4-10 元勇者、断られる
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森に入って、約二時間。
文字通り蛇行する白神様の通った跡を追って、リオン達は森を北へと分け入っていった。地図でいえば、既に蒼天連峰の端に踏み入ったあたりになる。
「……ねえ、パパ。おかしくない?」
「ああ。ソーラもそう思うか」
手頃な岩に腰かけて休憩するリオンに、傍らのソーラが尋ねた。ずっと森の中を飛んで跳ねていたというのに殆ど汗もかいていない。ハティに背を預けて欠伸するセレネもまた同様だ。
彼らにとってこの程度、準備運動程度のものらしい。
「こんな森の奥まで来たのに魔獣の数が少な過ぎるよね」
「大物もいなかった」
リオン達はこの道中に魔獣がいれば、手の届く範囲で処理してきた。わざわざ探し回った訳ではないが、ここまで森の奥に来た割には数が少ない。
そしてセレネが言う通り、これだけの距離を移動してきたならば一頭くらい大物――都市壊滅以上の魔獣と遭遇していてもおかしくなかった。
「たまたま進路上にいなかっただけかなぁ?」
「私の気配察知に引っかからないとは考えにくい」
セレネの気配察知能力は数百メートルもの範囲に渡る。
これまでずっと移動し続けていて、一頭も出くわさないと考えるほどセレネは楽観的ではなかった。
「つまりキリ村からここまで、実際にB級が居ないってことだろ」
とリオンが続ける。
「その心は、パパ?」
「白神様が排除したんだろ」
「村を護るために?」
「多分な。白神様じゃないにしても、もっとでかい魔獣が縄張りにしてるって可能性もあるけど」
道中処理してきた魔獣はどれも雑魚の類だった。
つまり、白神様にとって相手にする必要も無いような――?
「でも、こんな広範囲を縄張りにする魔獣なんているのかな」
「件の賢者とやらの術に縛られているのかも知れないな。だとしたら、白神様を奥地に追いやるのは厄介かもなぁ」
キリ村の祠にあるあの白い蛇の像のことである。
どんな術が組み込まれているのかリオンには分からないが、白蛇像と白神様本体を結びつけ、周辺の森を対象に縄張りとして指定してるのであれば、白神様が広い範囲で脅威となる魔獣を排除しようとするのはわかる。
しかし一方で縄張りから追い出そうとする行為に白神様は抵抗するはずだ。場合によっては命懸けでも。
「ま、そこら辺は実際に白神様を見てみないことには分からないけどな」
さてと、とリオンは腰を上げた。
「あとどれくらいで白神様を見つけることができるかな」
「ハティ?」
セレネが問うと、ハティがバウッと答える。
「匂いも強くなってきているから、そんな遠くはないだって」
「そうか。じゃあそろそろ行くか」
そして一行は休憩を切り上げて再び走り出し――
およそ十数分後、そこへと辿り着く。
「……ここは」
鬱蒼と生い茂っていた木々がない。そのため、大きく空が広がっている。
ずっと遠くの崖から迸り落ちる滝。
そして眼前に広がる澄んだ湖――
「ねぇ、パパ。この湖、地図に載ってないよね」
「ああ。蒼天連峰は人の領域ではないが……完全に前人未到ってわけでもない。この辺りでこんな大きな湖が未発見ということがあるのか?」
リオンとソーラが、眼前に広がる湖に見とれていると、上空を飛んでいたホルスがピイ、と鳴いた。
「え、家!? ほんとだ!?」
ソーラがそちらを見ると、確かにそれはあった。
家、あるいは小屋というべきか。木造の建物が、湖の畔に立っている。
「こんなところに人が住んでいる?」
「こないだの狐人さんたちみたいに? でも、家って言っても一件だけだよ?」
そしてハティがセレネに何かを報告するように小さく鳴く。
「白神様の匂い、あの家からするって」
「…………」
どうしたものか、と動きを止めたリオンたち。
その時、湖畔の家の扉が開いた。
そこにいたのは――真っ白な、女性だった。
「あら。本当にいらっしゃったのですね。御方の仰いました通りです」
こちらを見るのは、妙齢の女性である。
だがこんな山奥に不釣り合いな、すらりとしたドレスにヒール。腰まで届く長い艶のある髪。
その全てが――肌の色ですら――真っ白だった。
彼女の体で色があるとすれば、薄い桃色の唇と、その両眼を覆う、黒い布。
「ようこそおいでました、お客様方。おもてなしも出来ないような粗末な場所ですが、どうぞこちらへ」
白い女性は、そう言って微笑んだ。
†
湖の畔で、リオンと白い女性は向かい合って座っていた。
椅子代わりにしているのは、転がっていた木石だ。
「申し訳ございません。見ての通り……その、この通り何もない場所ですから」
「いえ。それは全く構わないのですが――あなたは一体?」
リオンが問うと、白い女性はあら、と小首を傾げた。
「私を探していたのではないのですか? だからここまでやって来たのだとばかり」
「探して? いや、探していたのは別の――」
そこまで言いかけて、はた、と気づく。
ずっと気にかかっていたことがあった。キリ村を出る前に、ラングに誤魔化したことだ。
キリ村では、二百年以上昔から白神様との関係があったという。賢者が村人を守護するよう術をかけたという話だが、その手の術は更新しない限り、別個体に受け継がれることはない。
と、いうことは白神様と呼ばれている白い大蛇は、二百、あるいは三百年以上も生きているという可能性がある。
それほどの歳月を経た魔獣は時に、魔獣という言葉の枠に収まらない存在へと変化していることがあるのだ。
例えば人の姿へと転じる術を覚えていたり。
あるいは天地創造の神々――天神より各地の守護を始め、様々な役割を与えられる『地神』へと神化していたり。
「では改めて自己紹介をいたしますわ。キリ村においては白神と呼ばれる白蛇。御方より、地神としてこの地の守護を任されております、【白燐】のセルマと申します」
あーもうやっぱりだよ。最悪じゃねえか。
リオンは天を仰いだ。
「あの……どうかされましたか、リオン様?」
「いや、ちょっと心労が……。それより俺のこと、知ってるのですか?」
「はい。御方より、かの異神討伐の英雄リオン様とそのご息女様方が近くこの地に参るということだけは聞いておりましたので」
リオンの後ろに控えていたソーラが小首を傾げた。
「御方って、誰のことですか?」
セルマは柔らかく微笑む。
「我らが偉大なる竜の女神さまでございますわ。ソーラ様に、御方より言伝を預かっております」
「あたしに?」
「はい。曰く、『待ちくたびれた。早よ来い』とのことです」
「……えーっと。はい」
リオンがソーラを見た。
ソーラがリオンから顔を逸らした。
セレネは我関せずで明後日の方を向いている。
「二人とも、今のは……?」
「リオン様にも言伝がございますよ」
「ゑっ?」
「曰く『おんしゃ何時までちんたらしとんのじゃ。トウヅ入ったん気付かれてへん思うとんのやなかろうな? だとしたら見くびられたもんやの。さっさと来んと、生地に練り込んでカマドで焼くで、アア゛!?』だそうです」
「こ、声真似上手いですねセルマさん」
「光栄です」
微笑みながらドスの効いた声音を出すのはちょっとやめて欲しいとリオンは切に願う。しかも、あの人に若干似てるのがいただけない。
げんなりとした気分で、しかしなんかと気を取り直したリオンは、改めてセルマに向かい合った。
「ええと。セルマさん。今日、俺たちがここに来たのはですね……」
そしてリオンは事情を話した。
それを黙って聞いていたセルマだったが、
「と、言うわけで暫くの間もっと奥地の方に隠れてもらう、ということはできませんかね……?」
リオンの問いに対して、
「申し訳ございませんが、お断りいたします」
ときっぱりと、拒絶したのだった。




