サイレントノイズ
§
「ああ? 体育祭?」
理解できない脳筋ゴリラに、周りもイラついたように続いて、同じ言葉をあたかも回復呪文のように囁いていく。
「(そう体育祭)」
「(体育祭です)」
「(体育祭)」
「(体育祭の!!)」
「あ? 体育祭? なんじゃそりゃ……なに言っとんだお前……らっ! あっ……! ああ! いや! そう! 体育祭! 体育祭です!」
「「はあ?」」
うん、斎藤先生、矢内女史、アンタたちは正しい。
『体育祭です!』……で伝わるはずがない。
思い出せそうで思い出せない、そんなもどかしい答えが分かった時の喜びは分かるけどさ。
さすがの脳筋ゴリラもそれを理解したのか、言葉を必死に紡いでいく。
たどたどしく、しかし確実に。
「え~……つまり、これは~……そう! 仮装行列!……体育祭の仮装行列の出し物の練習でして……え~……話し合ってまして……ウチだけ、決まってないから……あ~……何と言うか……時代劇っぽく?……殺陣でしたっけ? あるでしょ? そう、本気でやればウケるから思い切りやれと、私がナバホ……いや稲葉に指示したんですよ。ところが意外に鋭くて……避けきれず……いや面目ない。女子だと思って甘く見てました。いやあしかしまあ、いいビンタだったぞ、ナバホ。はっはっは」
脳筋ゴリラが奇跡的に筋張った脳みそからない知恵を絞りだした!
想像以上に本当のように聞こえる。
しかもこれならアタシの南町奉行的絶叫啖呵も、時代劇ってでっち上げの嘘に真実味を与える意味で効果的だ。
みんなからも「オオォ~ッ」という感嘆の溜息が漏れた。
こら、お前らやめろ、嘘がばれるじゃねーか。
いや待て。
つーか待て。
ちょっと待て。
ホントにこれでいいのか?
嘘吐いて。
誤魔化して。
許されて。
アタシはこんなんでいいのか?
ダメだろ?
そうだ。
ダメだ。
モヒカンなら絶対に――
「ナバホ」
嘘を白状しようと顔を上げると、不意に呼ばれてモヒカンを見た。
しょーがねーなって感じで笑ってる。
小さく首振って……それ、『やめろ』って意味か?
頬が真っ赤……唇が切れて血が……
――謝れ
その痛々しい唇がそうやって動いたような気がして、なにか考える前に身体と口が動いていた。
「センセッ! サーセンしたッ!!」
「……セン、した」
アタシに言わせておいて、いかにも謝りたくないという感じでモヒカンも続いた。
しかし脳筋ゴリラはそれを止めるように左手を前に翳して首を横に振った。
「いや……これは百パー俺が悪い。謝る。すまん。しかしまあなんつーか、久々に強烈なやつを喰らったよ。はっはっは。学生の時以来かな。いやすまんかったな、みんな。やっぱりこの出し物はなしだ。さっきまでの話を続けてくれ。ということで斎藤先生、矢内先生、すいません、お騒がせしました」
「……大丈夫なんですか?」
「大丈夫」
「そ、そ、そうですか。で、では」
得心のいかない表情で斎藤先生と矢内女史が教室のドアが閉めると、途端、教室に小さな拍手が広がった。
煩過ぎないように控えめに。
でも確実にその拍手は脳筋ゴリラの奇跡の機転を讃えていて、ゴリラは居心地が悪そうに表情を歪めてやめろやめろと手を振った。
一方アタシだ。
謝った後は頭が真っ白になってまったく動けず、アスファルトを叩く五月雨のような拍手もどこか他人事のようだった。
モヒカンを流血させ、脳筋ゴリラをノックアウト。
校内でもトップクラスの武闘派二人にこんな事したら、これはもうバイオレンスと呼ばれてもしゃーない。
ジェロニモ?
はっ、上等上等。
そんなことよか右手が痛い。
鈍く痛み、痺れる掌を恐る恐る見ると、真っ赤になってはいたが幸いにも皮も肉も削られてはいなかった。
手指が小刻みに震えている。
掌に二人の頬の感触が残っている。
思考は拡散して頭が痺れ、まともに考えることが出来ないのに――
――モヒカンに怪我をさせた……その事実だけが手の痛みを通じて胸に刺さって心臓を抉る。
ホントなにやってんだアタシは。
「ナバホ」
モヒカンがアタシの肩を引いて顔を覗き込んだ。
その時アタシは初めて自分の膝が震えているのに気付いた。
いったいアタシはどんな顔をしてたんだろう。
そういう疑問を抱かずにいられないほどモヒカンの表情が一気に曇った。
「センセー、ちょっと保健室行ってきますんで、あとは……いや、洋平(=委員長)、ヒラ(=チャラオカ)、悪いけど続き頼むわ」
言って二人の返事を確認するのもそこそこに、モヒカンはアタシを支えるように肩を抱いて教室を出た。
なんだこれ。
こいつ見た目よりすげー筋肉だな。
いや違うだろ。
気安く触ってんじゃねーぞ。
誰かに見られたらどーすんだ?
つーかみんな見てんだろ。
誤解とかされたらどーすんだよ。
お前、彼女いるんじゃなかったっけ?
「大丈夫か?」
「……」
廊下に出てモヒカンが聞いてきたが、声が出ないから頷いた。
いや……違う。
声を出すと泣いてしまいそうだったから頷くことしかできなかったんだ。
こいつの前で泣くとか絶対に嫌だ。
膝どころか身体中が震えていて歩くこともおぼつかない。
モヒカンは口を噤んで何も言わず、アタシを支えながら黙って廊下を歩き、階段を下り、また廊下を歩いた。
誰かとすれ違ったような気もするが、周りの風景も音も、ただ頭を通り過ぎていくだけだった。
アタシはただ泣かないように歯を食いしばっていた。
うちの学校は部活が終わる時間まで保健の阿部先生(通称べーやん)が待機している。
いつも静かな微笑を崩さない優しい女医さんだったが、アタシがモヒカンに支えられて現れた時には、眉を歪めて慌てた感じで駆け寄ってきた。
それだけで涙が溢れそうになって、それを食い止めるのにすごく苦労した。
もしかしたらアタシが誰かに襲われたと勘違いしたのかもしれない。
サーセン……アタシが一方的に襲いました。
モヒカンは頬に湿布を貼って唇に軟膏を塗るくらいの治療で、アタシは右手首を綿密に調べられた後に包帯でグルグル巻きに固定されて、可及的速やかに病院に行くように言われた。
べーやんは最初こそ驚いたものの、後はいつも通り穏やかな微笑を浮かべ、特に理由とかしつこく聞かなかった。
落ち着いて見れば、誰が加害者で、誰が被害者かなんてことはたぶん一目瞭然なんだろう。
モヒカンも聞かれて答える程度の必要最低限の言葉以外は発しなかった。
落ち着くからと、べーやんから冷たいミネラルウォーターをもらったんだけど、二人ともアタシが飲み終えるまで、途切れ途切れの雑談をしているだけだった。
何というか、その沈黙というか静けさが心地よかった。
野球部の金属バットがボールを叩く甲高い音。
サッカー部の指示出しの掛け声と監督の怒声。
テニスボールがラケットに当たる乾いた音。
遠くに聞こえるブラスバンドの練習の音。
それらいつも通りのサイレントノイズが、自分が保健室にいるということを思い出させてくれた。
読んでくださりありがとうございます。
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