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3-26 銀の少女、毒づく





  †




「ふふ、バシュマコアが撃退されたと聞きましたのに、他愛の無いものです」

「所詮は戦士系ということでしょうか。多少の魔術抵抗は持っていたにせよ、街ひとつを覆う極大魔法陣に抗することなどできますまい――我らが神でもなければ」


 深夜。

 起きている者が誰もいないソーオの街角を歩きながら、女領主アンフィーサ・ヴラヴィノヴァ・カールトンは傍らに控えるオニーシムと笑みを交わす。

 老若男女、誰もかれもが眠りにつく街。

 酒場を覗けば酔客も店員も。

 宿屋を覗けば客はもちろん馬車馬も。

 冒険者が連れる魔獣。ふてぶてしく生きている野良猫。残飯を漁る野良犬。貧民街の犯罪者。屋根裏をねぐらにする鳥。川で泳ぐ魚。虫。

 生きとし生けるもの、魔法陣の内側にいるもの全てが眠りへと落ちていた。

 そして――


「ふふふ、力が……命が流れ込んでくるのが分かりますわ。ああ、なんて美味なのでしょう……!」


 アンフィーサが身を捩り、身体を震わせる。

 薄い衣服が雨に濡れて身体に張り付き、おそろしく扇情的だ。


「うふ、ふふふ。我がソーオの街の住民を丸ごと、我らが神に捧げることができるこの好運。領民たちも本望でしょう」


 このソーオを覆う魔法陣には、二つの効果が組み込んであった。

 一つは強力な誘眠作用。

 もう一つは、眠る者たちの生命力を少しづつ吸い取り、術士であるアンフィーサの元に集める作用だ。


「ソーオの街の住民の数は、何人だったかしら」

「およそ二万と五千でございます、アンフィーサ様」

「うふふ。ただの人間と言えどそれだけの数の魔力、生命力。搾り尽くせば膨大な力となるわ。我らが神の復活も早まりますわね」


 ああ、と感極まった声でアンフィーサが叫ぶ。

 濡れた衣服は湧き上がる魔力に冒されて融け、形を失う。

 雨に濡れて全裸となったアンフィーサだが、その肢体に纏わりつくように黒と紫の衣服――いや、局部を僅かに隠すだけのようなどろりとした液体が現れた。

 背には同じ色の悪魔の翼。

 肌には邪悪を示す紋様。

 そして側頭部には下向きに巻くような角が生える。 


「我らが神、壊神よ。この世界を破壊し、失わせ、虚無の中に新たなる創世を――ッ!!」


 異神教団、吸命喉のアンフィーサ。

 文字通り悪魔に自身の命を売り渡した――あるいは邪神に他人の命を売り渡す少女は、雨に煙る死睡の街の中で恍惚とした笑みと共に、破滅の神に祈りを奉げる。

 そんな彼女を、オニーシムは変わることの無い笑顔のままで見守っていた。




  †




 何もない空間――だというのに、そこは黒く、闇に塗れ、そして纏わりつくように重かった。それはまさに、どろどろの悪夢だった。

 この闇の揺り籠の中、意識もなく呻きながらただ生命力を奪われ続ける空間である。

 常人であれば、だが。


「最悪。最悪、最悪、最悪」


 面白くなさそうに、彼女はそう吐き捨てる。

 銀色の髪の少女――セレネルーアだ。

 日中であればいつも眠たげ、表情に乏しい彼女が、今はハッキリと怒りを顕わにしている。それはこの罠を仕掛けて来た敵に対してであり、何よりも自分自身に対しての怒りだった。


「最悪、最悪、最悪……ふん」


 なにが最悪かといえば、これが夢に関わる魔術であることだ。


『最悪――そう、最悪』


 声がする。幻聴ではなかった。

 確信をもって振り向いたセレネは、そこに立つ人物を見た。

 それは歪んだ輪郭を持ち、肌の色も髪の色もまっ黒な、しかし見間違えることのない姿――セレネルーア自身がいた。

 上下左右の区別すらできない異空間で、セレネルーアは歪な自分自身と向き合う。


『全く、自分自身が嫌になる。アナタだってそう』


 裏転(ネガティヴ)のセレネがいう。皮肉、あるいは自嘲気味に。


「うるさい。鬱陶しい」

『うるさいなんて耳を塞いでも無駄。私はアナタ(ワタシ)だから』

「アナタは私じゃない。この魔法陣が生み出した反存在」

『その通り。でもそれでも私がアナタ(ワタシ)を元にされている事は事実』


 ネガ・セレネは嘲りを含んだ声で続ける。


アナタ(ワタシ)は憤っている。何に対して? よりによって夢と眠りに関わる魔法陣の存在に気が付かず、その罠に嵌ってしまった自分自身に対し――』


 口上を最後まで聞かず、セレネは瞬速で生み出した銀の闘気弓を引き絞り、ネガ・セレネの顔面を撃ち抜いた。

 だが、


「――効果なし」

『当たりまえ。自分自身の攻撃が自分自身に効くはずが無い』


 液体のように飛び散った顔は、瞬きする間も無く再生していた。

 醜悪にネガ・セレネが笑う。そしてセレネと変わらぬ速度で、漆黒の弓から矢を放った。


「……ッ」


 間一髪でかわす――が、その一矢は僅かにセレネの頬を掠めていた。

 セレネの白い肌に、血がつたう。


「最悪。醜悪。悪趣味が過ぎる」

『ふ、うふふふ』


 仏頂面のセレネと、どこか恍惚とした表情のネガ・セレネ。

 二人はどろどろの悪夢空間の中を、互いの背後や死角を得ようと目まぐるしく動き回り始めた。

 牽制の矢が相手の動きを阻害し、生まれた隙に叩き込まれる本命の一撃。


『は、ははは! 流石はアナタ(ワタシ)! もうこの魔法陣の全容を解明してる! 流石だけど、アナタ(ワタシ)にはどうしようもない!』

「……うるさい。だまれ」


 さらにセレネの矢がネガ・セレネの身体を穿つ。

 だが実態が存在しないネガ・セレネの身体は、いくら傷がついても水が流れ込む様に元に戻ってしまう。

 しかしネガ・セレネが放つ攻撃はセレネの身体を傷つけ、血を流させていた。

 流れる血雫は宙に溶け、消えていく。

 その度にセレネは自分の中から体力が、魔力が、闘気が、生命力が失われていくのを感じていた。


『そう。アナタ(ワタシ)は私を殺すことも傷つけることもできない。でも逆はできる。そして失った血は命の精髄(エッセンス)として、我らが神に奉げる供物となる!』

「それでわざわざ、少しずつ傷つけてじわじわと嬲るようなマネをしている。悪趣味」

『ふふ。例えどんなに悪趣味で嫌がろうと、アナタ(ワタシ)はそれをとめることが出来ない』


 顔面を三本の矢で貫かれながら、ネガ・セレネが笑う、哂う、嗤う。


『だってアナタ(ワタシ)は死、夢、精神、夜、月の属性だから。この死睡の魔法陣とは相性が良すぎて、がっちり嵌って自力で抜け出せない!』

「ふん」


 面白くなさそうに鼻を鳴らし、飛んで来た矢を交わす――だが、全く別の方角から飛来した矢が、セレネの脚を掠めた。

 矢が飛んで来た方向を見れば、二体目のネガ・セレネの姿がある。


『残念。もしアナタ(ワタシ)が魔法陣の外にいたならば、介入して支配権を奪うこともできた』

『でも内部にいたアナタ(ワタシ)では身動きが取れず、こうして嬲られ、絶望と恐怖に浸り、命を抽出されて死にゆくしかできない!』


 いつの間にか現れた三体目のネガ・セレネ。

 セレネを取り囲んでその周囲をくるくると回る。

 飛び交う矢――しかし一撃一撃の狙いが甘い。ギリギリセレネが避ける事ができるかどうか。言葉の通りに嬲り殺しにするつもりだ。


「こうやって少しづつ嬲って、心を折ってから殺すつもり? 何時間もかけて?」

『すぐに殺しては面白くない。それに命に雑味が混じる』

アナタ(ワタシ)の命が尽きるまで、何時間でも、何日でも掛けて痛めつける。恐怖、悲嘆、苦痛、絶望。あらゆる負の感情を搾り尽くしてやるから楽しみにするといい』


 それを聞いて、セレネの目がす、と細められた。


「……面白くもない。下らない」

『負け惜しみ』


 延々と永遠と続く嬲り殺しの罠は、まだ始まったばかりだった。

 





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