いやいやいや、そんなんダメに決まってんだろ!
§
その時の教室に広がる光景は――
乱れる机と椅子
その間で無様に横たわる脳筋ゴリラ
その傍らでゴリラを見下ろすアタシとモヒカン
怯えるように隅で固まるモブ男女
……という構図。
その場面だけ見たなら、十中八九の奴は、モヒカンが脳筋ゴリラをノックアウトしたように見えただろう。
なにしろモヒカンには前科がある。
だから勘違いしたのは斎藤先生のせいじゃない。
「お、おい! も、元平? おおお前、何しっ!? くまっ熊谷先生!? どぅどうしたんですか!? だぅ大丈夫ですか!?」
そのちょっと震えて裏返った噛みまくりの声掛けに気付いた脳筋ゴリラは、すぐに立ち上がろうとしたが、それができなかった。
上体を起こし、前屈みになって立とうとして横に転がり、また手をついて立とうとして足がガクガク震えて尻もちをつく。
足に来るダメージってやつ……初めて見た。
ま、やったのはアタシだけどさ。
脳筋ゴリラは溜息を吐いて立つのを諦めて胡坐をかいて、そしてダメージを確かめるように蟀谷に指を当てて目を瞬かせながら首を振った。
その間、アタシはといえば、モヒカンの方を見られなくて、脳筋ゴリラと床を交互に見つめていた。
ただ右手がひどく痛んだ。
とても、痛かった。
ふと目の端に映ったウナミに視線を巡らせると、心配そうにアタシを見つめていた。
ああ、ホントありがと。
アンタはいつもアタシを癒してくれる。
大丈夫だよ、マイエンジェル、アタシは大丈夫。
自分でやったことは自分で責任とらなきゃね。
目を閉じて、深呼吸一つ。
さて行くか。
自首しようと一歩前に出て手を上げかけたその時、モヒカンがそれを遮るようにアタシの前に一歩踏み出した。
なんだおい、モヒカン、邪魔だ、どけ。
そう思って睨み付けると、モヒカンはアタシの方は一顧だにせず、斎藤先生を真っ直ぐ見据えて、わけの分からないことを言った。
「俺が熊谷先生を殴りました」
……?
……?
……?
は?
こいつ、なに言ってんだ?
訳が分からん。
みんな見てたんだぞ?
すぐばれる嘘を吐くな。
ええカッコしいの英雄気取りか?
殴られて優秀な脳味噌がシェイクされたか?
それともアタシに恩を売ろうってか?
いや……違う。
どれも……違う。
こいつの背中には迷いがない。
この声……
この感じ……
こいつマジだ。
意味が分からない。
ホントなに考えてんだお前。
「あ……? な……? んっ? も、もも元平! おおまおおお前! んななっ! んなぁんてことを!!」
ぷっ。
ウケる。
斎藤先生の盛大に噛みまくって裏返ったセリフ回しがベタな学園ドラマみたいで妙に面白くて吹き出しそうになってしまった。
ほら、いるじゃない、意地悪な教頭先生的な役の人。
その人が校長の隣で狼狽えるシーンとかさ。
まさにそんな感じで。
「斎藤先生? どうかされたんですか?」
新しい登場人物。
今度は反対側の隣のクラスの担任、ちょっとした問題も大問題に仕立て上げる天才、英語の矢内先生(通称「いやない女史」)が顔を出した。
……これは詰んだかもしれない。
「いいいいいやもも元っとっとひっひひ平がくくっく熊谷すせっ先生を!」
「は? ちょっと落ち着いて……え?……あ! 熊谷先生!? 大変! 大丈夫ですか!?」
駆け寄る『いやない女史』。
大丈夫大丈夫と手を上げるゴリラ。
女史はしゃがんで動きを止めると、周りの状況を確かめるように首と目線を巡らせ、アタシを見て、ゴリラを見て、最後にモヒカンを見た。
「……元平君……あなた……これはもう」
驚愕と恐怖と非難と怒りを音に乗せ、モヒカンに語り掛ける矢内女史。
その口調と声音、表情……彼女の脳内では、もう犯人はモヒカンで確定なのだろう。
しかしやっぱレッテルというのは恐ろしい。
それは事実ですら簡単に歪めてしまう。
以前に乱闘騒ぎを起こしたキレやすい危険人物というレッテルを貼られているモヒカンが自白すれば、やっていないことなのに真実味が半端ない。
このままみんなが黙っていればモヒカンが罪を被ることになってしまうに違いない。
って、いやいやいや、そんなんダメに決まってんだろ!
「違います!! アタシ!! アタシです!!」
引っ込んでろてめえ!……という感じでモヒカンを押し退け、前に出て痛む右手を上げて宣言したものの、我ながら変なおじさんのようなセリフになってしまい、それが場に合わずやっぱり妙に面白かった。
突然のアタシの告白に、さすがの矢内女史も戸惑いを隠せず、視線をアタシとモヒカンに泳がせている。
「いや違う。俺です。俺」
再びアタシの前に出て手を上げるモヒカンが新しいコントの流れを作ったようで、これもまたアタシのツボにハマる。
「いえ、アタシです!」
みんなが追っかけて「じゃあ俺が」とか「いえ私が」とか始まったらさぞ面白いだろうな……なんて非現実的且つ現実逃避的なダチョウコントが頭に浮かんでいた。
実際にそんなことが起こるわけがないのは分かってるけどさ。
……と、脳筋ゴリラが深く溜息を吐いて、アタシの心が読めたかのようにゆっくりと手を上げた。
「いや、斎藤先生、矢内先生。違いますよ。私が……」
思わず「どうぞどうぞ」と言いたくなったが、脳筋ゴリラがいつになく思案顔で、ない頭を必死で使おうとしているのが伝わってきて、みんなの視線が集中した。
「いや……あの~……ですね、え~……なにやってたかと言いますと……その……え?……と、何だったかな……」
おいおい。
脳へのダメージか?
それともこれが標準仕様だったか?
虚しい沈黙が、脳筋ゴリラの焦りを表しているかのようだった。
「(体育祭です)」
「(体育祭っしょ)」
言い澱み、頭の上にハテナマークをまき散らして手詰まり感満載だった脳筋ゴリラに囁いたのは委員長の志村とチャラオカだった。
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