3-32 銀の娘、宣言する
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戦い終えた、その日の夕方。
「ねえ、あれなんなの? そろそろ鬱陶しいんだけど」
「私に言われても困る」
走る馬車の馭者台。
並んで座るメイに話しかけられたセレネルーアが突き放すように言った。
メイが指さす方には、馬車の荷台の隅で膝を抱えてうずくまるリオンの姿があった。
そしてその隣には同じく膝を抱えるソーラヴル。
そしてその隣には同じくうなだれて座る白狼ハティ。
そしてその上、天井からぶら下がっているのは黒隼ホルスである。
全員から「ずももも」と音がしそうな感じの澱んたオーラが立ち上っている。
「父さんは、自分がソーラに偉そうに言ったくせにまんまと罠に引っかかったことで落ち込んでる」
びくりとリオンの背が跳ねた。
「あー、あれはねぇ……正直カッコ悪いっつーか、うん。その日の夜のうちに、だもんね」
止めを刺されて、コテンとリオンが横倒しになった。
「ソーラは?」
「朝起きたら全部終わってた。で、朝起きただけで全部終わらせた。それで落ち込んでる」
びくりとソーラの背が跳ねた。
「あー、あれはねぇ……正直なんつーか、うん。ちょっとコメントしづらい」
止めを刺されて、コテンとソーラが横倒しになった。
「結局、ありゃなんだったんだい? 朝になって|ソーラが目を覚ましたら《、、、、、、、、、、、》、結界が壊れたって言ってたけど」
「そのままの意味。ソーラは太陽の属性だから、夜には寝て朝に目覚める。ソーラは寝ている最中、もう一人の自分に襲われたりした?」
「……お゛そ゛わ゛れ゛て゛な゛い゛ぃ゛ぃ゛く゛っ゛す゛り゛ね゛て゛た゛ぁ゛ぁ゛」
「……忸怩たる思いが詰まってる声だねぇ」
メイが苦笑する。
ソーラが今言ったように、彼女はただ、ずっと寝ていただけだった。
真っ黒な空間も、自身の反身も無かった。
太陽とは、昼、生命、明を象徴する属性であり、夜とは対を成す存在である。
セレネが死睡の結界と相性が余過ぎてガッチリ嵌っていたように、ソーラもまた、相性が悪過ぎてガッチリ嵌っていたのである。
つまり、夜に寝るため、夢も見ることなくぐっすり寝た。
しかし、生の象徴たる太陽属性のため、自らを殺すネガティヴは発生しなかった。
そして、朝が来れば結界がどうであろうと目が覚める。
普段のソーラならば、頑張れば多少の夜更かしもできるのだが、あの結界の睡眠作用には一秒も抗うことはできない。それ自体は問題ないことだ、ネガティヴが発生しない以上、ソーラにとってあの結界は、ただ眠ってしまうだけのものだ。
問題は、朝になったら必ず目が覚めることにある。
「目覚めることが何の問題なんだい? この場合だと結界を解除する起点になるってことだろ、良い事じゃないか」
メイは不思議そうだった。
事実、朝が来てソーラは普段通りに目を覚ました。
その瞬間ソーラに近い位置から結界は音を立てて破壊され、亀裂は広がり、そして消滅した。ソーラと同じ部屋にいたメイもまたそれで目を覚ましたのである。
「結界は解除されたんじゃなくて、破壊された。それが問題」
「解除じゃない……ああ、そういうことかい!」
セレネの言葉にメイが合点が言ったとばかりに手を打った。
物理結界であれば、強引に破壊するのも一つの手段だ。例えば先日、リオンがミヤジヨの街で悪霊化したエスター・バトルを閉じ込めた【雷精結界】がその例だ。対象を指定範囲内に拘束する、それだけの効果しかない。物理的・魔術的いずれの方法でもよいので、結界を飽和させれば解除――もとい破壊できる。
しかし、精神に作用する結界はそう簡単な話ではない。
あの結界は魔術的に様々な仕掛けがしてあった。内部の対象をただ捕えていただけではないため、無理に破壊していれば、その仕掛けが暴発する可能性があった。
何も起こらなければいいが、精神に異常をきたしたり、ネガティヴを取り込んで暴力的な衝動に襲われたり自殺したり、結界効果と一緒に精神が破裂したりしていたかもしれない。
そして間違いなくソーラは朝になったら目を覚ますだろうとセレネは確信していた。
「だから私は術士から結界の術式を奪う必要があった。ソーラが目覚める前に、死睡結界を単なる睡眠結界にしなきゃならなかったから。だから相当無理した――無理したお陰で成長できたけど」
「あ゛た゛し゛は゛か゛わ゛っ゛て゛な゛い゛ぃ゛」
「ソーラは寝てただけ。私は頑張った」
どやぁ、とばかりに胸を張るセレネである。
そこはあんまり成長してないよねぇ、とメイは思ったが、セレネの名誉のため口には出さない。
「なるほど、わかるよーなわからんよーな。まぁ、セレネよくやった! ってことだね」
それで、とメイは続ける。
「ハティはどうして落ち込んでるのさ。冒険者ギルドに停めていた馬車に残して来たんだろ?」
「そう。ハティは月を追う狼だから、眠りの結界の効果には囚われなかった。それで冒険者ギルドにいた人たちの結界効果を解除して回っていたら、敵の一人に襲われた」
「ああ、さっき取り逃がしたとかなんとか言っていたのはそれかい」
カクン、とハティの頭が落ちる。
ソーラが起きると同時に結界に発生した異常を察知したオニーシムは、一目散に逃走した。ハティも追撃しようとしたのだが、それまでの戦闘で負った怪我のために断念したのである。
「で、ぶら下がってる蝙蝠……じゃなくてホルスは?」
「なにも無かった。宿で寝てて、起きたからと言って何もなく、今回の騒動に全く関与できなかった。だから落ち込んでる」
ぴぃ、と弱々しく鳴いたホルスが、ぽとっとソーラの上に落ちた。
「ホルス、ホルス!? しっかりして、傷は浅いよ!?」
「ピィ……」
「あなたは鳥よ! しっかり気を持って! 蝙蝠になんてならないで……ホルス!? そんな――こうもり……ホルスーーーッ」
「なんか小芝居が始まってるよ」
「無視していい」
「セレネちょっと今日、あたしの扱い酷くない!?」
ソーラの訴えはさっくり無視された。
「それで結局、しれっと街を出て来たけど……あの街はこのあとどうなるんだろうね」
「わからない。そこまで私たちが関わることじゃない」
「そっか。ま、そうだよね」
事件の首謀者であったアンフィーサもまた、ソーラの目覚めと共に結界から解放された。
だが、その時には既に精神が半ば崩壊していた。妖の力も失い、全裸で街の商館の只中で倒れていたところを保護されている。
街の領主が意味不明なうわごとを繰り返す一方で、隠蔽魔術が切れたため、結界の要となっていた子どもたちの死体が街中で見つかった。それでソーオの街は今頃大混乱に陥っていることだろう。
「館を捜査したら、もっと酷い証拠が出て来るかもな」
復活したリオンが、二人の会話に加わる。
リオン達は知らないことだが、アンフィーサが子どもたちを攫うのに使用した馬車や、親兄弟を害した証拠、それに死睡結界の設計図。それを捜査当局が発見するのは間もなくのことだ。
「私たちがこの騒動に関わっているってバレたら、領主を害したってことで手が回らないかい? そいつはちょっと勘弁なんだけど」
「大丈夫、それはない」
キッパリと、メイの心配をセレネが否定した。
「私と父さんは冒険者ギルドで執事の男と会って、領主の館に招かれた。でもその場にいた冒険者とか、館のメイドとかは全員簡単な暗示を掛けておいた」
「暗示?」
「私たちが領主の館に招かれたことを忘れてる」
最終的に結界を支配下に置いたからこそできたことだった。
「あんたらの名前は、誰に証言を聞いても出てこないってことかい」
「てことはこの事件、あのアンフィーサが街全体になにか仕掛けようとした結果失敗し、自爆して廃人になった、でお終いか」
「表向きはそうなる」
全貌を知っているのは、逃げた執事のオニーシムとこの場にいる者たちだけだ。
「領民の子ども五十人も攫って邪法結界の生贄にしたともなれば、カールトン家はお取り潰しだろうねぇ。アンフィーサは処刑か、生涯幽閉か」
カールトン家ほどの貴族家であれば、本来領民の数十人どうこうしたところでいくらでももみ消しようがある。だが、肝心の当主であるアンフィーサがあの状態となれば、もうどうしようもない。
残っているのはカールトン家傍系たちと縁戚のある別の貴族家による当主争い、あるいは領地の奪い合いといったところか。
どのような結果になろうと本家の血筋が途絶えたことと、事件の早期風化のため、カールトンの名前は残されないだろう。
「歴史ある貴族とはいえ、街ひとつ滅ぼしかけたんだ。自業自得としか言いようがないな。子どもたちの冥福を祈るばかりだよ」
結局リオン達や街の人々に害は無かった。
しかし犠牲となった子どもたちが戻ってくることはない。
「父さん。アンフィーサは、異神教団と繋がってた節がある」
「根拠は?」
「夢の中で、壊神に祈りを捧げてた。あと、あのバシュマコアと近いニオイがした」
「――そうか」
「執事を逃がしたから、あっちは確実に私たちのことを敵と認識した」
「異神教団ってアレかい? 西の方の、ヤバいって噂の宗教団体」
「そうだ。メイも知ってるのか」
「裏街での噂程度だけどね。そっか、街ひとつ落とすようなことするヤバい奴らだったのかい……」
メイの言葉に、セレネは頷いた。
目の前に伸びる道を、まっすぐ見つめる。
「本来死と眠りの世界は安らぎと救済の世界。だけど今回、奴らは夢と眠りを悪用して、延々と苦しみを生み出そうとしていた。その為に未来ある子どもたちの命を奪った」
静かに、セレネが呟く。
それは彼女からの、宣戦布告だった。
いや、売られた喧嘩を買ったというべきか。
「父さん」
「なんだ?」
「やめろって言っても聞かないから。夜の支配者として、私は奴らを許さない」
銀髪の少女は、そう宣言した。




