4-17 元勇者、疑念を抱く
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傲慢公。
遠いフレンダール王国の逸話は、クシュウ大陸の者であれば一度は耳にしたことがある昔話だ。
幼い王の摂政として権力を欲しいままにした時の公爵はやがて自らを神の如しとして、自らより高い存在を認めることが出来ずに地神討伐の兵を挙げた。
その結果地神を怒らせてしてしまい、乱れに乱れた地脈のせいで天変地異に見舞われたフレンダール王国は反乱と革命により、当時の王家が断絶し新王が起つ事態になってしまっているのだ。
以来三百余年。傲慢公はその行いにより愚か者の代名詞として大陸中で語り継がれている。特に貴族であれば、絶対にやってはならない行いを為してしまった反面教師として必ず教え込まれる項目だ。
「は、白蛇が地神だったとは……。知らなかったとは言え、その身に弓を引いたとなれば」
「そうだな。傲慢公の再来としてお前の名前は歴史に刻まれるだろうな――クブの街以外でな」
「ひっ、ひぃっ」
リオンの言葉にエイブラハムは卒倒しそうになった。
もしそんなことになったら、おそらくクブの街は壊滅し、焼け野原になってしまっていることだろう。なぜなら、
「地神は天神によって任命される地脈の管理者だ。トウヅ一帯の地神の任命を行っているのは誰か知ってるだろ?」
「りゅ、竜火島の竜神様です……」
真っ青な顔のエイブラハムが答える。
白蛇に弓を引くということは、竜神に弓を引くということ。
「もしそんなことになったら、激怒した竜神が率いる竜の大群がクブの街を焼き払うだろうなぁ。クブの街だけで済めばいいけどな?」
「…………!」
エイブラハムの脳裏に浮かぶのは大火に包まれた王都トウヅの姿だ。その空を大群の竜が埋め尽くし、火を噴いては地を焼き払っている。
妄想ではない。
このままではきっと起こってしまう、近い将来の予想である。
「りりり、リオン殿! いやリオン様! ど、ど、どうしましょう!?」
「どうもこうもないよ。幸いまだ実際に白蛇に手を出した訳じゃないんだから、今なら何とかなる。討伐軍を止めるんだな」
「は、はいそうします! すぐにでも!」
そしてエイブラハムは懐から鈴を取り出すと、チリンと鳴らした。装飾のなされた鈴は涼やかな音色を響かせたが、応える者はいない。二度三度と鈴を鳴らしたエイブラハムが、ジト目でリオンの方を見た。
「わかった、わかってるって。アンタを元の場所へと連れて行ってやるからそんな顔するなって」
「そうしていただけると助かりますぞリオン様」
歩き出したリオンの後ろをおっかなびっくりついていくエイブラハムが「なんとかせねば……」と不安を口にする。
「まぁ俺の仲間が討伐隊を足止めしているはずだし、そもそもこの森を集団で進軍するってのは並大抵のことじゃない。さっきの場所からそんなに動いちゃいないハズだし、ぐるっと回って来たから実はそんなに距離も離れてない。心配はなにもないぞ」
「あっ、いや。そうではなくて」
「?」
しまった、と顔に出ている。
それでリオンは疑問を覚えた。
「そういやお前、どうして今更討伐軍なんて編成したんだ? 領地に実害を出してたってんなら未だしも、白蛇はそうじゃないんだろ」
神とはこの世界を維持する、いわば機構の一部である。
地神は天神によって機構に組み込まれた存在であるため、通常の生き物としての活動の殆どを行わなくなる。つまり、生命でありながら食事さえ不要となる。
白蛇セルマが自衛以外の理由で、他の存在を害すること自体が基本的にあり得ないのだ。
「そ、それは」
言い淀むエイブラハム。
リオンがじろりと睨み、手にした石の槍を振って見せると観念したのか語り出した。
「儂は珍品蒐集家として内外に名を知られておりまして。遠方の同好の者たちとお互いにコレクションを見せ合ったり交換したりすることがあるのです。時には欲しいものを手に入れるため、その……入手を依頼することも……」
金に飽かせて、或いは部下たちを使ってコレクションを得ることはできる。
だが市場に出回ってなければそもそも購入できないし、国外に大人数の部下を送りこめば国際問題に発展しかねない。
同好の士とはつまり貴族か大商人なので、通常の方法で購入できないような何かを欲しているときには、その地域の仲間に依頼するのが一番確実な方法なのだ。
「つうことはお前……」
リオンが呆れたように言った。
「は、白蛇の魔獣の剥製を知人に依頼されました!! 白蛇なんて滅多にいないので、儂の領地に現れるという白蛇を探してその皮を――」
「お前、ほんっとな。知らなかったとはいえ神様を剥製にしようって。あまつさえそれを売ろうだなんて――おまえさん、ほんっっっとシャレならんわ」
「儂は知らなかったのです! 白蛇が地神だったのだなど、知っていたらこんなこと……儂は騙されたんだぁ!」
「その言い訳が竜神さまに通じればいいんだがな。で、その依頼人ってのは白蛇が地神であることはしっているのか?」
「さ、さあ? 奴から白蛇が地神であるとは聞きませんでしたが」
「知っていたらさすがに言わないわけ、ねぇよなあ」
「ですがあのキリの村付近に出没する白蛇のことについてとても詳しかったですな。なんでも飢えに喘ぐキリの村の人々を守るよう、古の賢者が魔法によって縛っているのだとか……んん?」
「どうした」
「いえ。地神ほどの存在を、魔法で縛るなどということができるのでしょうか」
「さぁな、俺にはなんとも言えないが――縛り方次第じゃないかな」
考えをまとめながらリオンは答える。
「白蛇が地神であることは、その賢者とやらも気が付いていただろう。その上で強制力が強かったりあまりに一方的な契約を押し付ければ、地神への攻撃として判定されていたかも知れないな」
「ふむふむ」
「だが、それでキリの村が襲われてないんだから、契約と言ってもそこまで強力な縛りじゃなかったんだろう。元々地神は地脈の調整者だ。『村にいる人族を少しばかり気にかけてやって欲しい』という契約……というかお願いごとの類であれば、調整の域を出ない範囲で村人を守ってくれるかもしれないな」
キリの村の村長が語った昔話では、白蛇が村に結びつけられた後も森の中で亡くなる村人がいたということなので、さほど強力な守護祈願だったというわけでもないらしい。
「その依頼人がどこのだれか知らないが、地神を剥製にするだなんて論外だ。場合によっちゃクブの街からそいつの地元まで焼かれることになりかねない。依頼人には誠心誠意事情を話して納得してもらうんだな」
「うう、ですよねぇ。この件が元になってユーフォーンと戦争になんてなったりしたら儂の名前は傲慢公より有名になってしまう……」
「ユーフォーン?」
リオンは思わず立ち止まり、尋ねた。
「いまユーフォーンって言ったか? その依頼人はユーフォーン魔導国のヤツなのか?」
「は、はい。ユーフォーン魔導国の南部にある、エイトシロの街を中心に商いを営んでいる者なのですが……それがなにか?」
「ああ、いや。ちょっと、な」
かつての異神討伐の旅で、リオンは悟ったことがある。
この世に偶然など無いということを。
全てのことは起こるべくして起こる。
街角で知り合いとばったり出会うのも自分だけの視点で見れば偶々のことだが、自分には自分なりの、相手には相手なりの理由があって出かけていたわけだから。
なにかひとつでも掛け違っていれば起こらなかった出来事。一つ一つの要素に誰かの気紛れや何気ない行動が関わっていたとしても、結果としてそれは起きてしまった以上必然となる。
「この俺のこの状況に、ユーフォーンのヤツが遠因となっている。偶然のはずがない」
吐き捨てるようにそういうと、リオンは踵を返し、来た時と同じようにエイブラハムを小脇に抱きかかえた。
「ちょ、おっ!? リオン様!?」
「予定変更だ。張っ倒してでも避難させる。討伐軍は後回しだ」
「はっ倒……ちょおおお!? 速い、速いィィィィィッ!?」
来た時よりも遥かに速い速度でリオンは駆け出した。最早地面ではなく、巨木の幹や岩の先端を蹴り、殆ど飛翔するような勢いだ。
「ひっ、ひえっ……ええっ」
「しゃべると舌を噛むぞ――よっと」
抱えられているエイブラハムの目には勢いよく岩の表面が迫って来たと思った次の瞬間地面が接近し、かと思ったら樹木に激突しそうになる。縦に横に振り回されて意識を保っているのが精一杯だ。
数分足らずとはいえ、そんな状況に置かれエイブラハムは意識を手放しそうになる。そして大きく浮遊するのを感じた――次の瞬間、視界が開ける。
「と、止まった……」
地面に降ろされ青い顔をしたエイブラハムがゼイゼイと荒い息をつく。よくまぁ気絶しなかった者だと自分を褒めてあげたい気分だ。
「リオン様、ここは」
「例の白蛇の住処だよ。あっちの方にいるはずだ」
「ここが地神様の住処……ここが? ここが、ですか? この、湖が?」
「そうだが、なにが言いたい?」
「いや、ですが……」
エイブラハムは辺りを見回す。
湖。
森。
「ここは、蒼天連峰の端の方ですよね。まだユーフォーン領には至っていない辺りの」
「ユーフォーンどころか地図の上ではフォグラン山地の半ばだぞ。実効かどうかは知らんが、お前ンとこの領地内だ」
その言葉を聞いて、ますますエイブラハムは不思議そうな顔を見せた。
「フォグラン山地に、このような湖は存在しないハズなのですが」
「……なに?」
蒼天連峰の最南部に当たるフォグラン山地は魔獣の住処だ。
およそ人族の領域ではないが、人跡未踏というわけではないし、実力のある者ならば立ち入り、魔獣を狩ることもできる。
「父の代で領内地図を更新するためにフォグラン山地も立ち入り、かなり詳しく調べてあるはずなのです。その地図に、こんな大きな湖の存在は無かった」
リオンの中で違和感が膨らむ。
なにか――なにか、大事なことを見落としている。
そもそも、なぜ、ユーフォーンの者が白蛇を狙う?
剥製が欲しい?
絶対に違う、それはただの言い訳だ。
目的は別にあるはずだ。
「……白蛇を攻撃させることが目的か?」
そう、リオンが呟いた時。
「んー、半分正解ってところかな?」
場違いなくらい、明るい若い男の声が投げかけられた。
「もう半分は不正解? いやいや、届いていないって感じですかねぇ。もう少しヒントがあれば辿り着いていたかも。いやいや、お見事お見事」
リオンが振り返った先、その男は巨大な岩に腰かけ笑顔を見せていた。




