ずっと伴っていかなければならなくなる。だってこれは事実上の婚約だからね」
つまり殆ど会ったことのない女性と結ばれなくてはいけない、いわゆる政略結婚みたいなものだ。
「秦夜にはそんな思惑とかが絡み合った結婚より、愛を育んで誰かと結ばれて欲しかったんだ…」
「……」
暁斗の言葉に今度は秦夜が口を噤む。
この婚約の話に愛だの恋だのは何一つ挟まれてない。
そもそも、塞翁院家の令嬢は六歳のお披露目会以降、表舞台に出てこなくなってしまった。本来ならば当主の跡目は一族間で定期的に行われる茶会や夜会などに現当主と共に出席し、その間に一族の中で伴れ合いとして最も最適な血筋を迎え入れるのが習わしらしい。
だから、今回の跡目の伴れ合いの決定は前例無しの特殊な出来事だった。
「"俺"だからですかね…?反対意見が多かったと聞いてます」
「………」
その言葉に暁斗は反応しなかった。
「でも、こんな自分の立場でこのお話はとても有り難いですよ。だから…大丈夫です」
森を抜けて庭園の入り口に差し掛かった風景の向こう側に大きな煉瓦造りの建物が見えてくる。
あの玄関の扉をくくれば、もう後には退けない。
「…分かった、秦夜がいいのであればこれ以上は反対しないよ。ただ…」
「ただ…?」
「秦夜だけじゃなく、お嬢様も私にとっては大切な方だ。だから秦夜も出来れば大切に思って欲しい」
暁斗の言葉に秦夜は気づかれない程の小さな溜息を吐いた。
「分かってます。それに彼女は俺にとって既に大切な方ですよ…」
そう言って秦夜は父を安心させてあげた。
実際、彼女の存在や言葉は秦夜の人生にとても大きな影響を与えた人物で間違いないので、そういう意味では恩も感じている。
「なら良かった。また一緒に暮らし始めたらお互いのことを知っていくだろうから、お嬢様の良さを感じることができるよ」
「えっ…?」
最初の方こそ気にも留めてなかったが後半に差しかかかって初めて聞く言葉が耳に飛び込んできて思わず秦夜は身を乗り出して聞き直した。
「えっ…い、一緒に暮らすとは…?」
「あれ?言ってなかったかな?この婚約を機に秦夜はお嬢様と用意してある住居で生活してもらうことになっているよ」
暁斗は言ってなかったんだったらごめん、なんて言葉を付け足してくる。
「い、いや…聞いてません…。俺は別に構いませんけど…寧ろ大丈夫なんですか?それで…」
一族の天下頂点である塞翁院家の跡取り娘を年頃の男と同居させるとは正直言って危機管理不足どころではない。
「本当は良くないけれどね…」
暁斗は緩やかに車の運転スピードを落としながら困った顔を車内にあるフロントミラー越しに覗かせる。
「でも、この事はお嬢様が言い出したことなんだ。お嬢様は今回の決定を認めていらっしゃるけど、その代わりに幾つかの条件を出されてる」
それってこの婚約に納得されてないんじゃ…、と思ったが秦夜は敢えてその言葉を口には出さなかった。
秦夜からすれば、例え彼女が納得していなくても婚約者として塞翁院家のお嬢様の側にいる方が有難いことが多い。
「…で、お嬢様の出された条件って?」
その条件をクリアしなければ側にいられない。正直なところそれは困る。
「まあ、それは…追々分かると思うよ」
暁斗が減速していた車をゆっくりと止めたので、秦夜はそれ以上突っ込んで聞かなかった。
屋敷の玄関アプローチに辿り着いて話が折れたこともあるが、父が言葉を濁したのでこれ以上は父から聞き出せないだろう。
止められた車の後部座席のドアから見た真正面には建物の入り口がある。
さすが屋敷に勤めているだけあって父の運転は丁寧な送迎だ。
屋敷の建物は落ち着いた赤い煉瓦が積み上げられていて、支柱に使われたアイボリーの色合いが差し色となって重厚且つ懐古的だ。
実際この建物はかなり古いらしく、重要文化財に指定したがってるという噂もある。
だが、その建物に住んでいる者は人からすれば文化財なんてレベルのものなんかじゃない。
此の世に住まいし異質な者。
人の形をした人ならざる者。
遥か昔、血に飢えていた鬼。
それが俺達の存在、吸血鬼。
この塞翁院家を筆頭に人に紛れて今尚、生き続けている伝説の異形が自分達、吸血鬼という存在なのだ。