新手ー振袖を翻す者ー
「お前が何の目的で"我が姫"に近寄ろうとしているのか知らんが、その企みここでへし折ってくれるわ!」
「はあ…?それはこっちの台詞なんですけど」
烏天狗の意味の分からない言葉に噛み付くように返答しながら秦夜は眉を顰めた。
("我が姫"ってなんだ…?)
確認するが秦夜がこの烏観月家に取り返しに来たのは吸血鬼族の長の跡目である。
それなのに何故、烏天狗族である彼が我が物顔をしているのかが謎だ。
しかも雰囲気はまるで秦夜の方が悪者みたいな扱いされているよう。
攫ったのは向こうなのに"渡さない"と言ったのも引っ掛かる。
秦夜がそう逡巡している一瞬に烏天狗は腰に差した刀を抜き、秦夜に向かって突撃してくる。
振り下ろされた刀を体の前で交差させた手甲鉤で受け止めて、右足を蹴り込んだが相手はフワリと後退して躱す。
躱された瞬間、更に相手へと踏み込み両手の手甲鉤で交互に斬撃を続けるが、やはりヒラリヒラリと躱されてしまった。
(くっ…、翼で上空まで飛ばれたら余計厄介だ。アイツが刀を持って接近しているうちに多少のダメージを与えておきたいけど…)
「今度はこちらからいくぞ!」
そう相手が叫ぶと今度は烏天狗からの猛攻が始まる。
相手は地面から少しだけ浮いた状態で右に左に斬撃が来るのを秦夜は瞬間に見切りながら躱すが、最後の横一閃の攻撃を寸前で避けることが出来ず、制服の前釦が幾つか飛んでいってしまった。
「…っ!」
「…なかなかやるな。だが、まだまだだ!」
そう言って烏天狗は背中の黒羽根を羽撃かせると、正面から突風が吹き荒れる。
着用していた仮面は目元が空いているので風が直撃しており、轟々と迫りくる風圧を最初は腕で避けていたがあまりの強さに秦夜は思わず目を瞑ってしまった。
「ふっ、敵を目の前に目を閉じるとは」
耳元でそんな声が聞こえて秦夜はハッとしたが、次の瞬間思いっきり蹴られた上に再び斬撃で攻撃された。
「ぐっ…」
自分の後方にあった木の幹まで飛ばされ秦夜は思わず体折って呻いてしまう。
咄嗟に両腕の手甲鉤で斬撃は受けたが、両腕に僅かばかりの刀傷が出来てキリキリと痛む。
「…寸前で防衛したようだな!だが、これ以上やるならもう容赦はせんぞ!」
烏天狗はマスクで曇った声で大きく言い放つと自らの翼を大きく広げてこちらへ向かい飛んでくる。
秦夜はその様子を一つ息を吐き出して一見すると向かってきた烏天狗がギリギリまでこちらへ来るのを見計らい、カウンターで懐へと潜り込むように躱した。
「何っ…!?」
「はっ!」
そのまま体を反転させて両の手甲鉤で思いっきり背中の翼を斬りつけた。
その瞬間、黒い羽根が幾つか宙を舞う。
「…っ!?」
そしてトドメと言わんばかりの右蹴りを食らわせて、烏天狗をそのまま木に激突させた。
「…っ、そっちこそこれ以上やるならもう手加減出来ねぇぞ」
秦夜は丁寧だった言葉遣いを荒くして言い放つといつの間にか切れた唇から滲む血液を袖で拭って烏天狗をひと睨みして臨戦態勢を取る。
(…この烏天狗は直線的な攻撃が多い。動きを読み切ればなんとかなる筈)
「…クソっ、生意気な…」
言葉を吐き捨てる烏天狗の言葉はずっと聞こえていた曇った声ではなく、鮮明な声に変わっている。
振り返った烏天狗は今まで付けていたペストマスクが外れていて、顔の様子が伺えるようになっていた。
どうやら先程の攻撃でマスクの紐が切れたらしい。
秦夜とそう変わらない年頃の烏天狗は少し細めの眉に切れ長の黒茶色の瞳、鼻筋はスッと通っていて一見するとクールな印象を受ける。
「…っ、こんっの不審者がっ!!絶対、許さんっ!!」
だがその印象とは裏腹にやっぱりこの烏天狗は暑苦しい程の熱血漢の性格らしい。
しかし、どうやら先程の秦夜の攻撃で結構ダメージかあるのか臨戦体勢を取る割には木に背中を預けて動こうとしない。
吼える烏天狗をよそに秦夜は溜息を吐きながら相手と距離を取って対峙する。
(正直、距離を取ったところで空飛ばれたら元も子もないんだけど、あの感じじゃ暫くは動けないかな)
秦夜は額から汗を少し流しながら戦闘を分析した。
(本当は今の攻撃で風切羽でも傷つけられたら良かったけど…)
鳥類などの翼にある風切羽は飛翔する上でかなり重要で、そこを大きく傷つけられたら飛べなくなる。
秦夜はこの戦闘時だけでも飛ばせないように狙って斬撃したがどうやら傷ついたのは羽根の上部分の雨覆だけのようだ。
(…いや正しくは攻撃を弾かれた、って感じかな。三列風切から雨覆、初列風切まで攻撃したつもりだったけど傷が入ったのは雨覆だけ…と、なると風切羽の部分は妖力の防御術使われてんな)
秦夜はそう考察して仮面越しに額を触ろうとしたが、仮面が少しずつ擦れているのを感じた。
どうやら何度かの交戦で紐が切れかけて緩んでいるらしい。
(…敵に顔を晒すのはどうかと思うけど、戦闘中に切れて邪魔になるよりはマシか)
そう思い、秦夜は徐ろに後ろに結んだ仮面の紐を外す。
目元の覆いが外れると視界は着用の時よりも広くなる。
汗で少し蒸れていたので風が少し心地よく感じてしまった。
「…どんな面構えをしているかと思っていたが、かなりの若輩だな」
未だ大きく動けない烏天狗の小馬鹿にしたような物言いに秦夜は少しムッとして、薄い水色の瞳で冷徹に睨む。
「そういうお前こそ、俺以下の若輩じゃない?」
「な、なんだと…!?」
嫌味を言い返された烏天狗がギリっと黒茶の瞳で睨み返してくるのをシレッとした態度で秦夜は対応した。
「…悪いがこれ以上は時間を掛けられないんでね。完全に動けなくしてやるよ」
だが秦夜のその言葉に返答したのは目の前の烏天狗の声ではなかった。
「それはどうかの…?」
秦夜は急いで反転して声のする方へ体の向きを変えようとしたが間に合わず、風に乗った斬撃で背中を負傷した。
「…っ!?」
思わず膝を折る秦夜は攻撃された方を見ると黒のペストマスクを着用し、黒地に赤や金の扇刺繍の振袖を着た烏天狗が左手に刀を背中に翼を携えて立っていた。