3-16 銀の少女、見抜く
3-16
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「――グルル……ガゥウウッッ!」
最初の一撃は、白狼ハティの咆哮だった。
空気を震わす大音声それ自体には悪霊の防御を貫く効果は無い。
だが魔力を含むその咆哮は相手の注意を引き付ける。今までリオンたちの攻撃はオーラの腕であしらうばかりで、ブレントの店にばかり向けられていた悪霊の顔が初めてハティの方を見た。
「ピィィッッ!!」
そして続けて、その周囲に降り注ぐ黒い羽根。
宙に舞うホルスが放った羽根十数本が地面に突き立った――瞬間、爆炎の壁が立ち上る。
『Gruuu ガ……あ、あ゛あ゛あ゛』
突如聳え立った爆炎壁は悪霊の全方位を囲んでいる。その高熱が、負のオーラを焼く――悪霊の周囲に向かって伸ばされていた負のオーラで構成される腕が黄金色の炎に浄化され、焼き払われた。
「――今」
リオンが言う。
その声は戦場にあって、むしろ淡々と小さなものだった。
だが、この場にいる者たちが聞き逃すはずもない。
「――ッッ!!」
リオンが動くと同時に、メイもまた悪霊に向かって突撃する。
ハティに跨ったセレネルーアが引き絞った弓矢を放つ。
空気を切り裂いて飛ぶ銀色の矢。
そして別の角度から金の炎を宿した拳で、ソーラヴルが突撃した。
炎の壁を突き抜けて、悪霊の眼前へと。
リオンの剣とメイの槍、セレネの矢とソーラの拳が四方から悪霊に襲い掛かる。
悪霊は理性を失って周囲を破壊するよう動き回る存在ではあるが、何かに反応しないわけではない。
狼の咆哮に気を取られた次の瞬間周囲を強烈な炎の壁に囲まれ、一瞬たりとも怯み戸惑わない、などということはないのだ。
その次の瞬間、四つの異なる攻撃が殆ど同時に、しかも突然、炎の壁をぶち抜いて来た。迎撃するはずの負のオーラの腕は、炎の壁によって焼き払われている。
『キ゛ギ G き゛ぃ、ぃ、BUア ア゛あ゛あ゛っ』
剣の切っ先が、槍の穂先が、炎の貫手が、銀の鏃が悪霊の身体に突き刺さる。
そしてその内部に、各々の放つ闘気が叩きこまれた。
それはさながら、袋に入りきれない量の荷物を押しこむようなもの。
悪霊の核周囲を護るための防護膜はその内側に一気に闘気を流し込まれ、瞬間的に膨れ上がって、――しかし破れることなく耐えた。
だが、
「まだまだァああああああ――【陽焔】ッッ!!!」
ソーラヴルが叫び、背中に金色に輝く翼が広がる。
するとソーラから発せられる闘気の量が、一気に倍増した。
元々限界ギリギリまで膨らんでいた悪霊の防護膜は耐えきらずに轟音と共に破裂する。
紫電と金炎、銀光と翠風が周囲に撒き散らされ、炎の壁が吹き消えてしまった。
メイが叫んだ。
「見えた――悪霊の、核だ!!」
防護膜も負のオーラも全て消し飛んでしまった悪霊、その内部には、ひとりの女性があった。
その姿を見上げて、リオンはふと疑念が湧いた。
(青白い顔、白い衣装――あれが悪霊の核、店に訪れていたという幽霊そのものに間違いは無いだろう。だが、手足や服の裾が汚れて……泥とか土の汚れ方? 幽霊が?)
動死体や白骨体系の魔獣であれば、同じアンデットという括りでも、幽霊系と違って物理的な身体が存在する。
だが幽霊系魔獣は、物理的な身体がある訳でないので泥で汚れるなんてことは無いはずなのだ。
もしその例外があるとすれば、
(この幽霊が発生した状況が関係している場合――?)
死霊術士などによって召喚されるなど外因的な理由が無い場合、この世に強い未練を残して死んだ状況で幽霊は発生しやすいとされるが、外見はその時の状況に左右されることがある。
美しい外見を嫉まれた挙句顔を潰されて死んだ美姫が、顔を失った幽霊となって犯人を呪い殺した話は有名だ。
(なにかを見落としている――あるいは、見えていない何かがある?)
瞬間的にそう思い至ったリオンは、はっとして顔を上げた。
防護膜を失った悪霊は、核を晒し完全に無防備だ。攻撃をすれば、一撃で倒すことができるだろう。
「――とどめだ、喰らいな!」
「――待てッ」
流石と言うべきか、リオンの隣でメイはためらいなく、その隙に向かって槍の直突きを放った。【閃風六貫】の名に恥じぬ、重く、そしてただひたすらに速い一撃。
だがリオンの一歩は風を超えた。雷光の速度。
重たい金属音が響いて、リオンの剣がメイの槍を弾く。
「なん……リオン!? 一体!?」
驚くメイを無視して、リオンは悪霊の核を見上げる。
防護膜が弾けた瞬間を好機と飛び込んだのはメイだけではない。金色の翼に光を漲らせ、一直線に拳を叩き込むべくソーラもまた技を放っており――
「えっ!? パパ!?」
リオンがメイの槍を止めた、そう気が付いても止まることはできない。
中途半端ながらも金炎の拳が悪霊の核、その顔に叩き込まれる直前にソーラもまた異常に気がついた。
(強い未練――なのに怨みも憎悪も無い!? なんで!?)
しかしもう遅い。
拳は止まらない。
悪霊の核を撃ち抜く――
「殴っちゃダメ――うぐっ!」
銀色の翼の少女が飛び込んできた。
悪霊の核とソーラの拳の間に顔を差しはさみ、殴り飛ばされる。
「セレネ!?」
地面に落ちたセレネに、ソーラとリオンが駆け寄った。
抱き起こしたその左の頬に、真っ赤な拳の跡がついている。
「……いたい」
「だ、大丈夫!? 思いっきり殴っちゃった!」
「無茶をするな、セレネ。味方の攻撃に飛び込むなんて危険すぎるぞ」
回復魔術を使用しながらも、リオンの眉間には皺が寄っている。
今のがソーラの全力の一撃だったら、あるいはソーラが剣士だったりすればセレネの顔はもっと酷いことに……あるいは命すら落としていたかもしれないのだ。
「ごめんなさい、父さん。でもどうしても止めなきゃならなかった」
頬をさすりながら身体を起こしたセレネが、宙に浮かぶ悪霊の核――いや、一人の女性の魂を見た。
先ほどまで撒き散らしていた負のオーラなど微塵も残っていない。
彼女は入口が壊れていることも頓着せず、ブレントの店の前に降りてきた。
そして奥にある棚、ハチミツの小壺を無言で指さした。ブレントが言っていた通りの動きだ。
それを見て、メイもまた三人の傍にやって来る。
「……負のオーラ全部引っぺがしたからしばらくは大丈夫そうだけど。ハチミツ欲しさに悪霊になるって尋常な執着じゃないね。街中で加減してたとはいえ、私たち四人の攻撃を凌ぐ程の強さにまでなるって……一体なんなのさ」
「わからん。だが、どうも理由は恨み辛みじゃなさそうだ」
「私には見えた」
「なに?」
二人の会話に、立ち上がったセレネが答える。ソーラに支えられてハティに跨ったセレネは店の中に入っていって、幽霊の指さすハチミツの小壺を手に取って戻ってきた。
壺を幽霊に差し出すと、彼女は代わりに金の耳飾りを差し出した。セレネが受け取るのも確認することなく、踵を返して歩き出す。
「こ、これは一体!?」
そこに、結界の向こうから驚きの声が上がった。
振りかえれば野次馬を掻き分けて、ブレントと彼が呼んできた衛兵隊がいる。声の主はその隊長のようだった。
悪霊が暴れて破壊した跡を見ているのかと思えば、しかし隊長の視線は歩き去る幽霊の方を見ている。
リオンは結界を解除すると、隊長の方に近寄った。
「エスター様!? なぜ貴女がここにいるのですか!? エスター様!?」
「……エスターというのが、あの女性の名前ですか?」
リオンが尋ねるとそこで隊長は初めてリオンに気が付いた。それほど取り乱していたということだろう。
「お、おい冒険者。一体ここで何が起こっている? どうしてエスター様が?」
「それは俺にもよくわかりません。俺たちはブレントさんに雇われた冒険者で、夜な夜なやって来る不審な女性の正体を突き止めて欲しいと依頼されたのです」
「夜な夜な……?」
その言葉にはっとした隊長は、去っていく女性――エスターという名のようだ――の後ろ姿を見て、部下の一人に向かって命令した。
「お前は、今すぐ領主さまの元に行け! エスター様の緊急事態だと言って領主さまを墓場までお連れしろ! お前とお前は残ってこの場を警備。他はついてこい、俺たちも墓地に行くぞ!」
そしてリオンとその後ろにいる一行に向かって呼びかけた。
「ブレントと冒険者たちも来い! 道すがら事情を訊く!」
呆気にとられるリオン達に怒鳴って、エスターの後を追いかける隊長。
その横に、ハティに跨るセレネが並んだ。
「隊長さん」
「なんだ? お前も冒険者か?」
「それはあとで。それより、あのエスターって人」
「エスター様がどうした。急いで墓に行かねば……」
「子どもを育ててる」
セレネの言葉にぴたりと動きを止めた隊長は、思考を巡らせ、「まさか……まさか!」と呟き、
「い、急げ! 墓を掘り返せ!! 道具を持ってこい!!」
そう叫びながら、全力で駆け出した。




