3-30 銀の娘、覚醒する
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アンフィーサが放った貫手はリオンの顔を貫いた、はずだった。
しかし返って来たのは硬い床を穿つ手応え。
「――ッ!?」
目を剥いてみれば、そこにリオンの姿は無かった。
「……間に合った」
背後から、やれやれとばかりに疲れの滲む声がした。
振り返れば、銀髪の少女が――窓枠を掴んで身を起すところだった。
「貴女はリオンの娘の……セレネルーア」
アンフィーサは、油断なく身構えながらセレネの方を見た。
「貴女。どうやって死睡結界の効果から抜け出したの? 一度囚われた生命が、目を覚ますなんて不可能よ」
「不可能じゃない。現にこうして私は起きた」
「減らず口を……」
言いながらもアンフィーサはセレネを観察し、あることに気が付いた。
銀色の少女は、全身傷だらけだった。
それに気が付いた時、アンフィーサははっと思い出すことがあった。
「死睡の結界――一つは抵抗、一つは多重存在、もう一つは――まさか、貴女……反身を飲み込んで……!?」
「正解」
セレネルーアがあの黒い夢の中で行ったこと、それは吸収同化だった。
「生命力と恐怖の感情を吸収する魔術回路に私の魔力を流して侵入して、そこからネガティヴを飲み込んだ。ネガティヴはこの結界の一部だったから、効果を無効化できた」
そんなこと、出来るはずがない。
そう否定しようとして、アンフィーサはできなかった。
こうして一度結界に囚われた者が目を覚ましているのだ。一部とはいえ結界を乗っ取られてでもいなければあり得ないことだった。
「でも、その恰好は……あはは、貴女、バカなのね」
だからこそ、だ。
セレネルーアが全身傷を負っている理由は、自身のネガティヴを飲み込み同化したからだ。
「ネガティヴを吸収するために、アイツらを徹底的に破壊したのね。再生中の方が吸収同化しやすいから。けど現実の肉体に、そのフィードバックが起こったのよ」
催眠術をかけた相手に、ただの木の棒を「熱した鉄の棒」と思い込ませて押し付けると肌に火傷を負うことがある。火傷したと思い込んだ精神が、肉体の方に火傷を発生させて帳尻を合わせたのだ。
ネガティヴはセレネルーアの精神的現身だ。
それを叩きのめして飲み込んだことで、ネガティヴの受けたダメージをセレネルーアの精神が受け入れ、肉体にフィードバックさせたのである。
「のみならず、夢の中の戦いとは言え精神は疲弊するわ。せっかく目覚めることができたのに、貴女もう精神的にも肉体的にも限界じゃない。そんなフラフラで、一体なにをしようっていうのかしら?」
「決まってる」
銀髪の少女は、挑発的な笑みを見せた。
「オバサンを叩きのめして、この結界を止める」
「オバ……できるものならやって見せなさい!」
その言葉を聞いて、アンフィーサが踏み込んだ。
彼女の身体能力は既に人外。細く妖艶な肢体には恐るべき膂力が隠されている。
床を蹴り割る勢いでの踏み込み。満身創痍のセレネはなんとか反応し、両腕を顔の前で交差させた。構わず叩きつけられるアンフィーサの拳。
「ハァッ!!」
「――ッッ!?」
轟音。
セレネの小さな体躯はその威力を受け止めきれず、背後の窓、いや壁ごとぶち抜いて外へと吹き飛んだ。
「ふん、誰を叩きのめすですって?」
外、吹き飛んだ瓦礫へと向かってアンフィーサが勝ち誇ったようにいう。
彼女は武芸を修めた訳ではなかったが、力任せの一撃に確かな手応えを感じている。
可哀そうにあの娘、両腕ごと顔が潰れてしまったかも知れないわ。でも仕方無いわね、この街の支配者である私に逆らい、暴言を吐いたのだから。
そんなことを考え、今までの非力とは違う自らの力に満足を覚えながらアンフィーサも壁の穴から外へと出た。
さぁ、と風が吹いて、その金髪を揺らす。
「あら、雨が止んだのかしら」
何気なく呟いたアンフィーサは、それが何を意味するのかを思い至って、ぞっとする。
この雨は、結界の補助魔術だ。人の命を奪うような力は無いが長時間雨音を耳にすることによって精神防御を緩ませる効果がある。領内の村から子どもたちを攫う際にも、村人たちの注意を散漫にさせるために使用した。
術士はオニーシム。
「オニーシムに何かあったの?」
訝しむアンフィーサの目の前で、風が渡り雲が晴れていく。
流れる雲の隙間から月の光が差し込んで――流れていく土煙の中から、柔らかな光を湛えた、一対の翼が現れた。
「あなた……」
銀髪の少女が、背に翼を生やした銀髪の少女が身を起す。
「何者なの?」
つい先ほど、殴り飛ばした少女だ。面影がある。
だが全身傷付いていたはずだ。というのに、衣服から伸びる手足に、傷ひとつ無いのはどういうことか。
いや、それは強力な回復魔術を使用したのであればまだ納得できる。
だがアンフィーサの目を引いたのは、そこではなかった。
肩まで届く銀髪は、背中まで届いていた。
アンフィーサが見下ろしていたハズの身長が、ほとんど同じくらいになっている。
歳の頃は十七歳くらいだろうか。
月の光に祝福されるように柔らかな燐光に包まれる、成長した少女がそこにいる。
銀の瞳にけだるげな気配を纏う、銀髪の少女が手足の具合を確かめるように伸ばしながらもアンフィーサを見た。
「セレネルーア。自己紹介なら会った時にした」
「うそ。いつの間に――別人に入れ替わったの?」
とっさにアンフィーサはそう返した。別人だなんて思っていない。だが、纏う存在感が全くの別物だ。桁違いと言っていい。
「別に信じても信じなくてもいいけど」
セレネルーアの手に、いつの間にか弓が現れていた。精緻な装飾をあしらった、月光の光纏う銀の闘気弓。
アンフィーサの目には、それがいつの間に出現したのかも、いつの間に矢を放っていたかもわからなかった。
「―――ッッ!?」
気が付いた時には矢が放たれて、眼前に迫っていた。額を射貫かれなかったのは人外の反射神経のお陰だ。僅かに顔を傾けることができた。頬を切り裂かれるに留まったのは幸いだったか、それとも。
「私の顔に、傷を」
「戦いの最中にぼーっとする方が悪い」
アンフィーサは気を抜いてなどいなかった。
それはつまり目の前の銀髪クソ女にとって、アンフィーサの気構えなど隙同然という宣言であり、つまり至高の神によって与えられた力への侮蔑である。
「殺す。全身の骨を叩き潰して、全部の歯を抉り抜いて、顔を切り刻んで殺してやる」
その言葉を聞いた銀髪クソ女が鼻で笑う。
「できないことを言うものじゃない」
「クソガキが」
アンフィーサが再び突撃し、二人の戦いの第二幕が始まった。




