4-1 金の少女、はしゃぐ
「う! み! だァーーーッッッ!」
大きな岩陰を回り込むと、そこから目に飛び込んできたのは青い空――青い海。
遠くには大きな島が浮かんでいる。
それを見た瞬間、馭者台からソーラヴルは飛び出し、一目散に駆けだして行く。
街道脇の草むらを超えればそこは砂浜。砂に足を取られるのも気にせず波打ち際へ一直線だ。
「キャア、冷たい! あははっ!」
靴が濡れるのにも関わらず、波に足を洗い笑う金色の少女――その砂の中から、突如鋭い爪が突き出された。
隠遁切蟹、その名の通り、砂に潜みその鋭利な爪で、獲物の足を切り裂く大きな蟹の魔獣だ。横幅は一メートルを超えるが平たく、巧みに砂に潜るので事前に見つけるのは慣れたものでなければ難しい。
その巨大な蟹鋏は鋼の脚甲ごと足を切り落とす威力。毎年多くの犠牲者がでることで知られる、砂浜や岩場では特に注意すべき魔獣である。
だが。
「――あはっ!」
ソーラは不意の一撃を、まるで波と追いかけっこするかのように軽やかなステップで回避する。
「ピィィィ!」
そこに、上空から急降下する火の玉――もとい、炎を纏う黒い隼ホルス。
狙い違わず、僅かに隠遁切蟹からズレた位置に着弾。衝撃を受けて、飛沫と共に宙に跳ね飛ばされた蟹。
その瞬間、蟹は少女の笑顔を見た。
ここに来て哀れなこの蟹は、自分と少女、どちらがどちらの獲物であったのかを知る。
しかしもう遅い。
空中でひっくり返り、比較的柔らかい腹側の甲を晒した蟹は、
「――【陽拳・陽覇暴槌(弱)】!」
金色の輝きを纏う、少女の両拳を叩きつけられ泡を吹いて絶命した。
「パパーっ! お昼ご飯獲れたよーっ」
お腹から湯気を上げる大蟹を引き摺りながら手を振る娘に、呆れ半分のリオンが手を振り返した。
「いちお、あの蟹、初見殺しで有名な奴なんだけどねぇ」
幌から顔を出す旅の同行者メイ・オズが苦笑して言う。
「……ふあ。日中、あんなさんさん陽がさしている場所で、ソーラの不意を討てると思うのが間違い」
白い狼のハティに寄り掛かって眠そうにしている、双子の片割れであるセレネルーアが呟き、ハティがそうだそうだ、とばかりに尻尾を振った。
なお、海辺の砂浜や岩場で注意すべきと知られる隠遁切蟹であるが、非常に美味としても知られる。
硬い背中側の殻はそのまま火にかけることができるため、狩り慣れた冒険者たちは生きたカニ鍋と呼んでいたりする。
しかも海辺付近で食べていたらおかわりが向こうからやって来ることもあるという、非常にありがたい魔獣なのであった。
†
「ああ美味しかった」
「だな。久しぶりに食べたが、やっぱ良い出汁が出てるわこの蟹」
「おかわりもたくさん来た」
リビングカニナベ……もとい隠遁切蟹鍋を堪能した一行は、砂浜に手ごろな石を椅子代わりに、車座になっていた。
馬車を牽く馬にエサを与えていたメイが戻って来て、「それで」と尋ねる。
「この後はどういう道で王都トウヅに向かうんだい?」
「まあ陸路だろ。海路だと遠回りだし、馬車を乗せるなら大型船になるからな」
リオンの言葉に頷くメイと、首を傾げる双子の姉妹である。
「海路……船があるの?」
「ああ。でも遠回りなんだよ」
ソーラの言葉に、リオンは焚火の燃えさしを拾って浜に簡単な地図を描く。
ここトウヅ戦王国はクシュウ大陸の南部全域を支配する大国だ。そしてその地形は非常に特徴的な形をしている。中央部に内海があり、それに割かれるように左右に大きな半島があるのだ。
「そこの海……これを竜神内海と呼ぶんだ。それで、俺たちが今いるのは大体この辺りだな」
リオンが指し示すのは東のオスミ半島、竜神内海外縁東部の、丁度真ん中あたりである。
「王都トウヅは内海を挟んだ丁度対岸、ツマサツ半島にあるんだが……」
そう言いながら、内海の真ん中に丸印を書き込む。
「竜火島。あそこに見えるだろ、あの島だ」
「本物の竜神様がいらっしゃる、本当の神域さ。無数の竜が住んでいて、島に近づくと襲われちまうんさね」
リオンが燃えさしの先で指したのは、青い海の上に浮かぶ島だった。
大きな山がそのまま一つの島になっていて、その周囲を飛び回る無数の竜が見える。
その中心、山頂に近い場所から白い煙が立ち上っていた。
「あれは……火山?」
セレネルーアの疑問に、リオンは「そうだ」と答えた。
「島に住むのは竜神とその眷属である竜、僅かな数の巫女だけだとか。それで、竜神内海は外沿岸部でのみ漁師が船を出すことを許されてるんだ。トウヅ王家の船も、事前に許可取らないとダメなんだとかで」
リオンは描いた地図に、内海を渡る線を引いて、さらにバツ印を重ねた。
「うーん、それじゃ船は駄目なんだね。使えれば便利そうだけど」
ソーラの言葉にセレネが頷く。
正確に言えば、リオンと双子だけだったら船だろうが泳ごうが、あるいは空を飛んで何とかできるかも知れないがそれは言わない。
「東西の半島の先端を結ぶ航路だったら、竜神島から離れているから襲われないんだけどねぇ。ここからだと港まで遠いのさ。南下して、船に乗って、また北上する」
「返って遠回りになって、なら結局陸路で行くのが一番って話」
ぐるりと内海の外沿岸を指すリオン。
そこに、ソーラが疑問を呈した。
「あたしたちの目的地はユーフォーン魔導国でしょ。だったら、そのまま北上すればいいんじゃないかな」
「それも考えたんだけどなぁ」
外沿岸最北部にある、クブの街。
トウヅ戦王国の二つの半島の付け根にあって、様々な街道が行き交う重要拠点だ。
目的地であるユーフォーン魔導国は、トウヅ戦王国にとって北西にある。真っ直ぐ向かうのであればクブから北上するのが最も早い。
クブの街から内海沿いに三日ほど南下してすると、王都トウヅへと至る。
「王都トウヅには知り合いがいてな。しばらく無沙汰だったから挨拶しとかないと、トウヅに来たのに顔出さなきゃ睨まれるんだよ」
「へぇ、天下の勇者様にも頭の上がらない人が居るんだねぇ」
にやにやしながら|頭が上がらない人その一が言う。
リオンは肩を竦めた。
「そんな人ばかりさ……っと」
リオンはふと立ち上がり、振り返ると腰の剣を抜き放った。
パチリと紫電が弾ける――うん、良い感触だ、とリオンは思った。ここ数年使い込んで、ようやく馴染んできている。
紫電を纏う、青みを帯びる刃の剣を無造作に投擲。
剣はやすやすと、砂の下から馬車の馬を狙っていた隠遁切蟹の甲殻を貫いた。体内に迸った電撃に焼かれて蟹はホカホカと湯気と泡を吹いていた。
「凄い威力と切れ味だね。何か特殊な……伝説の金属の剣なのかい?」
「いや。頑丈さが取り柄の、鋼の剣さ。ただの数打ちのな」
そう苦笑したリオンは剣を拾い、メイに渡した。
「鋼、だねぇ。けど、色が変わって?」
「ああ。俺の闘気に馴染んだんだろうな。【雷術】を蓄える特性を備える様になるんだよ」
「えぇ……鋼でしょ? 聞いたことないさね、そんなの」
元々鋼は電気を通す。故に【雷術】と相性が悪い訳ではない。が、それも通電しやすいというだけの話だ。
魔法銀などは魔術や闘気と非常に相性の良い金属とされる。魔法銀で拵えた武器は使い手の魔力や闘気を通しやすくなり、技の威力が上昇する。メイの槍も柄の一部に魔法銀を仕込んであるものだ。
しかし鋼にそんな効果は本来存在しない。むしろどちらかといえば闘気や魔術を乗せるのに向いていない金属とさえいえる。
それが変質するというのは、本来あり得ないことに近いはずだ。
メイが呆れた顔をするのも当然のことだった。
闘気技――それも属性付与できる程の熟達冒険者であれば、普通は魔法銀の武具を買えるくらいには稼いでいるはずだ。
その熟練度で、なおも鋼の武器を使用する理由は全くないのである。
「パパも闘気で武器作ればいいのに」
「闘気伝導率100%。むしろ威力上昇」
ソーラが手に闘気を集めて、黄金色の手甲を具現化させる。
隣ではセレネが銀色の弓と矢を持って頷いている。
「アホいうな。媒体無しの闘気具現化なんか、滅茶苦茶しんどいんだぞ」
それを当たり前にやってのける双子が規格外なだけである。
「勇者やってた頃の剣は凄かったんだけどな。軽く振るうだけでそこらに雷落ちるくらいまで育ってたんだけどさ。異神討伐の時、無くしたんだよなァ」
執着は無いが愛着ならある。
当時のことを思い出して、リオンは遠い目をした。
「いやいやおかしいから。振るうだけで雷落ちる剣って、魔道具とかの話じゃないから。伝説とか神話級の武具とかそんなのだから」
メイが再び呆れた顔をした。
双子も大概であるが、この元勇者も大概規格外である。
問題は親子揃ってそのことに頓着していないというところだ。似た者過ぎる。
「ああ、でも……じゃあ、その剣って。そうだよね。形見なハズないよね。アンタが生きてるんだから」
と、メイが呟く。
「形見?」
セレネが尋ねた。
「いやね。リオンと一緒に旅をした異神討伐の英雄、剣士ヴィクターだけどさ。その後このトウヅの戦団に入隊して、メキメキ出世したんだって。今では第二戦団長だってことなんだけど……形見である勇者の剣を持っているんだって話」
「いや形見って。俺生きてるし」
そしてリオンは、首を傾げた。
「そもそも誰だよ、ヴィクターって」
その言葉に、一同は首を傾げた。




