4-9 元勇者と双子の少女、駆ける
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「じゃあリング。私たちはちょっと森に入るから、家でおとなしくしてるんだよ。夜になる前に帰ってくるからね」
ラングが頭を撫でると、リングはフンスとばかりに気合いをいれた顔で頷いた。
ソーラヴルとセレネルーアに頭をなでられられたあと、リングは一行が森の中に入っていき見えなくなるまでその背を見送っていた。
「さて、セレネ。頼めるか」
「任せて」
セレネが頷くと、傍らのハティが心得たとばかりにあたりを動き回る。
セレネはセレネで周囲の植生を覗きこんだり、地面の下生えの様子を確認していた。
十分も経たないうちに、茂みの向こうでハティがバウッと鳴く。
呼ばれたセレネがハティの元に赴き、足下を確認すると――
「あった。でかした、ハティ」
しゃがみ込んでいたセレネがハティを労った。
リオンたちがそこに向かうと、
「たぶんこれで間違いない。村の方から森の奥へと続いてる」
そこにあったのは、押し倒された下草と、なにか棒状のものが通ったようなあと。
「これは……なかなか大きな跡だな」
「通った跡でこれなら、胴体の大きさってパパよりも太くない?」
「たぶんそれくらいはある」
「んー。標準的な大蛇系魔獣で考えれば、全長は十メートルってところか」
非常に希少で幻とまで言われるツチノコという大蛇の極端な胴短体型をはじめ、皮翼をもっていたり背中に角があったり、あるいは|半蛇麗怪≪ラミア≫のような上半身が人族を模したものまで、一口に大蛇系魔獣といってもさまざまだ。
村に祀ってあった像から考えると、白神様は一般的に蛇と言って思い浮かべる姿をしていると思われる。
「す、凄いですね。たったこれだけの跡からそこまで判るものなんですか」
「冒険者にとって必須技能だからな」
その魔獣の大きさがどれくらいか、というのは重要な情報だ。
大体において、大きいものは単純に強い。
遭遇した場合即戦闘になるかどうかはまた別問題だが、相手の危険度を予測し、備え、状況によっては撤退の決断も必要になる。
「この場合地面に触れている幅で太さを、土のへこみ方で重さを予測しているわけだが……」
「ほかにも何か?」
「んー……ま、いろいろだ」
「はぁ……?」
リオンはあからさまに誤魔化した。
首を傾げたラングだったが気にせずリオンはセレネに声をかける。
「追えるか?」
「もちろん。|月の狩人≪わたし≫から逃げ遂せる獣は存在しない」
そう言ってセレネが立ち上がる。
大蛇の跡の匂いを嗅いでいたハティも答える様に一声鳴いた。
「さてラングさん。依頼の確認だ。俺たちは白神様とやらを確認次第、村から遠ざける形で蒼天連峰の奥へと誘導――場合によっては多少荒っぽい手を使っても。そして領主の山狩りを失敗に終わらせる。それでいいんだな」
「はい」
「……本当にいいのか? 今なら取りやめることもできるぞ」
もしラングがリオンたちにそんな依頼を出したと領主のエイブラハムに知られれば、ラングは捕らえられることになるだろう。ラングの死罪はおろか、反逆罪とみなされれば一族郎党、あるいはこのキリ村全体にまで累が及ぶかも知れない。
リオンはそれでも良いのか、と尋ねている。
「わ、わたしは」
一瞬顔を曇らせたラングだったが、それでも決然と顔をあげて答えた。
「わたしはしがない農民です。鍬をふるって畑を耕すしか能のない……強い力を前には頭を下げ、縮こまってやり過ごすしかないような弱い男です。でも、それでも……譲れないことはある」
「そうだな」
「それをリオンさんにお願いするのは情けない話ですが――お願いできませんか」
がばっとラングは頭を下げた。
頭を下げる程度のことで、ただちょっと知り合っただけ冒険者に、反逆罪の片棒を担がせようとしている。そのことを承知で、ラングは言った。
「ま、そりゃいいんだけどさ」
リオンはラングの肩を抱いて囁いた。
「いいか? 領主が山狩りしようとしている件、俺たちはメイから聞いた。だがそのメイは今日初めてクブの冒険者ギルドに訪れたことになってる。これがどういうことか判るかい?」
「い、いえ……?」
「メイから山狩りの話、聞いていないんだよ俺たちは」
「えっ」
「昨日の夜、ラングさんは白神さまについて俺たちに話した。メイはどうでもいいから街へと行った。興味を持った俺たちは森を探索し白神様を探したが、その結果白神様は青天連峰の奥へと逃げてしまった。そうだな?」
リオンが後ろにいたソーラとセレネに向かって言うと、二人は力強く頷いた。
「そだねー」
「領主なにそれ美味しいの?」
「相手は魔獣だし、追われれば逃げることもあるよね」
「仕方ないこと山の如し」
「アタシ知らねーし」
「それ二回目。お手つき。罰として今日のハティのオヤツ抜き」
「!?」
「ハティ関係無いよね!?」
近くの枝に止まるホルスが、我関せずとばかりに羽根を繕っていた。
「ま、いざとなったらラングさんはしらを切ればいい。俺たちでなんとかするからさ」
「そういうわけには!」
「気にすんなーって。ほれ、行くぞ」
そう言ってリオンは娘二人とその眷属を連れて、森の奥へと歩いていった。
†
「ふんふふんーん♪ ふんふふふーんふんふ♪」
リオン達は驚異的な脚力で森の中を駆けていた。
いつぞや狐人たちの隠れ家まで森を走ったことがあったが、その時よりも更に速い。平地を走る馬などよりも、よっぽど。
「ご機嫌だな、ソーラ」
隣を走る娘に、リオンが声をかける。
びゅんびゅんと景色が後ろに飛んでいく中、せり出した岩を飛び越え、張り出す木の枝を踏み台にしたソーラが楽しそうに答える。
「だって! 最近メイさんと一緒だったから! 色々と自重してたし! 久しぶりになんか、本気モードって感じだし!」
自重してたっけ?
前を走るハティとセレネは首を傾げたが、余計な事は言わなかった。
代わりに、
「右前方人型魔獣――矮鬼族二体。距離二十」
短く警告。
「あれね、任せて!」
その警告に反応したソーラは魔獣を確認すると、身を屈めたと同時に足元の石を二つ拾った。一切速度が落ちないのは流石というべきだろう。
そしてソーラはその石に金色の闘気を纏わせると、
「【陽拳・閃投(練習)】、せい――やあッ!!」
右と左、両手に持つ石を投擲する。
空気の壁を突き抜ける勢いで飛翔する石は木々の隙間を抜けて魔獣たちの元へと至り――その隣にあった岩を爆砕した。
「ギャ!?」
「ギギャア!?」
突然真横にあった岩が砕け散って、その石礫に身体中を殴打されたゴブリンたち。憐れ涙目である。
次の瞬間痛がっているゴブリンの側頭部を、銀色の矢が貫いていた。
「あらら、外した。惜しかったけどなぁ」
「ソーラには走りながらはまだ早すぎる。もっと基礎を修めないとダメ」
「修めるって、どれくらい?」
「瞬時に形のいい石を見極める修行、まず五年」
「修行長すぎくない!?」
「石に指をいい感じに掛ける修行、三年」
「長すぎるってば!!」
「でも――そんな修行」
次はセレネが石を拾う。
そして手首のスナップを利かせた鋭い動作で投擲。
飛翔した石は、三十メートル先の樹々の間に巣を張っていた巨大な蜘蛛、赤牢蜘蛛に命中していた。精確に頭を貫かれ、絶命する赤い毒蜘蛛。
威力はソーラに及ばないが、命中精度は桁違いだ。
「私には必要ないけど」
「むきー!」
ソーラは地団駄を踏んだ。
高速で疾走しながら地団太を踏むという、全く意味の無い高等技術である。
「おお、やるなセレネ」
リオンからしてみても今の投擲は見事だった。
そこで走りながら考える。
ここはひとつ、父親の威厳というものを見せるべきだろう。
そう考えたリオンは娘たち同様石を手に取ると、適当な獲物がいないか辺りを見回し――
「父さん、左前方四十メートル。四足型魔獣」
黒豹の魔獣がいた。大きな木の幹に張り付いて、地面にいるエサを狙っているようだ。
「よし見てろ――【雷術・雷穿】!」
一瞬にして強大な闘気が込められ、投擲される石。
紫電を纏いもはや雷そのものとなって空気を貫いた石は、見事黒豹の背中に着弾。豹と大木の幹を貫き、その後ろにあった岩をも貫き、ずっと後方の地面へと突き刺さる。そこで石に込められていた雷の闘気が爆発的に放出され、周囲の樹々や枝葉を無差別に雷撃。最後に音速を超えた際に発生した衝撃波が爆音とともに弾道周辺一帯を薙ぎ払った。
ギャアギャアと一斉に飛び立つ鳥たち。
そこに残ったのは空気の焦げた匂いと、粉々になった岩、樹木。パラパラと木片が辺りに落ちる音。黒豹の体など着弾の瞬間爆散し、跡形も残ってはいない。
「父さん。やり過ぎ」
「はっはっは、ちょっと力が入り過ぎたみたいだな」
「あれをちょっとという父さんも大概だと……ソーラ?」
一番最初に騒ぎ出しそうな姉が大人しい。
ちらりと振り返ると、何か思いついたような考える仕草をするソーラの姿があった。
「今の……そうだ、逆に考えるんだ。当てなくてもいいさって考えれば……」
今のリオンの一撃に、何か思い至ったことがあるらしい。そして、
「そうか! 思いついーーぶべぼっ!?」
木の枝に思いっきり顔面をぶつけ、ひっくり返るのだった。




