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3-29 白狼、吼える



  †



「……いったいなにが起こっているの!?」


 アンフィーサ・ヴラヴィノア・カールトンは、死睡の結界の中で声を荒げて叫ぶ。身を濡らす雨が鬱陶しくて仕方ない。

 苛立ちの原因は、結界の効果にあった。


「さっきまで順調そのものだったのに――生命力の流入が減ってきている……?」


 一部の冒険者や騎士など、一定以上の精神力の持ち主が自身の反身(ネガティヴ)に抵抗することは予想できていたことだ。だが、そもそもネガティヴは本人と同等の能力を持つ。拮抗することはできても、圧倒することは難しいはずだ。

 となれば、倒すことのできないネガティヴの方が時間経過で有利になっていくのは明白である。


「なのに――なのにどうして!?」


 異変は先ず、一部の住民の生命力流入が停止したことから始まった。

 冒険者ギルド周辺からの流入が殆ど停止状態になっている。

 その性質上、自我が薄い赤ん坊や虫のような存在にはネガティヴは発生しえない。故にそう言った対象からの生命力は殆ど入ってこない。衰弱を待つばかりだ。

 だがそうではない、もう少し強い自我のある生き物――縄張り意識や家族に対する感覚のある犬猫などには、ネガティヴが発生し、互いに攻撃し合う。

 また攻撃されれば反撃よりも逃避を選ぶ性格の者であっても、ネガティヴは攻撃的になるように設定してある。閉じた世界において、ネガティヴの攻撃から完全に身を守るのは不可能だ――というのに。


「オニーシム!」

「心得ております、お嬢様」


 背後に控えていたオニーシムが一礼し、その姿が消える。

 

「まったく、冗談じゃないわ。この私が教団の幹部になる、その記念すべき第一歩だというのに……!」


 オニーシムが彼女の腹心となったのは三年前のことだった。

 以来、陰に日向にアンフィーサのことを支えてくれている。

 この世界の真実に気付かせてくれたのも、永遠の命と美貌を維持する方法を教えてくれたのも。領兵の意識を操作する手段を教えてくれたのも。

 愚鈍な両親と兄弟を病気に見せかけて葬り去ってくれたのもオニーシムだ。

 お陰でアンフィーサは全てを手に入れた。 

 冒険者ギルドの辺りで何が起きているのか不明だが、オニーシムに任せておけば間違いは無い。アンフィーサはオニーシムのことを信頼していた。

 いらいらとしながらも、アンフィーサはオニーシムの帰参を待つ。

 さほどかからず戻ってくるはずだ……と思っていたアンフィーサだったが、更なる結界の異常を感知した。

 冒険者たちが抵抗を示すだろうと思っていたが――そのうち、三名から異常な反応があった。

 アンフィーサは気になり、結界を精査する。 


「……なにこれ……一人は凄く暴れてる。苦手な存在を呼び出した上で叩きのめすはずが、逆に一方的に殺し返されてる!?」


 しかしその大暴れをしている者も、生命力を絞り出すような技を繰り出しているようだ。ネガティヴの再生にも消費はあるが、差し引きでは然程問題はないと思われた。


「けど、この男……これは? ネガティヴが完全に乗っ取られている? 二重存在(ドッペルゲンガー)が精神世界で実現するのに使用されたの!?」


 どういうことかと鋭い目つきで、アンフィーサは目の前にある商館を見た。

 異常を示しているのは、他でもないリオンとか言う冒険者だ。


「舐めて掛かったつもりはないわ。バシュマコアを撃退した男だもの。けど、結界に捕らえたことで油断したかしら」


 まあいい、とアンフィーサは頷く。

 死睡の結界ではどうしたって殺すのに時間がかかる。

 その分より純粋な恐怖と苦痛の感情に満ちた生命力を絞り出す構造だからだ。


「生命力を奪えなくなってしまうけど、不測の事態(イレギュラー)は不要だわ。直接殺してしまいましょう」


 そう考えたアンフィーサは、咎める者のいない扉を潜って商館へと入る。その窓に映る自分の姿をアンフィーサは見た。

 局部のみを隠し、露出した白い肌を雨が伝って滑り落ちる。その姿に宿る妖艶さ。蝙蝠の翼と蛇の尻尾が生えていたとしても、多くの男の目を捕らえて離さない美しさがあった。

 だが、その肢体を見ることのできる者は残らず死の眠りの内だ。

 その事実に覚える満足と、僅かな不満。

 もっとも有象無象の人間(イケニエ)に見られた所で嬉しくもない――この美は全て、壊神に奉げるものなのだから。

 そんなことを考えながら、程なくアンフィーサは目的の場所についた。意識を失い眠る男――冒険者リオンを見る。

 唸るように眉根を寄せる寝顔、時折ぴくりと手足が動くのは、黒い夢の中で自らの二重存在と戦いを繰り広げているからか――術士として一体何が起きているのかはっきりとさせたいところだったが、そんなことより成すべきを選ぶ。


「それではお休みなさい」


 死ねばその魂は壊神に奉げる供物となる。

 黒い液体に包まれ鋭く尖った右手の貫手、救済の一撃をリオンの顔に叩き込む――。


 

  †



 アンフィーサの命を受けたオニーシムが冒険者ギルドに辿り着くとすぐに、異常は察知することができた。

 冒険者ギルドは基本的に一日中誰か職員が滞在している。また仮眠室なども存在している。なにより、夜通し酒場で騒ぐ冒険者たちが居る――その全員が死睡の結界による眠りに落ちていた。


「ですが、顔が……」


 安らかな眠りだ。アホ面晒して涎を垂れている者すらいる。

 喉を掻きむしるような、痛みを堪えるような、涙を流すような――そんな苦悶の表情が一つも無い。

 それはつまり、死睡結界の『死』の部分だけ効果が無効化されているということだ。

 その異常性。


「結界が破られた? それだったら街全体の結界が効果を失うはずですが……それもありえない仮定ですが」


 巨大結界は、起動自体が大変だ。

 多くの祭具を用い、それらを配置し、術を起動するために多くの魔力を必要とする。

 しかし一方で、一度起動すればその巨大さと強力さ自身で安定するという性質もある。

 オニーシムは眠りこける冒険者を調べ、疑問を覚える。


「街ひとつを覆う結界――無垢な生命力五十人分でようやく発動した(、、)この結界を、力技で破るでもなく、一部だけ無効化するなど」


 強引に破ってしまえば、反動がどうなるか不明だ。恐らく術者であるアンフィーサはもちろん、被術者である街の住民にも良くない影響が出るだろう。

 だがこの冒険者ギルドにいる者たちは、結界に捕らわれながらもその効果だけ無効化(キャンセル)されている。

 それも十数人が無効化されて、ようやく術士(アンフィーサ)が気が付くほどの静けさで。

 例えるならば、着ている本人に気付かれずに衣服を切り裂き、かつ違う色の布で継ぎはぎ(パッチワーク)して、しかも着心地に違和感を覚えさせない――そんな行為だ。


「そんなことをできるはずなど――ッ!?」


 オニーシムは気配を感じ、咄嗟にその場を飛びのいた。

 さらに床と壁を蹴って宙へと逃げる。

 オニーシムを追って壁を蹴るのは――


「白い狼!?」


 牙を剥き出しにする狼に驚愕するも、オニーシムは天井の照明を掴んで身体を引き上げた。その直後、狼の噛みつきが自身の足があった空間を空振る。


「――何者!?」


 驚きつつも狼の着地点に向かって、オニーシムは懐から二本のナイフを引き抜きざま投擲。しかし獣の反射神経はその速度を上回り、ナイフは床に突き立つのみだった。


「グルルゥ……バウッ!」


 狼がオニーシムに向かって吼えた。

 

「――ぐっ!?」


 獣の咆哮など、壊神に心身を奉げたオニーシムには脅しにもならない。

 ただの獣の咆哮ならば。

 照明具から天井の梁へと飛びついたオニーシムの心に、本来あり得ない動揺が生まれていた。


「心を揺さぶり、本能的な恐怖を呼び覚ますだと!? 精神魔術を乗せて――魔獣が紛れ込んで? いや」


 この結界は、出入り自体を封じてはいない。内部にいる者には死に至る眠りを強制するから必要ないのだ。だから結界起動後に魔獣が入り込むことはできる。

 しかし同じく壊神の力を取り込み変質しているとは言え、魔獣もまた生きているもの。眠りに捕らわれ、こんな場所で動き回ることなどできないはずだ。

 そしてようやく思い出す。

 バシュマコアを撃退した者たちの中に、白い狼を使役していたという情報があったことを。


「それがこの狼か! だが――なぜ死睡結界に捕らわれていない!?」


 瞬間、オニーシムの脳裏に様々な仮定が生まれる。殆ど不意打ちのように精神動揺の魔術を食らったため思考がまとまらない。しかし直感的に思いついたのは、


「最初から囚われていなかった? 属性が同じならば――この狼が!?」


 冒険者ギルドの中にいた者たちの、結界効果のみを無効化した。

 まさか、信じられない、あり得ない。

 状況を否定する言葉は――意味は無い。

 事実として、現実に、そう(、、)なのだ。

 事態の解明は後だ。

 良くないことが起きている――アンフィーサの元へと行かねばならない。

 この時オニーシムは、アンフィーサの傍を離れたことをはっきりと失策だったと認めた。

 この狼の飼い主が、結界の術士(アンフィーサ)の近くにいるはずだから。


「グルル……」


 だが、この場から逃がさないとばかりに白狼は梁の上のオニーシムを見上げ、唸り声を上げている。


「犬っコロ風情が――!」

「バウッ!!」


 殺気を撒き散らす、黒い執事と白い狼は同時に互いに向かって跳躍した。






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