3-22 元勇者、請ける
†
「……はあ、やっちまった」
ソーオの街、冒険者ギルドの喧騒の中。
食堂のテーブルについたリオンはため息と共に天井を見上げた。
そしてぼんやりと考えて、気が付く。
「もしかして、これが初めての親子喧嘩か?」
「多分そう」
傍らに座るセレネが答えた。
「あー、そうか……そうなるのか」
リオンが呟いたとおり、ソーラがリオンの指示に反発したのはこれが初めてだった。
リオン自身があまり双子を縛るようなことを言わない、というのもあるし、そもそもソーラヴルとセレネルーアというこの双子は基本的に凄く素直だ。
「言うことはちゃんと聞くし、家事の手伝いもするし、隠し事とかもしないしなぁ。喧嘩の必要って全くなかったもんな」
隠し事、の部分でセレネは目を泳がせたが、リオンは気付かなかった。
乙女には色々とあるのだ。
「そもそも父さんは寛容というか、無頓着。私がハティ拾って来た時もソーラがホルスの卵拾って来た時も何も言わなかった」
「だってお前たち、ちゃんと世話をしたじゃんな。怒る理由がないし」
リオンだって双子が孵った卵を拾ったのだから、怒るどころか思わず懐かしく思ったくらいだ。
「あれから二年ちょっとか。そっか、俺に反発するくらいに大きくなったんだな、お前たちも」
「ん」
しみじみと呟きながら、リオンがセレネの銀色の、ややくせっ毛な髪を撫でた。
たった二年で、十二、三歳まで成長した双子。
明らかに普通ではない。だが、それでも、この胸に感じる一抹の寂しさのようなもの。
二人は単純に考えれば、あと一年ほどで成人と言って良い歳――少なくも外見は――にまで育っているということになる。そうなれば父親はお役御免だろう。
いつまでも子離れしないわけにもいかない。二人には二人の人生があるのだ。
リオンは親の顔も知らない孤児だった。仲間との別離はあっても、家族と離れるのは初めてだ。いざという時が来たら、決然とした態度が取れるだろうか。
「父さん? どうしたの」
「ああ、なんでもないんだ」
セレネが訝しみ口を開いたのを遮るように、一人の老人が冒険者ギルドの中へと入って来た。
†
老人――白髪を撫でつけた、執事服の老人である。
冒険者ギルドには依頼人も訪れるとはいえ、少々場違いな格好であるため目を引いた。老人は受付へと真っ直ぐ向かうと、受付嬢と何事かを尋ね――そしてリオンの方を向いた。
「……貴方が、五級冒険者のリオン様で間違いはないでしょうか?」
「俺がリオンで合っているが、リオン違いじゃないか?」
そう言ってリオンは肩を竦めた。
かの勇者リオンの活躍以降、男児にリオンと名付ける親が増えた。
のみならず、勇者リオンも冒険者あがりだったということもあって、あやかってギルドの登録名やミドルネームに『リオン』を入れるのが冒険者の間で流行った時期がある。
ところが勇者生存説が根強く噂されるのを逆手に、勇者リオンを騙る詐欺が流行ったせいで、リオンを名乗る冒険者は信用ならないとか、念入りに本人確認をしなければならないというような事態になったのである。
「いいえ。くすんだ赤毛の男性。キザヤ王国からやって来た冒険者。貴方がリオンであるならば、わたくしどもの主が探しているリオン様で間違いないでしょう」
「ふむ、あるじとな」
「はい。ソーオの領主であるアンフィーサ・ヴラヴィノヴァ・カールトン様より、指名依頼です」
その名前を聞いて、リオンは顔をしかめた。
「カールトン家はソーオの領主だったか? たしか侯爵の……トウヅきっての名家だと聞いた気がするが」
「ご存知でしたか。カールトン家は、トウヅ戦王国建国時期より東のこの地の守護を任されております」
今でこそ国交は安定しているが、キザヤ王国とトウヅ戦王国は相争う時期があった。カールトン家は、ソーオ領を任されているというよりは対キザヤ王国に対する防衛を任されていると言って良い。
リオンは険しい表情を隠そうともしない。
「今は別の依頼を受けているので――」
老執事は無言で受付嬢の方を見た。
先ほどこのギルドに来た際、リオンはあの受付嬢に何かよい依頼が無いかどうかを訪ねている。殆どが行方不明事件の事だったので結局何も受けなかったのだが。
無言で数秒、リオンと執事は睨みあった。
「……冒険者の方には、貴族と関わることを好まない方も多いことは存じております。ですが、カールトン家に睨まれるよりは、断るにしても話を聞くだけでもしておいたほうがよいかと」
ここでカールトン家の機嫌を損ねると、トウヅ戦王国にいる間ずっと祟るかも知れない。リオン達親子はまだいい。だが行動を共にしているだけのメイにまで累が及ぶかもしれないと思うと、迂闊に断るという判断も下せない。
だから権力は嫌いなんだ、とリオンは盛大にため息をついた。
「先に一つ聞いておきたいんだが。カールトン家がどうして俺なんかをご指名に?」
「カールトン家は役柄上、キザヤで起きることは常に注目しております。特にミヤジヨなどは目と鼻の先と思っていただければ」
「はっ。そりゃそうだよな」
あれだけ派手に暴れたのだ、トウヅの方にも何らかの形で伝わっていてもおかしくはない。まぁ、リオンやこのソーラ達のこと。いずれはどうにか噂になっていただろうが。
「取り合えず話を聞くだけは聞こうか」
「では、屋敷まで。アンフィーサ様はリオン様と直接お会いするのを望んでおります」
「屋敷に? 一体何を考えてんだか……」
勇者としてならばともかく、今の冒険者リオンはただの平民だ。
仕事の依頼というならばこの老執事を介して、契約から報酬の遣り取りまでするのが普通だ。お抱えでもなければ貴族の依頼とは基本そういうものだ。
「アンフィーサ様は常に領民とトウヅ戦王国のことをお考えになられる、心お優しい方ですよ。では、外に馬車がございますので」
ため息交じりに、リオンは席を立った。
セレネともども執事の後を追って外へと向かう。
「依頼の概要くらいは教えてくれよ執事さん」
扉を開いた執事は振り返って答えた。
「最近頻発する、領内の行方不明事件についてですよ。その解決を、リオン様にお願いいたしたく……ああ、申し遅れました。わたくし、カールトン家で執事を勤めさせていただいております、オニーシムと申します。以後、どうぞお見知りおきを」
扉の影になって、その顔のなかで妙に目だけが浮いて光って見える。
雨の降る外は、まだ日中だというのに酷く暗い。
緞帳のように重たい雲。まるで夜であるかのようだ。




