4-14 槍士、仕掛ける
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「クソッ! クソッ! 一体何がどうなっている――おい貴様! どこへ行く!? 儂を守らんか!! クソッ、使えん奴らばかりだ、この程度の魔獣などさっさと追い払え!」
エイブラハム侯爵は周囲を完全武装の騎士に守られながら悪態をついていた。
だがそれが全く意味の無い行為であるどころか、むしろ状況悪化に一役買っていることに気付いていないのはエイブラハム本人だけだった。
今も叱責した騎士はどこかに行こうとしたのではなくて、跳ね返した魔獣に止めを刺そうとしただけだ。逃がした魔獣は後ろに下がり、虎視眈々と次の機会を狙っている。
そしてエイブラハムの喚き声に、向こうから更に魔獣が寄ってきているのだ。
――全く、このクソ貴族最悪だと思っていたが、輪をかけて無能だな。
叱責された騎士はフルフェイスの兜の中で舌打ちした。
騎士の武装には幾つかの種類があるが、完全武装は文字通り、全身鎧を身につけることを指す。
完全武装の騎士が幾人も列を成す様は非常に勇壮だが、生憎現在の状況には全くそぐわないものである。
まず、重たい。重さはある意味で武器だが、枷でもある。
次に、視界が悪い。フルフェイスの兜は面を下ろした状態だと、目の位置に開けられた僅かな隙間で外を見る。正直前方の、ごく狭い範囲しか見えない。それを周囲を仲間たちと補い合っているからこそ状況を維持できているのだ。
そして長物武器だ。重量級の重斧槍、一撃の威力は高いが、半ば乱戦状態でとり回す武器ではない。
「なにより最悪なのが、騎士団全員が同じ装備でいることだな」
兜の中で呟く。
装備が同じということは、出来ることも同じというわけだ。
重たい完全武装だと、足場も良いとは言えない森の中で、しかも密集陣形を強要されて、襲い掛かる魔物に対してできることはただ防御することのみである。
最初に召集された時、彼らは近隣の村への視察だと聞かされていた。一種の示威行為とみれば納得できた。だが実際は森の中で魔獣の探索だ。であれば、絶対にありえない装備選択となる。
「軽装の騎士がいれば遊撃を――せめて侯爵の護りを三、四人だけにすればなんとかなるんだが……」
例えば冒険者たちは、様々な職業の者たちが集まってパーティを組む。その中に、重装士や盾士という、全身を鎧に包んだ者もいる。
だが彼らは文字通り自らを盾役囮役となることで相手の敵意を引き、他の者たちの行動をしやすくするという役割だ。極論すれば味方を助け、そして助けてもらうことを前提とする援護役だ。盾役も武器は持つし攻撃もする。しかし盾役だけではじり貧、嬲り殺しにされるだけなのである。
もちろん騎士団――つまり集団戦でも同じことをやる。重装騎士隊が防ぎ、軽騎士隊が打ち払い、騎馬隊が遊撃し、弓隊が予め数を減らす。
「――ふんっ! この聖なる乙女なんたらでも、同じことができるはずなんだがな!」
言いながら騎士は寄って来る魔獣にハルバードを振るった。
しかし隣の奴に当たらないよう――なにせ狭すぎる!――気を使ったので悠々と避けられてしまった。
「お前もそう思うか」
「聞こえてたか。……ああ、指揮官がクソだと、こうも違うか」
通常、彼ら騎士団にはこれを束ねる団長がいる。
だが騎士団長は別件で同行していない。小言がうるさい彼を、エイブラハムの豚がわざと遠ざけたのだろう。
そしてこの状況にあって彼ら騎士団を指揮すべきエイブラハムは、自分を守れと喚き散らすだけだ。
初手で混乱の最中、冒険者やトウヅ第二戦団たちと距離を置かざるを得なかったのも痛い失敗だった。
エイブラハムを含む非戦闘員を護りの本陣として、完全武装騎士が防御し、戦団と連携して魔獣を撃退。冒険者たちが遊撃隊とすれば。
「ああ。団長だったら、ってかまともな指揮官だったらこうも酷いことにはなってないだろうな。別に難しい事でも何でもないハズなんだが」
今でも向こうの奥でコックたちを守っている戦団たちに、『こっちに合流しろ!』と命じるだけでいい。それで状況は劇的に改善するだろう。
「それをあの豚に誰か進言したのか?」
「した。だが無碍にされた」
その時の様子が、説明されなくとも脳裏に浮かぶようだった。
木々の幹を足場に飛びかかって来る大跳犬を叩き落とし、彼は言った。
「くそ。この騒動が収まったら、俺は絶対に騎士団辞めてやる。豚を護るために騎士になったんじゃない。田舎に帰って芋育ててる方が万倍マシだ!」
「同感だ。俺も無事帰ったらプロポーズすることにしよう。後悔はしたくないからな」
「おい馬鹿やめろ! しかし数が多いな、こうも次から次に来られては……んん?」
と、そこで彼は、木々の向こうからやって来た影に気が付いた。
新たに魔獣が来たのかと味方に注意を促した。
「右前方、人型魔獣! 槍持ちの矮鬼族――いや、ゴブリンかあれ」
間の抜けた声になったのも仕方がなかった。
明らかに矮鬼族とは違う。しかし獣の毛皮だったり頭蓋骨だったりを身に着けた男と少女が現れたからだ。
武器を持っている。敵のはずだ。
だが敵意が全く感じない。敵なのか?
騎士の男と蛮族の男の視線が交わる――蛮族が、にやっと笑った。いたずら小僧の笑顔だ、と思った瞬間。
「――ッ!?」
蛮族衣装の二人が動いた。
フルフェイスの兜、その視界の悪さは言い訳にはならない。
だがもし兜を脱いでいた状態でも、一瞬で見失っていただろう。それを直感できる程の速度で、騎士の視界から二人の蛮族の姿が掻き消えていた。
「一体どこに――!?」
蛮族が動いた気配とこれまで培った経験を頼りに視線を巡らす。
彼が見たのは、蛮族の少女に蹴飛ばされ大樹の幹に叩きつけられる猿の魔獣と、突かれ薙ぎ払われて絶命する猪の魔獣の姿だ。
「……味方、なのか?」
「馬鹿、ンなわけあるか!」
隣の騎士が「見ろ!」と指さす。
疾風の如く駆け抜けてゆく蛮族男の後ろ姿、その肩に担がれているのは、
「たー す ー け ー ろ ー 」
「エイブラハム候!?」
「攫われた!?」
「おい、あのブt――貴族連れてかれてんぞ!?」
「隊長! なんか……なんか起こってます!?」
エイブラハムが攫われた。
それに気が付いた魔獣を除くこの場にいる全ての者たち――騎士のみならず、冒険者や戦団、それにコックやメイドたちまで全員が脳裏に、見捨てる、という言葉が浮かぶ。互いに目だけで会話する――「見捨てる?」「仕方なくない?」「こんな状況だしね」
「いや気持ちはわかるども行かせちゃダメさね!?」
そんな空気に割って入ったのは、槍士冒険者――メイである。
咄嗟の判断で相手をしていたオーガに止めを刺すのを後回しにし、蛮族男の追撃に入ろうとした。
「――ッ!」
だが、それを横合いから阻む者が現れた。
メイの進路にニュッと突き出された槍の穂先。それを、メイが弾く。更に追撃の回し蹴りは横に飛んで躱した。
邪魔をしたのは蛮族の少女である。
石器の槍を肩に担ぎ紋様の描かれた顔を不敵な笑み。
そしてメイに向かって手招きをする。
「……あとを追いたきゃ自分を倒してからしろってかい? まったく、今時そんなこと言う奴、絶滅したかと思ってたさね」
軽く肩を竦めると、メイもまた不敵な笑みを浮かべると槍を構えて蛮族の少女と相対する。
「まぁいいさ。アンタがどれくらい使えるのか。本職の槍使いが見てやるよ――さぁ、かかって来な!」
周囲には怒号と悲鳴が飛び交っている。蛮族が乱入してきたとはいえ、魔獣の襲撃は未だに続いているのだ。
だというのに、槍を構えるメイと、槍を肩に担ぐ蛮族少女の間には奇妙な空間があった。
静寂が満ちる。余人を寄せ付けない圧が満ちる。
成り行きを見守っていた騎士や冒険者たちも、言い表しようのない迫力に息を飲んで激突の瞬間を待っていた。
数秒――あるいは数十秒。
森の中を渡る風が吹く。
二人は動かない。
風に木の葉が舞い散る。
向こうで魔獣が切り伏せられ、断末魔の悲鳴が響き渡った。
だが二人は動かない。
二人は動かない――そこに、魔獣の返り血に塗れたバルバロスがやってきた。その後ろからメイが率いていた他の冒険者たちの姿もある。
「な、なぜ動かないのだ?」
「俺は見てたぞ、あの槍士はオーガを一撃で倒す使い手だ」
「それが動かないということは――」
「あの蛮族のチビ。相当な力量を持っている、ということか!」
「使い手は使い手を知る、というが……これがそうか」
「俺に隙だらけのように見える。なんというか、槍を持て余してるような」
「バカ! 誘ってるだけに決まってるだろ。だから槍士の方も仕掛けないんだ」
「達人同士の戦いか。この勝負、一瞬で決まるな……」
そんな会話を交わす騎士たちを横に、不思議そうな顔でバルバロスがメイに声をかけた。
「あの、姐さん?」
「――姐さんは止めな。なんだい?」
横合いから話しかけられても、流石は一流冒険者。隙を晒さないぜ――と騎士たちは思った。見ろ、蛮族の少女も仕掛けない。
「チラっと見えたけど、あの貴族が攫われたんスよね?」
「そうさ」
「そのガキが残ったんスよね?」
「そうさ」
「ガキが仕掛けてこないのは時間稼ぎ――「かかってこないならこっちから行くよ!?」
裂帛の気合を発すると、ちょっとだけ頬を恥ずかしそうに染めたメイは地面を蹴って蛮族少女に槍の一撃を突き込んだ。
 




