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3-31 銀の娘、安堵する



  †




「喰らうといい」


 そう言ってセレネルーアによって放たれた矢が、アンフィーサの眼前に迫る。

 しかしアンフィーサは余裕をもってそれを回避した。


「くっ!」

「不意打ちでなければ、フン。どうということもないじゃない」


 先ほどは何か隠蔽系の魔術を使用したのだろう。

 それも夢現にして夢幻の支配者であるアンフィーサには通用するはずもない。


「それならば――ッ!」


 苦し紛れか、セレネルーアは連続して矢を放った。恐ろしい連射速度。まともに受ければハリネズミのようになっているかもしれない。

 だが範囲制圧の攻撃は、その範囲から逃れれば良いだけのことだ。

 地面を蹴って横に逃れたアンフィーサは、ついでとばかりに石畳に爪を立てる。

 鉄をも切り裂く鋭い爪が石畳をやすやすと抉り、腕を振り抜くと石の散弾がセレネルーアに襲い掛かる。


「あああっ!」


 石礫に打たれて悲鳴を上げるセレネルーア。

 もはやお遊びは終わった。追撃と駆けたアンフィーサの爪がセレネルーアへと迫った。身を捩って何とか躱すセレネルーアは、躊躇い無く後ろへと飛ぶ。

 遠距離武器を使う以上、有利な距離を保とうとするのは当然のことだ。そのくらいのことは、武芸を嗜んだことのないアンフィーサにもわかる理屈だ。


「だったら――ッ」


 背中に生えた黒い翼は伊達ではない。

 その蝙蝠の翼は空中を打ち、アンフィーサを前へと運ぶ。


「その距離を潰せば良いだけのこと!」

「――!?」


 セレネルーアが空中へと飛んだ。立体的に動いて逃げようとする算段だ。

 だが、アンフィーサの超反応はそれを見逃さなかった。

 間髪入れない跳躍は飛翔となり、空へと逃れるセレネルーアへと肉薄する。


「まずは顔を切り刻んであげる」

「きゃああああ!」


 爪撃がセレネルーアの顔を襲った。

 血飛沫が宙に舞い、月光の下で赤く煌く。

 とっさに顔に手を当てるセレネルーア――すると胴体ががら空きになる。アンフィーサは容赦なく拳を突き立てた。

 痛みにあえぐセレネルーアの腕を取り、力づくで振り回す。ごきっと鈍い音がしたので肩が外れたようだが気にすることはない。

 そのまま腕を引っ張って急降下し、頭から地面に叩きつけてやった。


「…………ッ!」


 声にならないセレネルーアの悲鳴。嗚咽。顔は痛みと恐怖、そして切り裂かれて溢れる血と涙でぐちゃぐちゃだ。


「ふふっ、良い顔になったじゃない。けど、ちょっと頬骨の形が悪いみたい。私が整形してあげるわ。感謝なさいな」

「いやっ、止め――」


 ごつっ、と重たい音。アンフィーサの拳が、セレネルーアの顔に、胸にと降り注ぐ。手加減は一切ない。肉を打つ感触、骨が軋み折れる手応え。

「ぎゃあああ! いたい! いたい! 止めてぇ!!!」

「ああ、いい声で啼くじゃないの! もっと聞かせてちょうだい、ほら、ほら!」


 恍惚とした表情で、アンフィーサは拳を振り下ろし続けた。


「ふ、ふふ、あはは、はははは、あはははは!! あはははは!」


 ああ、なんと楽しいのかしら。

 くそ生意気な銀色女を壊す。潰す。

 その力が自分にはある。その力を振るうことを許されている。

 拳を振るう。肉が裂ける。

 拳を振るう。骨が砕ける。

 拳を振るう。血が飛び散る。

 拳を振るう。悲鳴が上がる。

 拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう拳を振るう拳を振るう拳を振るう拳を振るう拳をふるうこぶしをふるうこぶしをふるうこぶしをふるうこぶしをふるうこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしをこぶしを


 辺りが暗くなっていく。

 ドロドロとした黒い液体に包まれたような空間へと変わっていくことにも気が付かず、アンフィーサは両手を真っ赤な血に染めてなお、笑いながら拳をソレに叩きつける。もはや声は聞こえない。拳を落とすとびくんびくんと痙攣するだけだ。

 さらさらと輝く月の下、真っ黒の空間の中でようやくアンフィーサは攻撃を止めた。


「あはは、はは、はぁ、はぁ……私に向かって生意気な口を聞くからこうなるのよ」


 額に流れる汗を拭って、アンフィーサはソレの首を掴んで起こす。


「さぁ、どんな面白おかしく無惨な顔になったか見せな……さ…………」


 そこにあったのは銀髪クソ女の顔ではなかった。

 光を帯びた翼ではなく、真っ黒な蝙蝠の翼を持っている、扇情的に肌を露出している女性の、グシャグシャになった顔だった。

 ぐしゃぐしゃに潰れ、抉られ、骨どころか脳まで見えている――金髪の……何故か残っている片目は、毎日鏡で見ている目だ。

 上顎のない、完全に口腔が破壊されたソレが嗤う。


「残念。ワタシ(アナタ)でした」


 その片目に映るアンフィーサの顔は、アンフィーサの顔こそぐしゃぐしゃに――


「わた、わたしッ じ、じ、自分で――――――――――ッッッッッッ」


 声にならない悲鳴が響き渡る。

 激痛が、痛みなんて言葉では言い表せないじゃない、とにかく強烈な痛みが顔面で爆発した。

 それを見ているのは、さらさらと(、、、、、)輝く月だけ(、、、、、)の閉じた世界――。

 

 残酷な誰かが、どこかでくすっと笑う。

 嗤う。

 哂う。




  †




「ええと、これは……なにが、いったいどーなっつん?」

「父さん。お腹減ったの? 食べる?」


 背中まで届く銀髪の、十七歳くらいの少女が【無限収納】のなかからドーナッツをとりだしてリオンに勧めた。


「ありがとう……いやそうじゃなくてだな。説明をくれ、説明を。いろいろと」


 目の前の美しい銀髪に銀眼の少女が、双子の娘の片割れであるセレネルーアであることを、リオンは疑っていなかった。

 これまでも何度か、何かの拍子で何歳分かを突然成長していた二人である。驚きこそしたが、疑う必要など何もない。

 だがそのきっかけくらいは知っておきたかった。


「どうしてそう(、、)なった?」

「簡単に言えば同属性の強敵に勝った。それも相手の力を取り込む形で。だから成長した」

「なるほど、わからん。そういうものなのか?」

「そう。そういうもの」


 だがリオンも、双子の娘を育てて二年以上。

 この二人の生態が謎なのは、卵から生まれて来た時点で判り切っていることだ。割り切るしかないのである。


「よろしい。ではもう一つ、アレは一体なんなんだ」


 リオンは、ぶち抜かれた壁の向こう、外の地面の上でなにかのたくっているアンフィーサの姿を指示した。

 身体をあられもない服?で覆って?いるので非常に目のやり場に困る。

 だがもっと困ったことに、アンフィーサの目は焦点を失っていて、話しかけても答えてくれないのだ。

 時折びくんびくんと跳ねたり、地面の上でうねうねしたり。

 雨のせいで辺りは泥だらけなのだが、気にする余裕は無いらしい。お陰で扇情的なその姿も背中に生えた蝙蝠の翼も泥だらけとなってしまっている。


「アイツが黒幕だった、ってのはわかる。この結界を用意したのも。それで、セレネが戦って、勝った……んだよな?」

「そう」

「じゃあどうして結界は解けない? 結界が解けてないのにどうして俺は目を覚ました?」


 普通、起動した術士の意識を奪えば結界を維持できなくなる。

 これほど巨大な結界ならば、魔術的要点さえ安定したなら術士は必要なくなるが、この結界の性質上術士の存在は不可欠だ。奪った生命力の制御をしなければならないからだ。


「父さんは私が起こした。そしてこの女は、まだ意識を失ったわけじゃない。私の術にハマって結界の効果にハメた」

「具体的には?」

「具体的には反身(ネガティヴ)ではなく、分裂した自分自身(オリジナル)と殺し合ってる。認識してないだけで根っこは繋がってるから傷も痛みも全部自分に返って来るけど止まらないし止められない」

「うわぁ……」


 双頭邪犬(ケルベロス)の二つの頭が互いに噛みつき合うようなものだ。

 つい先ほどまで似たような状況に陥っていたリオンである。同情はしないが少なからず思うところはあった。


「結界はどうなってる?」

「この女と戦い始めて最初の一撃で、私はこの女と魔術回路のパスを繋いだ。その後はこの女を結界の効果に引き込みつつ、結界の術式を掌握した」

「つーことは、今、街を覆っているこの結界は、セレネが制御してるのか!」

「同属性だからできた。普通はできない」


 心なしかどや、っと胸を張るセレネである。ちなみに体格は成長したが、どことは言わないが慎ましやかなサイズなのは変わらない。

 ちなみに結界の乗っ取りなど、同属性でも普通はできない芸当である。

 軽く額に手を当てたリオンだったが、すっぱりと考えを切り替えた。

 この双子が規格外なことなどよく知っているからだ。


「他の住民たちに危険は無いんだな?」

「それは大丈夫。自己攻撃と生命力流出の効果はストップしてる。代わりに心的ストレスを吸い出しすように調整しておいた」

「つまり?」

「朝までぐっすり快眠。今までの不安や心配が全部無くなって、希望に満ちた新しい朝を迎える」


 言われてリオンは、辺りに転がっていた男をみた。

 この商館の職員は何か幸せな夢を見ているのだろう、笑顔で寝こけていた。


「なるほど。じゃあその心的ストレスとやらはどこに行くんだ?」

「アレに行く」


 アレ、とセレネはビクンビクン痙攣しているアンフィーサを指した。

 その結果が精神世界で延々続く自己との殺し合いである。


「自業自得とは言え、数万人の住民のストレスを流し込まれているのか……そりゃ目も虚ろになるわ」


 流石にそれは、ちょっと同情した。

 ちなみにリオンは勘違いしているが、結界の効果は結界内の生命全てに及ぶ。人に限らず、犬猫、虫、魚にいたるまで生き物全部である。

 その全ての痛い、苦しい、辛い、怖い、といった感情を全て受け止めているのである。精神が保つはずがない。

 もっとも、本来の効果をそのままアンフィーサに送りつけているだけでもある。自業自得といえばそれまでだ。

 セレネが、東の空を見る。

 薄明の空。間もなく朝になる――


「よかった。間に合った」


 そう言ってセレネは、心の底から安堵の言葉を呟く。

 いま、街を覆う結界を支配するセレネは、冒険者ギルドの方から、次第に結界が無効化され、壊れていくのを感じていた。

 奇しくも冒険者ギルドは、街の東側にある。

 その向こうから太陽が昇り始めるのだ。

 夜が明けて、夢から覚める時間が来る。






補足:

アンフィーサが壊れないのは、壊神によって生まれ変わった肉体は恐怖や苦痛の感情自体を糧とするようになっているから。そして得た負の精神エネルギーを元に延々自分自身を殺し壊し続ける状態。結界が解かれるか、結界内に囚われている生命体のストレスが完全にゼロになるまで続くが、街ひとつ分の全員のストレスがそう簡単に消費できる訳もなく。


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