ダメな自分を思い知らされること
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「ありがとうございました」
どのくらい時間が経ったのかは曖昧だったけど、とりあえず廊下に人気がない空気が充満するほどには時間が過ぎていた。
だから保健室を出る頃にはだいぶ落ち着いて、身体の震えもなくなっていたし、泣きそうな自分もいなくなっていて、声を震わせることなくべーやんにお礼を言うことが出来た。
西陽が差す廊下がやけに静かで、来た時よりも広く長く感じた。
保健室を出てしばらくは会話はなくて、アタシはモヒカンの前で泣かずに済んでホッとしていたんだけど、自分がしたこともちゃんと分かってたから、右手の包帯を見ながら、どう謝ろうか、どう礼を言おうか、そればかり必死で考えていた。
なのに――
「ナバホ、悪かったな、ありがとな」
教室への帰りの階段、モヒカンがまたわけの分からないことを言い出した。
いや待て、なんでお前が謝る?
で、なんで『ありがとう』?
殴られて礼を言うとか、お前あれか? 超ドMってやつ?
それでアタシにちょっかい出してんのかお前。
悪いけど女王様的な素質も資質も興味もアタシにはないぞ。
「は? なにが?」
問い質すと、モヒカンは意外そうな表情を見せた後、そのままそれを崩し、バツが悪そうに苦笑して溜息を吐いた。
「いや、なんつーか……ナバホにはいつも助けられてっから」
は?
なんだそれ?
そんな覚えは一つもないし。
「だからなにが?」
分からないから素直にそう聞き返すと、モヒカンは『マジか?』って感じで眉を顰めた。
そんな顔されてもね。
だってホントに覚えがないし。
だからアタシも眉を顰めて、『マジだよ』って表情だけで答えてやると、モヒカンはまたしょーがねーなって感じで笑った。
「お前、男気半端ねーな」
「いや、女子だし。つーかわけわからんこと言ってんな。はっきり言え」
モヒカンは前を向いて目を逸らし、照れたように鼻の頭を掻きつつ、少し真面目な顔になった。
「あー……そうだな、覚えてっかな。小学校ん時さ……小五? 俺が村松ぶん殴ってクラス会で吊し上げんなった時あったろ? あん時ナバホだけは俺の味方してくれたじゃん」
ああ……あったな、そんなこと。
あれはぶん殴ったってより肩をどつかれてどつき返したら村松が勝手によろけて勝手に転んで勝手に突き指したって程度のやつだ。
それもみっちゃんがデブとかブスとか言われていじめられてたからモヒカンが助けたパターンのやつ。
村松は見た目も性格もジャイア○な奴で、みんな怖がってモヒカン以外は誰も何も言えなかった。
アタシを含めてみんな。
なのにケンカして怪我をさせたってことでクラス会でモヒカンが悪者になった。
センセーはいじめのことを話し合いさせたかったみたいだったのに、なぜかそうなった。
『どんな理由でも暴力は良くない』
『怪我をさせた方が悪い』
『モヒカンの方が謝るべき』
そんな雰囲気が主流になった。
まあ、モヒカンが頑なに謝るのを拒んだってのが一因ではあるんだけど、なんで決定的にそんな流れになったのかは覚えていない。
でも、その流れは川が高いところから低いところに流れるのと同じくらいに、いつの間にか逆らうことが許されない当たり前のことのような流れになってしまっていたんだ。
助けられたみっちゃんでさえ何も言えないような流れ。
先生も困ったような思案顔。
――ならアタシだ。
「お前ら! クソみてーなこと言ってんじゃねーよ! いじめの方が悪いに決まってんだろ! モヒカンはひとっっつも悪くない! だいたい先に手ぇ出したのはクソ村松だし、勝手にすっころんで突き指しただけだろーが!! 悪いってんならみっちゃんいじめられてんの黙って見てたモヒカン以外のクソったれなアタシら全員だ!! モヒカン悪者にすんならアタシら全員クソ野郎確定だぞ!! 全員最っっ低の卑怯モンだかんな!!」
……って、今から思えば、よく小学生がこれだけクソクソと口汚く舌が回ったなって感じでクラス全体に訳の分からん啖呵を切った覚えがある。
自分のことは棚に上げてね。
セリフはよく覚えているくせに、興奮しすぎて後の顛末はどうだったか曖昧な記憶の霧の中だけど、先生が上手くとりなしてくれたような気がおぼろげに。
まあとにかく我を忘れて机とかガンガン叩いて、床を踏み鳴らして、ノートとか破ってグシャグシャにして爆弾みたいにばら撒いてみんなにぶつけていた。
そのせいでナバホの他にナパームとか爆弾魔かいう二つ名が付いたんだっけ。
我慢しな、あの頃のアタシよ、その名は一か月で消えてくし、ジェロニモよかなんぼかましだろ?
ともあれ、つまりまあ、モヒカンはその時のことを言っているわけだ。
でもあれは――
村松に何も出来なかった自分が嫌だっただけだ。
自分を棚に上げて正しいだの悪いだの言ってるクラスの奴らが憎かっただけだ。
自分もそいつらと同じってのが許せなかっただけだ。
……それと、そのままだと日常茶飯事でモヒカンにビンタしていたアタシまで吊し上げになりそうな流れだったしさ。
そう、結局、全部、最初から、最後まで、……ホント、自分のため、だったんだ。
「あれ、すげえ嬉しかったんだぜ。マジで泣きそうだったし。中学ん時もさ、井口ともめた時にナバホがブチ切れて机とか椅子とか蹴りまくって止めてくれたろ。お前が発狂してくれたから毒気抜かれたっつーか、そんでなんとなく有耶無耶んなって井口と仲直りできたんだよな」
発狂とかお前……
でも、もういいって。
やめろ。
アタシにとっては嫌な思い出で忘れたいことなんだから。
後ろめたいことなんだから。
何もできなくて、それでただ喚き散らしていたダメな自分を思い知らされることなんだから。
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